「問題の本質」に迫ることの難しさ〜「東芝第三者委員会調査報告書」全文に接して。

ここ数か月の間、どんな会社の法務担当者にとっても決して他人事ではない、重い課題を突き付け続けている「東芝」問題。

オリンパスの時と同様、断片的に飛び交う情報だけで安易にコメントするのは憚られる内容だけに、なかなかこのブログでも触れる機会がなかったのだが、さる7月21日に調査報告書の全文が公表され*1、本日付で「経営刷新委員会」のメンバーが公表されるなど、“一区切り”としての新しい動きが出てきている*2、ということもあるので、報告書を読んで、自分が感じたことを、取り留めもなく書き残しておくことにしたい。

結局、何が一番“重大”な問題だったのか。

報告書の冒頭では、本件発覚の契機が、

「2015年2月12日、証券取引等監視委員会から金融商品取引法第26条に基づき報告命令を受け、工事進行基準案件等について開示検査を受けた。」(報告書14頁)

であることが記されている*3

報告書にも簡単な経緯は記載されているのだが、当初東芝が設置した特別調査委員会、さらに第三者委員会の設置当初の調査スコープが「工事進行基準案件に係る会計処理の適正性」で、それを前面に出した報道が展開されていたこともあり、一連の「不適正会計」問題のコアの部分が、「インフラ工事の工事進行基準案件」の会計処理にある、と考えていた人も少なくなかったことだろう(もちろん自分も、この報告書に目を通すまではそう思っていた)。

だが、報告書で取り上げられている各案件の内容にくまなく目を通していくと、若干異なる実情が浮かび上がってくる。

工事進行基準」については、報告書37頁から電力社の7案件が、、96頁から社会インフラシステム社、コミュニティ・ソリューション社の4案件が取り上げられており、いずれも工事損失引当金の計上時期、計上額に関するものとなっているのだが、確かに、認定されている「損失認識先送り」の金額は決して小さいものではないし*4

「確実に発生することが明らかになる前に工事損失引当金を計上することは、事業部におけるコスト削減に向けたモチベーションを弱めるものであり、収益を悪化させるものとして、到底認められるべきものでない」(報告書49頁ほか)

という、保守主義の原則からは明らかに外れたカンパニー社長(CP)の認識*5が存在したゆえに、適切な時期に損失引当てを行わないことが常態化していた、そして、そのような方針ゆえに、工事進行基準に基づく会計処理の適正さを担保するための大前提となる「見積工事原価総額」を適切に修正することもできていなかった、という点については批判を免れ得ないだろう。

ただ、大型のプロジェクト案件において受注後に予期しなかったコストの増減見込みが生じる、というのは日常茶飯事であり、コスト増要因が発覚した後に、契約変更の協議を行ったり、調達先や作業要員数の見直しをかけることで帳尻を合わせて何とか乗り切れることもないわけではないから*6、相当保守的な会計スタンスを取っている会社でも、あくまで当初予定していた原価見積もりの範囲内でコストを抑える(あるいはコスト増に対応した報酬増を確保することで損益を悪化させない)ことを一義的な目標とし、落ち着きどころが見えるギリギリの段階までは明確な損失としては認識させない、という対応になることは決して珍しいことではないし*7、ましてや「どの四半期で計上するか」という話になれば、それこそ調整の余地はいくらでもある*8

今回の報告書の対象となっている案件の中には、当初から赤字覚悟で落札し、その価格をそのまま「原価」として管理していた、というものも多いように見受けられるだけに、一般的な慣行の範囲内というにはさすがに無理があるのだが、それでも、登録されていた「原価」は、入札のプロセス等の過程で社内で稟議された結果付された価格であり、少なくともプロジェクト開始当初においては全く根拠のない数字だった、というわけではない。そして、一時期の報道で示唆されていたような「売上を過大に計上するために原価を意図的に過少に見積もった」というような痕跡は、(少なくとも報告書の中には)現れていないのである。

したがって、この工事進行基準の問題に関しては、「粉飾」と断罪されるほど大げさなものではない、というのが率直な感想であった。

一方、後から調査スコープに追加された「映像事業における経費計上に係る会計処理」や「パソコン事業における部品取引等に係る会計処理」の問題はちょっと色合いが異なる。

例えば、「映像事業における経費計上に係る会計処理」では、販社リベートや広告費、仕入値引き等の費目を「C/O」(キャリーオーバー)と称して技巧的に駆使し、意図的に“期ズレ”を生じさせて四半期ごとの損益調整を行っていたことが認定されており、影響額自体は相対的に小さいものの*9、主観的態様としてはかなり悪質な部類に入る。

