「20年」という月日の重み。

今日の阪神競馬場最終レース後、既に調教師試験に合格し、来月からの転身が既定路線となっていた武幸四郎騎手の引退式が行われた。

2月の最終週、と言えば、昔から、定年になった調教師の勇退と新たに調教師に転向する騎手の引退のタイミング、と相場が決まっていて、今年の武(幸)騎手(と田中博康騎手)の最終騎乗、引退イベントも毎年のことと言えばそれまでのこと。

ただ、武幸四郎騎手がデビュー2日目にして鮮烈な1勝目(&初重賞勝利)を挙げた1997年、というのは自分にとって特別な年であり、時にはついこの前のことのように思い返してしまう時代でもあるだけに、今回は、これまでに引退したベテラン騎手たちの時とは全く異なる感情に襲われたのも事実だった。

とにかく一日一日を乗り切ることに必死で、文字通り「生活のために」馬券を買っていた人間にとって、そんなに巧い騎乗をしているようにも見えないのに、親父の馬に乗って美味しいところを持って行ってしまう七光りジョッキーの存在というのは、何とも腹立たしいことこの上なかったわけで*1、普通なら暖かく見守る新人ジョッキーの中でも、彼だけは素直に応援できなかった、ということは良く覚えている*2

注目度も実績も常に同期の先頭を切り、4年目には早くもG1勝利まで収める、という順調な出世を遂げていたはずが、いつしか同期の秋山、勝浦に大きく水を開けられる結果となり*3、2013年にメイショウマンボオークスを制覇した時には、「あまりに勝てていなかったこと」が話題になってしまう状況にまで陥ってしまった*4のを見て、人生一筋縄ではいかないものだなぁ、と思ったものだが、それでもここまでに積み上げた勝ち星は693勝。

兄・武豊騎手をはじめ、40代ジョッキーがまだまだ現役で頑張っている今の競馬界、38歳という若さで転身を図るとは夢にも思わなかっただけに、いろいろと考えさせられるところは多い。

前週まで894勝、まだまだコンスタントに勝ち星を挙げ続けている秋山真一郎騎手、そして前週まで通算829勝、ローカルを中心に最近では秋山騎手を上回るペースで勝ち星を挙げるようになってきた勝浦正樹騎手、と同期のエースたちは東西で健在だし、村田一誠騎手、武士沢友治騎手といった渋い脇役たちもまだ現役*5。そんな状況で自ら鞭を置く決断をした本人の心境はターフの外から彼の騎乗を眺めていただけの人間には想像もつかないのだけれど、間もなく2年目に突入する藤田菜七子騎手の生まれ年があの1997年(しかも武幸四郎騎手のデビューの日より後・・・)、という話を聞いてしまうと、「20年」というのは短いようでやっぱり長い時間だったのだな、と思わずにはいられなかった。

なお、あれだけ鮮烈なデビューを飾ったジョッキーだけに最後もまたド派手に飾るんじゃないか、と期待して今日細々と勝った馬券はことごとく紙屑になってしまったのだけれど(やはり世の中、そんなにうまくはできていない)、中山記念の馬柱に上り馬、かつ人気薄の「サクラ」を見つけて迷わず買うことができたのは、今日一日、あの頃からずっとつながってきた競馬の歴史に思いを馳せていたがゆえの副産物、ということで*6、これでようやく20年越しの恩讐を超えられたかな、と(笑)。

*1:しかもあのマイラーズカップは、ヤマニンパラダイスの復活を確信してほぼ心中したレースだったからなおさらだ(苦笑)。

*2:その代わりに、勝浦騎手の馬券は穴狙いで良く買ったのだけれど。

*3:ソングオブウインド菊花賞のレースは実は目の前で目撃したのだが、あの時点ですら、既に“久しぶりに幸四郎の名前聞いたな”感があった。

*4:http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20130519/1369071768参照。もっともその後、同馬でG1での勝ち鞍2つを上積みしたあたりは、やはり持っている、というべきなのかもしれない。

*5:松田大作騎手は、ここに来て花を咲かせ始めたところで残念なことになってしまったが・・・。

*6:サクラローレル中山記念制覇は幸四郎騎手のデビュー前年の1996年だし、「上がり馬」といってもローレルとアンプルールとでは実績が全く違うから(ローレルは曲がりなりにも重賞を勝っていた馬、それに引き替え今日のアンプルールは重賞初挑戦)、いわばこじつけ的な閃きだったわけだが、それでも勝てば全てが福の神、である。何と言っても母系にサクラクレア―の名前を見ることができる馬が重賞ロードに乗ったのが嬉しくてしょうがない。

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