まだまだ終わらないストーリー。

今年もめぐってきた「3・11」。

カレンダーの曜日の並びも、ぶり返した寒気のせいで肌に刺さるひんやりとした空気もあの日と同じで、朝からいろんなことを思い出して心がざわざわしながら迎えた5回目の黙祷だった。

自分のように、公私ともにほとんど環境が変わらない中で過ごしている者にとっては、「5年」という歳月は“あっという間”の時間に過ぎないのだが、冷静に考えると決して短い時間ではない。

入学したばかりの小学1年生は卒業を迎え、大学進学を控えていた高校3年生も立派に社会人になれるだけの時間。
先週末くらいからTV各局がこぞって放映していた被災地取材でも、取材先の方々の“成長”や“変化”を取りあげるものが目立った。

これまで続けてきた取材の“完結編”的な取り上げ方をしている番組も多かったから、「5年経ったから終わり」ってことにならなければ良いのだが・・・という懸念がこれまでになく心をよぎったりもしたのだが、その一方で、「これだけの時間が流れれば、災禍の当事者ではない人々の中に“風化”という現象が生じたとしても、もはやそれを責めることはできないだろうな」という思いもある*1

自分も、阪神大震災の5年後に、どれだけあの時の記憶が残っていたか、ということを思い返せば、心の底から申し訳なかった・・・、と言わざるを得ない状況だったわけで、震災前後で、かの地にかかわりを持っていたかどうかによって、そしてかかわりを持っていた人々の中でもその濃淡によって、心の中での「3・11」の位置づけは大きく変わってきている、ということ、そして、裏返せば、今の被災地の状況や復興に向けた課題を多くの人に理解していただくことがそれだけ難しい時期に差し掛かっている、ということは、否定できないことなのだろうと思う。


当地に足を運んで、冷静に自分の目と耳で、そこにあるもの、そこにいる人々に向き合えば、「前向きなトーンで“復興”を報じる在京メディアがカメラに捉えていない部分」に、少なからぬ“影”があることには、容易に気が付く。

一般的には立ち直りが早いと思われている地域でも、瓦礫がなくなり、震災直後に活動していたボランティアの方々の数が減ったことで、かえって地域の活力の弱さが浮き彫りになってしまっているところはあるし、復興計画が比較的順調に進んでいる、と思われている地域でも、その受け止め方にはかなりの温度差を感じる。

震災直後の混乱の中では見えていなかった様々なことが、仮設住宅がなくなり、新しい居住エリアが出来上がっていくにつれて徐々に顕在化していく。
これまでそれぞれの地域に少なからずこだわりを持ってかかわってきたつもりの者としては、このようなプロセスを眺めるのは実に切ないことではあるのだけれど、これも“復興”に向けた長い長い道のりの一過程なのだ、と腹を括るしかない・・・。


政治的パフォーマンスではない熟慮の下で、この先の復興政策が進められていくことを、そして、「5年経った」からこそ現地に足を運び、自分の目で何が起きているのかをきちんと見つめ直したい、と思う方々が、この先もっともっと現れることを、自分は心から願っている。

そして、“風化”と顕在化した“摩擦”が入り混じるタイミングに差し掛かってきた時だからこそ、決して急ぎすぎることなく、されど、それぞれの立場で一つひとつの日常を積み重ねて平穏を取り戻そうとしている地域の人々をそっと下支えできるような復興貢献の在り方を、真摯に考えていかなければ・・・と思わずにはいられないのである。

*1:「忘れる」ということは、人が前に進むためには絶対に必要なプロセスだけに、当事者か否かにかかわらず、“風化”という現象を一概に否定するのは適切ではない、と思う。

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