また、「パソコン事業」に至っては、製造委託先に調達価格を大幅に上回る価格(マスキング価格)で部品を販売し、調達価格と販売価格の差額を「利益(製造原価のマイナス)」として計上する、という一見して極めてイレギュラーな会計処理を行っており*10、その結果、四半期末においてのみパソコン事業の「利益」額が跳ね上がる、という極めて不自然な状況が作出された。

現にマスキング価格で製造委託先との取引を行っているのは事実だし、高額な価格で委託先に部品を売り付ければその分完成品の原価は跳ね上がるわけで、最終的にどこかで相殺される話ではあるから、これを法的にどう評価するか、といえば難しいところではあるのだが、金額の大きさ(要修正額は592億円に上る)と併せて、「意図的に四半期の損益数値を操作した」という観点からすれば、決して軽い話ではないことは明らかだろう。

映像事業に関しては、経営環境が悪化の一途をたどっていて一時しのぎの「期ズレ」を使うくらいしか手がなかった、パソコン事業に関しては、当時の“看板”事業として見かけ上の好業績を維持し続けることが至上課題だった、という背景事情は何となく分かるが、それが言い訳になるはずもない。

今回の調査報告書では、これらの話も、工事損失引当ての話も、「不適正会計」という括りで淡々と一括して記述されているが、企業情報開示の生命線とも言える「P/L」を“化粧”する意図の大小に着目するならば、もう少し異なる書き方、まとめ方もあったように思えてならない*11

誰かが止めることはできなかったのか。

さて、本報告書では、東芝企業統治体制として、重要な役割を果たすべき部門として、各カンパニー(経理部)、コーポレート部門(財務部、経営監査部)、監査委員会といった部門を取り上げ、各案件ごとに、「内部統制が十分に機能していなかった」という結論を出している。

統制機能を発揮する以前に「営業部門と一体となって上手に会計処理をする」方向に向かってしまったことが認定されているカンパニー経理部門や、コーポレートの財務部門*12、体制の脆弱さゆえに、ほとんどの案件で問題の端緒さえつかめていなかったと思われる経営監査部門、そして、「不適正な会計処理」を“上手に”黙認する立場にいたCFOが代々「監査委員長」という職責を担っていたがゆえに、十分に機能しなかったと断罪されている監査委員会・・・。

会社の内側で長く仕事をしている者としては、イレギュラーな事態の存在に気付いた時に「正論」を突き通して状況を一変させることがいかに難しいか、ということは、痛いほど理解できるし、今、声高に東芝を批判している人々が、もし、「中の人」の立場でこの問題に直面していたとしたら、一体どれだけの人が今唱えているような「正論」を貫けたのだろう?と思わずにはいられない。

しかし、そういう状況が積もり積もって、1500億円超の規模になってしまった以上、最後はやはり「結果責任」ということにならざるを得ないのであり、上に挙げたような事情は一切“言い訳”にはならない、ということも、残酷な過去の歴史が証明している。

ちなみに、報告書にはほとんど登場しない「カンパニーやコーポレートの法務部門は何をしていたのか?」という指摘も一部で存在するようだが、大きな会社であればあるほど、「会計処理をどのように行うか」というのは経理・会計部門の専権事項になってしまうのであって、同じ執行部門側に位置する「法務部門」があえて口出しできるのは相当例外的な場合だ、ということは、知っておいていただきたいところである。

今回用いられている「不適正」処理のやり方自体は、高度な会計知識がなくてもすぐにわかるような単純なもので*13、日頃から営業部門の担当者と接点のある法務担当者なら、「受注で苦戦しているはずなのに、四半期ごとのP/Lの数字は比較的きれいなまま推移している」という状況から、何らかの予兆は察知できた可能性が高いと思われるのだけど、残念ながら、法務は、確たる材料*14もないまま、そこにあえて突っ込んでいけるような立場ではないし、そのような権限も与えられていなかった・・・

あくまで憶測に過ぎないが、実態はそんなところではないかと思っている。

ただ、報道ではほとんど触れられていないのだが、今回の件で、法務部門出身の監査委員(取締役)が、事態改善に向けたささやかな“抵抗”を行っていたことが、報告書で認定されている、ということは、一応、強調しておきたい。

