その場にいた者にしか分からないこともある。

時が流れるのは早いもので、4年に一度のスポーツイベントに湧いた8月ももうすぐ終わりそうな状況だが、微かにその余韻が残っている中、Numberの「特別増刊号」が発売された。

期待を裏切らない渾身の記事が詰め込まれた一冊で、おそらく全てのメダル獲得競技・種目が取り上げられているのではないかと思う。
大会の直後に出た号、しかも、史上最多のメダル獲得実績を残した大会だった、ということもあり、大会の“主役”に光を当てた記事を載せるだけで手いっぱい、ということになっていることは否めないが、そこはやむを得ないところだろう*1

個人的には、競技そのものを取りあげた記事以上に、現地で五輪に触れた方々が書かれた“リオの裏側”のコラムにも興味を惹かれるところが多かった。

例えば、松本宣昭氏が書かれた「リオって本当に危ないですか?」というコラム(60頁)では、「プレスセンターの中では危険な噂が頻繁に飛び交っていた」というところから切り出しつつも、現地に滞在する中で「1週間も経つと、リオって、本当に報道されているほど治安が悪いんだろうかと思うようになった」状況が描写されており、現地在住の日本人のコメント等も引きつつ、最後は、

「『治安が悪い』と言われる国を訪れる際に、最大限の警戒をするのは当然だが、メディアで報じられることが、その国の本当の姿であるとは限らない。過度に『治安の悪さ』を強調してきた僕らメディア側にも、反省すべきところがあると思う。」(強調筆者、以下同じ)

とまとめられている。

実際、自分が知る限りの数少ない“リオ経験者”は、口を揃えて日本での報道と現地の様子のギャップを指摘していたし、自分自身、他の国や地域では散々似たような経験をしてきたから、こういうメディア関係者の悔悟的な記事を読むとホッとするところはある。

また、この一年くらいNumber誌に連載コラムを書かれている横浜DeNAベイスターズ池田純社長が、1週間五輪の視察に行った経験を踏まえて書いた記事も圧巻で(2ページにわたる大作である/66〜67頁)、スポーツビジネスのど真ん中におられる方らしい鋭い視線が随所にちりばめられていた。

「オリンピックだというのに国外からの観光客は意外なほど少なく、目につく外国人の多くは競技団体や選手のスポンサー企業の関係者と思しき人たち。世界的なPR戦略が脆弱で、局所的な治安の悪さの情報が国外で垂れ流されている状況が放置されてしまっているのかなという印象を受けました。」
何十年かに一度の自国開催のオリンピックが特別な価値のあるものとしての空気を醸成していないことに驚きを覚えました

といったあたりは、今回の五輪特有の話かな、と思いながら読めるのだが、話が「グッズ」や「テロ対策」に進むにつれ、“4年後大丈夫か?”という思いが強くなり、さらに、以下のくだりでその思いは頂点に達する。

「現地で国を背負って戦っている選手たちを目の前に見ながら、図らずも抱いてしまった思いを端的に表現すれば、『オリンピックとは本質的には誰のためのものなのか?』の一言です。(中略)。何を重視するかによって取るべき戦略もまったく変わるはずなのに、リオは、『開催すること』が目的になってしまっていたように思います。だとすると、その結果としての『クオリティ』に不足を感じたというのが私の正直な感想です。」

日本選手団の好成績を背景に、礼賛の声で満ちていた日本のメディアでは大会中目にすることが少なかった手厳しいコメント。
そして、これまでの準備の過程から、既に悪しき権威主義がチラホラ顔を覗かせているこの日本、東京で、4年後同じような感想を抱く人が出てこない保証は全くない。

「メディアの報道は勝ち負けや選手の言動に集中しがちですが、構造的・ビジネス的な問題を指摘するような報道もなされないと、改善の機運も生まれません。日本人選手の活躍による盛り上がりに水を差すようですが、あえて現地で感じた率直な思いを書かせていただいたのはそうした理由からです。」

という池田氏の問題提起がこれからのあっという間の4年間に生かされることを自分は願ってやまないし、この一コラムに目を通すためだけでも、今号を手に取る意義はあるのではないか、と思うところである*2

*1:“影”の部分は、むしろ時間を置いて振り返られるからこそ、しっとりと胸に染み込むものでもある。それが1年後なのか2年後なのか、それとも4年後が終わったさらにその先なのか、は分からないけれど。

*2:五輪総集編のNumberPLUSも間もなく発売されるようであるが・・・。

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