もう一度、戦う準備を。

泣いても笑っても、時間は刻一刻と過ぎていき、新しい一日、そして新しい一年は巡ってくる。
かれこれ10年近く続けているルーティンを無事終え、街中を歩いても、テレビのチャンネルを回してもどことなく漂ってくる緩んだ空気にかったるさを感じながら、残り少ない休暇を惜しむ・・・それが元旦。

年の初めに目標を立てて、その実現に向けて真摯に取り組む、なんてことは、とっくの昔にやめてしまっている*1自分が、1月1日に何を語っても説得力はないのだけど、今思っていることがあるとすれば、それは、もう一度感性を研ぎ澄まして「戦う」準備をすること、だろうか。

元々、紛争事案には事欠かない環境で「法務」というポジションに飛び込み、はったりになけなしのロジックを混ぜながら腕を磨いてきた、というのが自分の原点だったわけだが、長い歳月の中で、その後の「予防法務」ブームだとか、「コンプライアンス」ブームといった波に巻き込まれ、知らず知らずのうちに、“お利口さん”な方向に舵を切ってしまっていたところはあったような気がする*2

いつの間にか、「就職活動の時から『法務部門』という選択肢が存在した世代」が過半を占めるようになった組織の中で、喧嘩の仕方を知らない世代の言動を何となくそのまま受け入れそうになって、ギリギリのところでふと違和感に気付く、という状況では、とてもじゃないが本当の危機は乗り切れない。

長年、知識以上に大事にしてきた「直感」(勝負勘)をこれ以上鈍らせないように、もう一度、自分の目と足で様々な事例を拾い上げ、街中の雑踏の中の声に耳をそばだて、感性を磨き続ける。それだけは、日々忘れずに意識していきたいと思っている。

もちろん、会社全体で腰が据わっていなければ喧嘩はできないし、一人でどうあがいたところで、悪い意味でのドン・キホーテになってしまうから事はそう簡単ではないのだけれど、

「リスクがありそうだから、ここは慎重に。」などと、本物のリスクが顕在化する数百メートル手前のタイミングでバッテンサインを出すようなことはなるべくしないように、そして、相手が競合企業だろうが、当局だろうが、ネット上の見えない群衆だろうが、

「こちらに理がある限りは、筋を曲げない」

ということをギリギリまで貫けるように・・・。

それをやり切れれば、今の仕事にそこはかとなく感じている絶望感も、少しは変わってくるような気がするから。

*1:そもそも、短い休みの間の計画さえ、まともに立てない行き当たりばったりな人生である。

*2:もちろん、局地局地では、シビアな戦いをしないといけない場面はあったし、場数も経験値もそれなりに踏んではいるのだけど、全般的なマインドという点ではだいぶ鈍くなっていることは否定できない。あと、自分のステータスが上がるにつれて、元々は会社の外だけではなく中にもいた「敵」の存在が小さくなっていった、ということの影響も多少はある。

google-site-verification: google1520a0cd8d7ac6e8.html