「なお、S監査委員は、第3四半期決算に先立つ2015年1月26日、K監査委員会委員長に対し、2014年9月18日に開催された取締役会において決議されたPC事業再編の件の会計処理(この中に密かにODM部品の押し込みの減少に伴う損失計上が織り込まれていた)について不適切なものが含まれていないかどうか精査し、法律及び会計の専門家の意見を徴した上で、第3四半期の会計処理として問題ないことを確認してほしい旨を申し出た。しかし、K監査委員会委員長は、当該申出を受け入れず、監査委員会が開催されることはなkった(なお、同年3月19日、S監査委員は再度K監査委員会委員長に対して同趣旨の申出を行っている。これに対しては、同年4月1日、CFOから、PC事業再編の件の会計処理について不適切なものは含まれていない旨、Buy-Sellについては部品取引と完成品取引は独立した取引でありその会計処理は適正になされていた旨の回答がなされている)。」
「さらに、S監査委員は、4月6日、K監査委員会委員長らに対して、上記と同趣旨の申出を行っているところ、今ごろ事を荒立てると決算に間に合わなくなって最悪の事態になる等の意見が述べられ、具体的に同時点において何らかの対応がとられることはなかった。」(239〜240頁)

結果的に「事を荒立てる」選択をしなかったことが、それこそ「最悪」の事態を招いてしまったわけで、今、「ガバナンスが欠如していた」という批判を浴びているのはなぜか、ということも、上記のやり取りに明白に現れてしまっているのだが、それでも「正論」を貫こうとした社内取締役がいた、という事実は、もう少ししっかりと伝えられるべきではなかろうか。

示された原因分析と改善のための処方箋は妥当なのか?

さて、この報告書を読んで、一番思うところが多かったのが、「第7章 原因論まとめ」(276頁以下)と「第8章 再発防止策(提言)」(288頁以下)である。

この種の「大型事件」では、どうしても事案の解明に時間を割かれがちであり、即席で設けられた「第三者委員会」が、さらに踏み込んで「原因分析」や「再発防止策」までしっかりとしたものを残すのは難しいことが多い、と言われているが、今回の報告書も、全体的にその弊を免れていない、という印象を受ける*15

本来、内部統制の観点から職責を果たすべき各部門が、何故その機能を果たせなかったのか、という各論的分析には、案件ごとの分析ともリンクしている分、説得力があるし、単に「監査委員会が機能していなかった」という指摘にとどまらず、

工事進行基準が適用されるような工事の受注や当該工事における損失の発生については、コーポレート経営会議の審議事項にも、また、執行役社長のコーポレート経営決定事項にも含まれていないことから、報告の対象とはされていない」(284頁)

という「取締役会による監督機能の不全」にも言及しているところも、個人的には評価できる*16

ただ、全体を括って、「当期利益至上主義と目標必達のプレッシャー」とか「上司の意向に逆らうことができないという企業風土」といった見出しで、あたかも、東芝の“特殊性”を強調するかのような記述を行っているくだりについては、やはり首を傾げざるを得ない*17

確かに、今回の一連の事象は、「売り上げが落ちたら落ちたでしょうがないね、次の年にまた頑張りましょう(そして決算発表までに今年の言い訳を一生懸命考えましょう)」という社風の会社や、「稼ぎが落ちた部門の経費を削って、儲かった部門の利益で埋め合わせて全体の帳尻を合えばそれで良い」といった会社では基本的に起きえない話で、カンパニー別、かつ、四半期ごとに管理会計を徹底して必達目標を死守しようとしていた東芝のような会社だからこそ起きた事象であるのは間違いない。

その意味では、「特殊」な事象、という見方もありうるのかもしれないが、「早々と目標達成をあきらめて悪い数字の言い訳づくりから始める会社」と「市場の期待に応えようとして最後まで一生懸命やる会社」のどちらが、市場や投資家にとって理想的かといえば明らかに後者なのであって、ここで、あたかも「目標必達のプレッシャーをかけるのがいけないこと」であるかのような誤解を招きかねないフレーズを持ち出すことが、事態の本質的な改善につながるとは思えない*18

むしろ、今回の件の教訓とされるべきなのは、「厳しい競争環境下において、経営面でもガバナンス面でも世の中の期待する方向に向かっていたはずの会社」が、ちょっとした作為・不作為の積み重ねで、巨額な会計数値の修正を余儀なくされる事態に陥ってしまった、ということであり、「頑張ろうとする会社」であればあるほど、より強力な内部統制を働かせないと誤って足を踏み外したときのダメージが極めて大きくなる、という現実なのではなかろうか。

それを防ぐために、本報告書が強調する「強力な内部統制部門の新設」(290〜291頁)や、日経紙等で“有識者”が力説する「社外取締役による監査機能の強化」*19といった処方箋を用いるのが有効なのか、それとも、他により本質的な改善策があり得るのか、今すぐに答えを出すのは難しいのだが、いずれにしても、真剣に好業績を目指そうとする会社であれば、どんな会社にも同じことは起きうる、ということを肝に銘じた上で、この報告書に目を通し我が身に引き付けて考える(そして必要な行動があれば速やかに着手する)、ということが、外にいる我々にとっては、何よりも大事なことなのではないかと思うのである。


