“当たり前”のものを失う寂しさ。

年に数回立ち寄るくらいのカフェでも、再開発か何かのきっかけで姿を消してしまえば、何となく寂しさに襲われるものである。

それが「出勤前にそこのコーヒーを飲んでからじゃないと仕事にならない」というくらいの思い入れのある店ともなればなおのこと。
さらに、それがモノ、場所を越えて、「人」の話になってくると、より寂寥は深まる。

ちょうど今は、会社勤めをしている者にとってそういった感情を抱くことが多くなる節目の季節、ということもあり、身近なところでの動きに接して、いろいろと考えることも多くなっているのだが、もう一つ、自分の心にぽっかりと穴を開けてしまったのが、今月初めのNumber誌に掲載されていた以下の記事である。

「さようなら、阿部珠樹さん」
http://number.bunshun.jp/articles/-/823284

「小誌でコラム「スポーツ惜別録」を連載中のスポーツライター阿部珠樹さんが4月22日深夜、逝去されました。57歳でした。」(Number877号105頁)

知る人ぞ知るNumber誌の看板ライターで、少なくとも自分が読み始めてから20年以上、彼の名前を見かけなかった号はなかったような気さえする*1

野球でもサッカーでも、マニアックに突き詰めるというよりは、ちょっと肩の力が抜けたような穏やかな切り口から記事を書く方だなぁ、というのが、一読者としての自分の印象だったのだが、唯一例外だったのが競馬の記事で、古い昔話から直近のビッグレースの予想まで、そして、トレセンの今を鋭く突くような記事を書かれたかと思えば、ローカル競馬場巡りのゆるいネタを書かれたり・・・と、硬軟織り交ぜた深い記事が多かった*2

長期にわたって、あまりにコンスタントに記事を書かれていたためか、あるいは、どんなに批判的な記事でもどこかに緩衝剤となるようなフレーズを入れる筆致の優しさのせいなのか、同じ雑誌で一世を風靡した他のライター(特にフットボール系)の記事のような、「鮮烈な印象」を残した記事を今思い浮かべるのは難しい。

だが、大きなレースが近づいたとき、あるいは、それが終わったときには、必ず、と言ってよいほど阿部氏の記事を目にしたし、それはあたかも“空気”のように存在していた・・・。


追悼記事によると、

「3月中旬にマツダスタジアムで取材中、腹部に強烈な痛みを感じ、そのまま入院。検査の結果、癌が見つかりました。すでに外科手術はできない状態でした。それでも阿部さんは執筆の意欲を失いませんでした。故郷の函館で化学療法や放射線治療によって、癌と向き合いながら原稿を書き続けたいと、連載コラムも今号から再開予定でした。しかし、自覚症状が出てからわずか1カ月で、この世から旅立たれました。」(同上)

ということで、Number誌に掲載された阿部氏の競馬記事は、今年2月末の調教師の引退レースをテーマにしたコラム*3が最後となっり、混迷を極めた春のクラシック序盤の様相も、ゴールドシップの悲願の天皇賞勝利も、阿部氏の筆を通じて世に伝えられることはなかったのだが、今週に入り、ダービーに向けて様々な予想やコメントを目に、耳にするたびに、彼ならこの戦国絵図をどう描いたのだろうか、と思わずにはいられない。

数々の「名勝負/好勝負」を克明に伝えてきた名ライターがこの世を去っても、いつものようにレースは行われ、馬は走る。

そのことにちょっとした寂しさを感じつつも、今年も自分の目で新しい歴史を目撃することができることへの感謝を忘れずに、週末を迎えたいと思っている*4

*1:上記追悼記事によると、阿部氏は、1988年5月20日発売号以来、27年間で900本近い記事を執筆したということで、平均しても1号に1本以上は記事を書かれていた、ということになるから、あながち誇張した表現というわけでもなさそうである。

*2:もちろん、Numberに限らず、『優駿』のような競馬専門誌にも、長文のコラムや解説記事を良く載せられていた。

*3:http://number.bunshun.jp/articles/-/822813

*4:最後になるが、一競馬ファンとして、そして、長年の読者として、阿部珠樹氏のご冥福を、心よりお祈りしたい。

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