「コンテンツ二次利用促進」に向けた動きへの若干の疑問

毎年この時期になると、知財政策関係の様々な動きが出てきていろいろと騒がしくなるのだが、今年も例外ではなかったようで、日経新聞の1面に、突如、著作権制度絡みの記事が出てきた。

「政府はテレビ番組や書籍で著作権の権利者が多い著作物の2次利用をしやすくする。国立国会図書館NHKなど信用力のある利用者を対象に、確認できない権利者への補償金を今の前払いから後払いにする。安倍政権は成長戦略の一環で映像コンテンツなどの海外展開を掲げており、2次利用の簡素化で番組の輸出やネット配信を後押しする。」(日本経済新聞2015年6月14日付朝刊・第1面)

これだけだと何の話だか分からないのだが、記事と別の面に掲載されている解説等を読むと、内容的には、著作権著作隣接権に関する裁定制度をさらに見直す方向で動かす、ということのようで、安倍政権の思惑はともかくとして、方向性としては悪い話ではない。

権利者不明の場合の裁定制度については、長らく使い勝手の悪さが指摘されていたこともあって、昨年、文化庁が告示改正を行って「権利者を捜索するための『相当な努力』」の内容を緩和したり、CRICのウェブサイトへの掲載(公衆に対し広く権利者情報の提供を求めるための一手段)費用を値下げする、という事実上の負担緩和措置を講ずるなど、かなり動きが出てきているところであったが*1、そもそも利用側がどの程度のメリットを享受できるかもわからないのに、まとまった額の補償金の負担だけが先行する、という不満は依然としてくすぶっていたところで、それゆえ、

「法改正では倒産の恐れがない信用力のある利用者は補償金を事前に支払わず、権利者が名乗り出た段階で支払えば済むようにする。」(同上)

という方向性は、これまでの議論にも概ね沿ったものだと言えるように思われる。

もっとも、若干気になるのは、

「後払いの対象は著作物のアーカイブ化を進めている国立国会図書館NHKなど公的機関を想定し、民放などに広げるか今後詰める」(同上)

というくだりで、「アーカイブ化」の文脈で裁定制度の話が持ち出されることにも違和感があるし*2、この流れで対象が「公的機関」のみ、というのも、正直合点がいかない。

観測気球を上げた側としては、あえて「NHKのみを想定」という刺激的な記事を書かせることで、二次利用に向けた動きが鈍い民放等をけしかけようとしたのかもしれない(?)が、前段で「コンテンツの海外展開」という華々しい花火を打ち上げている割には、目指す方向があまりに小さすぎるのでは?と思ったのは、決して自分だけではないはずだ。


自分は、元々、「権利」というのは、それを持っている者が行使する意思を示し、それに応じた体制を整えてこそ意味を持つモノだと思っているので*3、昨今の「孤児著作物」をめぐる議論においても、必要以上に“見えない権利者”におもねった制度を設ける必要はない、と思っている。

もちろん、どんなジャンルの著作物にも、力の弱い著作権者、著作隣接権者はいるのも確かであり、「存在は知っているけど無視される」ことによって社会的不正義が生じることを防ぐためには、一定の歯止めは必要だろう。

ただ、裁定制度の運営にしても、権利者情報集約のための作業にしても、政府が相応のコストを負担して行わなければならない作業になるわけで、そのコストが誰に対して跳ね返ってくるのか、ということを素直に考えるならば、もう少し権利者側に「自助」を求める制度設計が志向されても良いのではなかろうか、というのが、今の率直な感想である*4

*1:昨年の見直しに関しては、http://www.bunka.go.jp/seisaku/chosakuken/seidokaisetsu/chosakukensha_fumei/pdf/minaoshi.pdf

*2:もちろん、アーカイブ化するための複製が全面的に権利制限の対象とされていない現状においては、これも著作権者、著作隣接権者の権利が及ぶ「著作物の利用」に他ならないし、蓄積されたコンテンツを配信、二次利用するという話になれば、当然、本来裁定制度が予定している使い方、ということになってくるから、間違いではないのだけど・・・。

*3:だから、いわゆる「寛容的利用」の発想も非常にしっくりくる。

*4:学生時代の同期と長年にわたって全く連絡を取ろうとせず、比較的連絡が取りやすかった時期に開催された同期会もまるで無視していたような人から、40年、50年近く経って行われた同期会の後に、「何で私を呼んでくれなかったんだ。ヒドイじゃないか。」と言われたところで、その時幹事を務める人間にしてみれば、「は?何言ってるの?」というのが本音だろう。そういう“漏れ”を防ぐためには、幹事役の人間があらゆるツテを駆使して、名簿を常に最新の状態に更新しておく、といった努力が必要だが、そのためには多大な労力がかかる。「孤児著作物」の問題もそれに近いところはあると思う(もちろん、法律で認められている著作権著作隣接権と、事実上のものとしてすら存在するかどうかあやしい「同期会に呼ばれる権利」を同格に扱うわけにはいかないのだが・・・)。

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