以上、長文のエントリーとなってしまったが、企業法務にかかわる者としては、過去の様々な事例と同様に、今吹き荒れる表面的なバッシングの嵐が一刻も早く去り、冷静な議論ができる時が訪れることをただただ願うのみである・・・。

*1:https://www.toshiba.co.jp/about/ir/jp/news/20150721_1.pdf

*2:https://www.toshiba.co.jp/about/ir/jp/news/20150729_1.pdf

*3:報告書の記載はここで止まっているが、日経紙のルポ「迫真」(日本経済新聞2015年7月28日付朝刊・第2面)によると、「東芝からの内部通報がきっかけ」だったということで、やはり大方の想像通り、というところであった。

*4:報告書の集計によると、修正額は売上ベースで128億円、純利益ベースで477億円となっている。

*5:この一部CPの認識については、報告書の中でも「独善的な考え」と断罪されている(279頁)。

*6:元々、見積もりの中に“削りしろ”が入っていることも多い。

*7:調査対象となった案件の中では数少ない、会計監査人も巻き込んだやり取りが繰り広げられている「G案件」(83頁〜94頁)においても、新日本監査法人と会社側の認識の相違について再三協議が行われた結果、「未修正の虚偽表示」としての「107百万米ドル」の差額の存在が事実上許容される結果となっている。

*8:もちろん、「なぜこの時期に計上したのか?」ということについて、客観的な評価に耐えうるだけの合理的な理屈付けを用意することは必須だが。

*9:要修正額は売上ベースで21億円、利益ベースで88億円。

*10:この点については報告書においても、「部品取引時に利益の計上を行うことは当該一連の取引実態を適切に表していない」(214頁)と評されている。

*11:これら一連の行為が、法的見地から将来どのように評価されるかは、今の時点で推し量るべくもないことであるが・・・(取り戻すあてのない売上、利益を計上して財務諸表を操作する典型的な「粉飾」とは異なり、今回用いられている手法は、いずれも会計期をまたいで通算すれば、いつかは“トントン”に収まるレベルのものである。“今のありのままの姿を示す”という会計原則が徹底されつつある現代においては、瞬間瞬間の損益を意図的に操作した時点で、公正な慣行を逸脱している、という評価も当然可能なわけだが、その“罪”の量定判断に際しては、行われたことの実質面にも十分着目されるべきではないだろうか。

*12:とはいえ、どこの会社でもこれらの部門は「経営」の方を向いて仕事をするのが常識だから、ことさらにこれらの部門を職責懈怠だ、と責めるのは酷に思えてならない。

*13:その意味で、M&Aを通じて巧妙な損益操作スキームを構築したオリンパス事件とは大きく異なる。

*14:報告書に記載されている関係者間の様々なやり取りは、第三者委員会の関与によって明らかになったものに過ぎない。

*15:いっそのこと、最初の発表段階では「事実認定」と「要修正額の確定」に留め、原因・責任論や改善策の提言は、もう少し時間を置いてからでもよかったのではないか、と個人的に思ったほどだったのだが、それが許されない事情があったのかもしれない。いずれにせよ、第三者委員会に関与された方々のご苦労が偲ばれるところである。

*16:仮に東芝監査役会設置会社だったら、問題となった案件が全て取締役会に付議されたか、といえばそれも疑問だが、問題となった案件のうちのいくつかは審議対象となり、一定の牽制が働いた可能性はあると思う。そして、これは「監督と執行の分離」が、識者が口で言うほどうまく機能させられるものではない、ということの証左であり、「効率的な経営を行うためには委員会設置会社に移行することが望ましい」と主張する論者に対する強烈なアンチテーゼでもある、と自分は思っている。

*17:既に疑問の声がチラホラ上がっているようだが・・・。

*18:「上位下達の企業風土」という表現についても、この報告書に描かれている程度の上司・部下間のやり取りだけで断定されてしまっては、中の人が気の毒に過ぎる。似たような光景は、洋の東西を問わずどこにでもあるのだから。

*19:本報告書でもこの点については言及されているが、「社内登用の取締役である監査委員は自己監査を実施する立場となる可能性があることを考慮し、少なくとも社外取締役である監査委員を監査委員長とするなどの対応をすることが望ましい」(291頁)といった、やや控えめな表現にとどまっている。

google-site-verification: google1520a0cd8d7ac6e8.html