6年余の歳月を経て示された答えと制度の意義と。

平成22年4月、改正検察審査会法施行後初の強制起訴がなされてから6年3カ月。
事故発生の時から数えると、実に丸15年近い歳月が流れたこのタイミングで、遂に最高裁が「明石市朝霧歩道橋雑踏事故」をめぐる元明石警察署副署長の業務上過失致死傷被告事件に対して、最終的な結論を示した。

「2001年に兵庫県明石市の花火大会で11人が死亡した歩道橋事故で、業務上過失致死傷罪に問われた県警明石署の元副署長、榊和晄被告(69)について、公訴時効を認めて有罪か無罪を判断しない「免訴」の一、二審判決が確定する。最高裁第3小法廷(大谷剛彦裁判長)が12日付で、検察官役の指定弁護士の上告を棄却する決定をした。」(日本経済新聞2016年7月15日付朝刊・第43面)

第一審(神戸地判平成25年2月20日)が示し、控訴審(大阪高平成26年4月23日)も結論において是認した「(公訴時効の完成により)被告人を免訴する」、という判断は最高裁においても覆ることはなかったのだが、本件には「業務上過失致死傷罪の共同正犯の成否」という結論を左右する重要な法的論点が存在していたこともあり*1最高裁HPにアップされた決定文(最三小決平成28年7月12日(平成26年(あ)第747号))*2には、相当なボリュームで決定理由が記されている。

その意味では、一審判決の時点で指定弁護士側にとっては相当苦しい状況だったにもかかわらず*3、あえて上告審まで争った意義はあった、ということなのかもしれない*4

だが、最高裁決定が示した以下の結論は、職業検察官の判断を乗り越えて6年余も訴訟を維持し続けた訴追側にとっても、それに応じざるを得なかった被告人・弁護人側にとっても、少々酷に過ぎるように思えてならない。

「被告人とB地域官が刑訴法254条2項にいう「共犯」に該当するというためには,被告人とB地域官に業務上過失致死傷罪の共同正犯が成立する必要がある。そして,業務上過失致死傷罪の共同正犯が成立するためには,共同の業務上の注意義務に共同して違反したことが必要であると解されるところ,以上のような明石警察署の職制及び職務執行状況等に照らせば,B地域官が本件警備計画の策定の第一次的責任者ないし現地警備本部の指揮官という立場にあったのに対し,被告人は,副署長ないし署警備本部の警備副本部長として,C署長が同警察署の組織全体を指揮監督するのを補佐する立場にあったもので,B地域官及び被告人がそれぞれ分担する役割は基本的に異なっていた。本件事故発生の防止のために要求され得る行為も,B地域官については,本件事故当日午後8時頃の時点では,配下警察官を指揮するとともに,C署長を介し又は自ら直接機動隊の出動を要請して,本件歩道橋内への流入規制等を実施すること,本件警備計画の策定段階では,自ら又は配下警察官を指揮して本件警備計画を適切に策定することであったのに対し,被告人については,各時点を通じて,基本的にはC署長に進言することなどにより,B地域官らに対する指揮監督が適切に行われるよう補佐することであったといえ,本件事故を回避するために両者が負うべき具体的注意義務が共同のものであったということはできない。被告人につき,B地域官との業務上過失致死傷罪の共同正犯が成立する余地はないというべきである。」(決定PDF4〜5頁)

これまでの第一審、控訴審判決が、被告人の花火大会の警備体制における役割や関与度合いを認定しつつ、それに照らした被告人の予見可能性や義務違反の有無を個別に評価して結論を出していた(結論としては被告人の「過失」の存在を否定し、「業務上過失致死傷罪は成立しないのであるから・・・公訴時効の進行を停止させることはない」とした)のに比べると、今回の最高裁決定は、より手前の“そもそも”論で結論を出してしまっている。

本件で被告人に対して言い渡されてきたのは「無罪」判決ではなく、あくまで「免訴」判決である、ということを考えると、被告人の「過失」の有無にまで踏み込むことなく「共同義務の不存在」という一点で共同正犯の成立、ならびに公訴時効の停止を否定した最高裁決定の方がすっきりとしていることは間違いないし、今後、同種の事案で強引に起訴に持ち込まれることを入口段階で抑制する、という意味でもこの決定の意味は大きいと思うのだが、

「一定の責任ある地位にある者として、(事故防止の観点から)どの時点において何をすべきだったか?」

という、本件を強制起訴にまでもつれ込ませた関係者の最大の関心事、かつ、控訴審までの攻防の中心だったポイントは、最高裁決定の論理に忠実に従うならば「被告人の公訴時効期間が経過した時点で、もはや議論する必要がなかった」ということになってしまいそうだ。

平成13年の雑踏事故は、11人が死亡し、183人が傷害を負う、という同種事故としては近年例をみない重大事故であり、徹底的な原因究明と責任の追及を求めた被害者(遺族)、関係者の心情は十二分に理解できる。
そして、徹底的にそれに応えようとした結果が、第一審、控訴審での被告人の「過失」認定をめぐる激しい攻防であり、判決における詳細な事実認定だったと思うのだけれど、全てが終わって裁判所の最終的な結論(というかスタンス)が示された今となっては、全ての関係者が、「刑事訴訟」という舞台が目的達成のためにふさわしかったのか? という疑問に正面から向き合わないわけにはいかないように思う。

これまでの過程をつぶさに見れば、

「強制起訴による裁判で新たに明らかになった事実もあった。市民目線を取り入れた制度の意義は示せたと思う」(日本経済新聞2016年7月15日付朝刊・第43面)

という指定弁護士のコメントに全く理がないということはできないだろう。

ただ、その「意義」を示す大義のために、本来の公訴時効完成後も長きにわたって「被疑者」「被告人」の地位に据え置かれる、という犠牲が払われたことにも目を向けなければ、制度のあるべき姿を客観的に見つめ直すことはできないわけで、今回のケースを機に、今後、様々な場面で判断を迫られる関係者が、より賢明で犠牲の少ない選択を行うことができるようになることを自分は願ってやまない*5

*1:本件事故に関しては、現地警備本部の指揮官であった元・明石警察署地域官らが起訴され、最一小決平成22年5月31日によって業務上過失致死傷罪の成立も認められていたから、ここで元地域官の間に共同正犯が成立すれば、事故後10年近く経って起訴された元副署長についても、刑訴法254条2項により公訴時効停止、有罪判決となる可能性はあった。

*2:http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/020/086020_hanrei.pdf

*3:一審判決後の状況についてはhttp://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20130221/1367729104参照。

*4:少なくとも理論的観点から様々な見解が示されていた「不作為型過失犯」の共同正犯の成否について、最高裁レベルの事例が蓄積された、ということの意味は大きいし、明文上は余りにシンプル過ぎる“回答”ゆえに、今後、学者を中心に各種評釈等での議論の盛り上がりが生じることも予想されるところである。

*5:もちろん、そのためには刑事手続き以外の方法で真相解明に近付けるより実効的なルートが整えられる必要があるし、各種メディア等において、被害者の感情をミスリードしない賢慮が徹底される必要もあるわけで、短期間でそこまでたどり着けなければ、また同じような事態が繰り返される可能性はある。

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