桜の舞台で炸裂した岩田騎手の魔術。

桜が咲いた報に接したのはちょっと前のことになるが、ここ1週間くらい一気に寒さが戻っていたこともあって、自分の気分的にはクラシック開幕戦、というより、まだトライアル(?)というようなムードの中で迎えた今年の桜花賞

「牡馬よりも牝馬の方がキャラが濃い」という最近の流れに合わせたかのように、「3戦無敗&重賞ウィナー」の看板を引っ提げて参加した馬が3頭もおり、しかも、このうち、大本命視されていたルージュバックは、特別戦、重賞も含めて牡馬混合のレースを3連勝中。

コースレコード(2歳)勝ちした百日草特別でぶっちぎった相手が、後の重賞ウィナー(ベルーフ)だった、ということもあり、これで勝てば“神話”に一歩手をかけるのではないか、という雰囲気すらあった*1

直前の調教で道中気合いが入り過ぎ、輸送を控えているにしては思いのほか速いタイムで上がってきてしまったことや、1800mより短い距離でのレース経験がないことなど、不安材料がないわけではなかったのだが、鞍上が今年も絶好調の戸崎圭太騎手、ということもあって、悪材料に飛びつく気にはなかなかなれなかった。

ところが・・・である。

レースは、ゲートが開いた瞬間に、押しだされるように前に出たレッツゴードンキが、そのまま先頭をキープして、ダラダラと流れる展開に。
手元の時計を見るまでもなく、テレビ画面を見ているだけで、明らかに「遅すぎる」と分かるペースで馬群は進行し、2番手以降の集団の馬たちは折り合いを欠いて、四苦八苦。

そうこうしているうちに、4コーナーを回り、誰にも邪魔されずに気持ちよく走り続けたレッツゴードンキが、直線に向いた瞬間、普段通りに脚を使って、あっという間にどの馬にも手が届かない世界に行ってしまう*2

馬群にもまれ、コーナーでも外に振り回され、直線に向いた時点で、既に上位馬に絶望的な差を付けられてしまったルージュバックは、周囲と同じ脚色で9着に流れ込むのがやっと、という状況だったし、他の無敗馬2頭も空しく着外に消えた*3

1分36秒0、という勝ちタイムは、1分33秒台が普通だったここ数年ではもちろん、21世紀になってからの歴史の中でも断トツに遅いタイムで*4、1980年代中盤にタイムスリップしてしまったような感覚にすら襲われてしまうが、この異常なスローペースのレースで、人馬の折り合いを全く欠くことなく、きっちり持ち味を発揮させることができた*5のは、やはり鞍上が経験豊富な岩田騎手だったから、というほかない。

かつて称されていたのとは全く逆の意味*6で、「魔の桜花賞ペース」ともいうべき幻惑的なレース運びを見せ、結果に結び付けた、ということが、岩田騎手の今後の騎手人生にも大きなインパクトを与えるのではなかろうか*7


あまりに勝利騎手の騎乗ばかりが目立つ展開になってしまったばっかりに、「4馬身差の圧勝」という結果をもってしても、次のオークスで“レッツゴードンキが本命”という声が出てくる可能性はそんなにないように思うのだが(そしてこの馬ならオークス、と言えるような馬があまり見当たらないのが、今年の牝馬戦線の特徴でもあるのだが)、勝ち馬の予想以上に、舞台を東京に移してもなお、岩田騎手の手綱さばきが光るのか、それとも、地元で戸崎騎手の巻き返しがあるのか、ということから、目が離せなくなりそうな気配である。

*1:他の2頭も、ひいらぎ賞、クイーンCを連勝中のキャットコイン、前走のフィリーズレビューで豪快に大外一気を決めたクイーンズリング、といずれも見劣りしないレベルの馬であった。

*2:テレビの実況でもコメントされていたが、一番良いポジションでコーナーを回って、そのまま残り3ハロン33秒5の脚を使われてしまったら、後続の馬はもうどうしようもない・・・。

*3:クイーンズリングは、ミルコ・デムーロの好騎乗もあって直線見せ場は作ったが4位まで。キャットコインは2カ月の休み空けで馬体重12キロ減、という状況だったこともあり、後方からの追い上げにも迫力なく7着に敗れた。

*4:遡ると1994年のオグリローマン(1分36秒4)依頼、という恐ろしい結果だった。

*5:むしろ、逃げる展開から出し抜け的に直線脚を使ったことで、これまでの重賞、G1で、あと一歩、の結果を招く原因となっていたゴール前の微妙なずぶさを、この日は感じさせずにすんだ。

*6:改修前の阪神コースでは、最初のコーナーに向けて逃げ、先行脚質の各馬が猛ダッシュをかけ、その結果、異常なハイペースとなって後方からの差しが鮮やかに決まる(逆に先行した有力馬が失速する)というレース展開が多かった。

*7:今年の初めころの岩田騎手は、人気馬に騎乗しても詰めの甘さで連敗を繰り返すなど、多少の陰りも見られていただけに、3月に入ってからの重賞3勝、そして、今回桜花賞で鮮烈な印象を残して勝利した、ということの意味は、極めて大きいだろうと思っている。

google-site-verification: google1520a0cd8d7ac6e8.html