プレミアム感のない金曜日とホワイトカラー・エグゼンプション

2月に始まったときはそれなりに話題になっていたものの、「月末最後の金曜日」をターゲットにする、という、企業の中で働く人々の空気を全く読まない施策だったために、もはや誰の脳裏にも残っていない「プレミアム・フライデー」*1

当然のことながら、目の前に山積みになった仕事をほかして15時、16時に上がろうものなら、依頼者が困る、そして、何よりも翌日以降、自分の首を絞める、ということで、今月も全くプレミアム感のない月末の金曜日だった。

で、そんな中、ここ数日報道されている「ホワイトカラー・エグゼンプション」をめぐる迷走ぶりにも、どうしても思いが向かってしまうわけで・・・。

このブログを開設当初から読んでいただいている方であれば、御存じかもしれないが、自分は元々、「労働時間規制」に対しては極めて懐疑的な感情を抱いている。
善良な会社であればあるほど、「良く働く社員」の頭を押さえつける風潮があるのが今の日本社会なわけで、特に月末、残業時間が三六協定の上限時間に接近してくると、労働時間を管理する部署からしつこく「働かせるな」というアラートが飛んでくる。

自分も、まだ残業手当をもらえる身分だった頃は、月の半ばくらいから、人事部−自部署の(直属の上司以外の)管理職連中から、残業時間についてネチネチ言われるたびに苛立ちを感じていたし、結局、板挟みになってしまう直属の上司を慮って、実労働時間を適当に丸めて申告することも日常茶飯事。

「それだったら、いっそのことドカンと給料もらう代わりに、労働時間規制を青天井にしてくれよ」

と日々思っていたのが、30代に差し掛かるかかからないか、くらいの頃だった。

時が流れ、名実ともに管理監督者となって久しい今の自分にとって、現在国会に上程されている「労働基準法等の一部を改正する法律案」が成立しようがしまいが、大して影響はない*2

ただ、あの頃と変わらない(時にはそれを凌駕する)時間を仕事に費やしていながら、報酬が費やした時間に比例した、あるいは、費やした時間の総量に対応したものになっていない、という不満は常に抱えているわけで、この手の議論をするたびに念仏のように唱えられる美辞麗句には正直辟易している*3

第41条の2 賃金、労働時間その他の当該事業場における労働条件に関する事項を調査審議し、事業主に対し当該事項について意見を述べることを目的とする委員会(使用者及び当該事業場の労働者を代表する者を構成員とするものに限る。)が設置された事業場において、当該委員会がその委員の5分の4以上の多数による議決により次に掲げる事項に関する決議をし、かつ、使用者が、厚生労働省令で定めるところにより当該決議を行政官庁に届け出た場合において、第2号に掲げる労働者の範囲に属する労働者(以下この項において「対象労働者」という。)であつて書面その他の厚生労働省令で定める方法によりその同意を得たものを当該事業場における第1号に掲げる業務に就かせたときは、この章で定める労働時間、休憩、休日及び深夜の割増賃金に関する規定は、対象労働者については適用しない。ただし、第3号又は第4号に規定する措置を使用者が講じていない場合は、この限りでない。
 一 高度の専門的知識等を必要とし、その性質上従事した時間と従事して得た成果との関連性が通常高くないと認められるものとして厚生労働省令で定める業務のうち、労働者に就かせることとする業務(以下この項において「対象業務」という。)
 二 この項の規定により労働する期間において次のいずれにも該当する労働者であつて、対象業務に就かせようとするものの範囲
  イ 使用者との間の書面その他の厚生労働省令で定める方法による合意に基づき職務が明確に定められていること。
  ロ 労働契約により使用者から支払われると見込まれる賃金の額を1年間当たりの賃金の額に換算した額が基準年間平均給与額(厚生労働省において作成する毎月勤労統計における毎月きまつて支給する給与の額を基礎として厚生労働省令で定めるところにより算定した労働者一人当たりの給与の平均額をいう。)の3倍の額を相当程度上回る水準として厚生労働省令で定める額以上であること。
(第3号以下は省略、強調筆者)

労働基準法に↑の一条文が加われば、少なくとも「高度プロフェッショナル」と定義される範囲の人材にとっての労働時間の概念は大きく変わることになるだろう。

ただ、時間の縛りから解放される代償として、少なからず失われるモチベーションもある、ということは、心にとめておく必要はあるように思う*4。制度適用の結果、定額給与が大幅に増えたとしても、嬉しいのはその瞬間だけで、次に襲ってくるのは、「膨大な仕事を前にしてどれだけ貴重な時間を費やしても、大して仕事をしていない周囲の同僚とほとんど変わらない給与しかもらえない」ことへの空しさだったりもする*5

そして、今の法案の内容を見る限り、対象となる人々は、労働時間規制の軛からは解放されるものの、使用者の細々とした指揮命令権からは明示的には解放されていない、ということにも注意が必要かな、と*6

いずれにしても、贅沢な金曜日を味わう代わりに果たした役割の分はきちんと報酬に反映されないと、やってられない人生、になってしまうわけで、秋から本気で議論を始める気があるのなら、その辺にも目を向けてほしいな、と思うところである(全く期待はしていないが)。

*1:個人的には、頭でっかちで掛け声ばかりが先行するこの4年ちょっとの日本を、最も象徴しているような施策じゃないか、と思っているところ(笑)。

*2:強いて言えば、自分の頃と比べても格段に厳しくなった「働かせるな」風潮の中、管理職として引き受けている「残業させられない部下の分の仕事」が少し減る、くらいだろうか。もっとも、自分の負担を減らすために部下を酷使する、というのは全くもって信条に反するので、仮に自分のチームのスタッフに新制度が適用されるようになったとしても、そういう方向に向かわせることはないだろう、と思っている。

*3:よく「仕事の効率を高めれば、残業しなくても同じ質の仕事ができる」などということを言っている輩は多いが、そういう連中は、大概アウトプットに求められる「質」の基準を最低限のところに引き下げることで、自分の論理を正当化しているところがあるように思う。特に専門性の強い仕事になればなるほど、リサーチやディスカッションに要した時間は、そのまま仕事の「質」に反映されてくるわけで、だからこそ多くの国の専門家の世界に「タイムチャージ」という文化が浸透している、ということも看過すべきではない。

*4:そもそも「性質上従事した時間と従事して得た成果との関連性が通常高くないと認められる」「高度の専門的知識等を必要と」する業務がどれだけ世の中にあるのか、ということも、長年「専門的知識を必要と」される業務に従事する者としては強く疑問を抱いているところである。知識と経験に裏打ちされた瞬間的な判断だけで片付く仕事も多々あることは否定しないが、それだけで日々を過ごしていたら、成果の質がそれ以上に向上することはないし、自身の知識・経験も劣化するだけである。

*5:もちろん、成果に応じたインセンティブの比重を大きくすれば、結果的に報われることにはなるのだが、今の日本の会社でそこまで大胆な手が打てるところは、決して多くはないはずだ。

*6:組織の中で働く以上、指揮命令権から完全に解放せよ、というのはさすがに無理があるのだが、部署への配属と担当ジョブの割り当て&懲戒権以外は行使させない(要は、縦のラインからは、いつ何時仕事をするかも含めて、仕事の進め方には一切介入させない、ということ)、といった規定を明文で突っ込む、ということも、考えてよいのではないか、と個人的には思うところ。

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