去りゆくレジェンドたちと、胸に渦巻く感情。

名球会クラスの選手たちの引退発表が相次ぎ、後々、プロ野球界の大きなターニングポイントとして語られそうな今年の秋に、さらに大きな引退劇が付け加えられた。

「昨季、プロ野球最年長勝利記録を更新し、年齢を感じさせぬ活躍で『中年の星』としてファンに親しまれてきた中日の山本昌投手(50)が26日、自身の25日付公式ホームページ(HP)で今季限りでの現役引退を明らかにした。」(日本経済新聞2015年9月26日付夕刊・第8面)

自分はもちろん、山本投手が「山本昌広」という登録名で活躍していた頃から、あの独特のフォームを憎々しく眺めていたし*1、山本投手が“魔球”スクリューボールを引っ提げて登場し、一種のシンデレラボーイとして日本シリーズまで行ったシーズン(1988年)の記憶もちゃんと残っている。

さすがにここ数年は、「投げること」それ自体がニュースになってしまうような存在*2の選手になってしまっていたし、8月の今季初登板で指を痛めて緊急降板、という展開になった頃から、そろそろかなぁ・・・という雰囲気は感じていたのだが、それでも、四半世紀を超えて活躍した選手が、来年の名鑑からは姿を消してしまうのか・・・と思うと、何とも言えない気持ちになる。


山本昌選手に限らず、ここ数年、プロ野球界の選手寿命が全体的に延びたこともあって、学生時代から馴染みがある(かつ自分と概ね同世代の)選手たちが、未だに現役で活躍している、ということにふと気づいて勇気づけられる、ということも多かったのだが、斎藤隆選手、谷繁元信選手兼監督といったレジェンドクラスを筆頭に、和田一浩選手、西口文也選手、谷佳知選手、小笠原道大選手、そして、まだもう一花、と思っていた高橋尚成選手までが引退、という話になってくると、熱狂的に嵌っていた時代と比べて、ますます“プロ野球”という存在が遠くなるなぁ・・・と思わずにはいられない。

三拍子そろったスケールの大きな選手や、160キロを悠々と投げるような豪快な新時代のスターが世に出てきて、リーグが進化を遂げていく姿を見られるのは、それはそれで良いことだとは思うのだけど、自分の日常とは全く関係ない世界であっても、「時代が変わる」ということを目にするとザワザワした気分が渦巻くわけで。

あとは、海の向こうのイチロー、上原、そして、時々ハマの番長・・・  そんな感じで、かすかに残る“あの頃”の残り香を追いかけていくことになるのだろうか。
いずれにしても、今は喪失感の方が先立っていて、目下のペナントレースの激闘も、何となく直視できずにいる*3

*1:通算成績のデータは持ち合わせていないが、自分の贔屓チームが徹底的にカモにされたシーズンも多かったような気がする。

*2:逆に言えば、年間通じてローテーションを守れるという存在ではなくなってしまっていた、ということ。

*3:贔屓チームが最後の最後に来てヘタっていることも一因、とはいえ。

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