「経験」と「想像力」の間にあるもの。

年末、それも平成30年を目前に控えた年の瀬、ということもあって、どこのメディアでも比較的骨太な特集記事を見かけることが多いのだが、そんな中、日経朝刊に塩野七生氏の1面ぶち抜きインタビュー記事が掲載された。

彼女の著作を全て読んだわけではないが、いくつかの著作とインタビュー等での言動を見る限りでは、彼女の歴史観、価値観は自分のそれとはかなり乖離しているし、今回の記事の主要な部分も含めて、“マッチョなおばあちゃん”以上の印象は抱いていない*1

ただ、今回の記事の中の以下のくだりには、ちょっと引き付けられるところはあった。

「総司令官の戦略、戦術の成功はしょせんは兵士たちの働きにかかる。総司令官が一介の兵士たちのことを一番分かるのは経験したからではない。彼らには想像力がある。経験しないと分からない人は想像力がない。よく下積みをやらなければ下積みの気持ちは分からないと言う。それはトップクラスには当てはまらない」(日本経済新聞2017年12月26日付朝刊・第6面、強調筆者)

誤解を避けるために言うと、自分は「下積み」的な経験を全くせずに、本当の意味での「司令官」になれる人間なんていないし、そうなれると思っている人がいるならただの勘違いだと思っている*2


塩野氏は、上のくだりに続くエピソードとして、

「戦後復興に携わった下河辺淳さんが国土事務次官を辞める時、松下電器産業(現パナソニック)の松下幸之助さんに『ぜひウチに来てくれ』と言われた。でもその時に『工場からやってくれ』と条件を出されたからやめた方がいいと考えたといいます」
松下幸之助さんは経営者として相当にバランスの取れた男です。しかし彼にも下積みをやらないと下積みのことは分からないという考えがあったのではないか。下河辺さんに言わせれば『それくらいの想像力がなくて国土計画なんてやっちゃいられない』と」(同上)

という話を紹介しているが、(そもそも「工場から」というのが「下積み」なのかどうかはさておき)工場の現場を知らずに、製造業の会社を動かすことなんてできないのだから、真偽はともかく、この話のとおりなら、下河辺氏の姿勢に賛成できるところは全くない*3

ただ、これだけ変化の激しい時代に、すべてを「経験しなければわからない」というスタンスでやろうとすると、人生にどれだけの時間があっても足りない、というのもまた事実である。

自分も、これまで「営業の現場」「交渉の現場」から叩き上げて今の仕事をやっているわけだし、結果的には「現場」の経験が恐ろしいほどいろんなところで生かせたからこそ、社内でも社外でもそれなりの地位にいられるのだけど、「法務」にしても「知財」にしてもカバーする領域はあまりに広く、その中身の変化も早すぎるから、長く続ければ続けるほど、本当の意味で「現場」を経験している領域は狭くなっていく。

そうなってくると、後は「想像力」でカバーするしかないわけで、それは、「事業部門」と「管理部門」という関係においてもそうだし、他の「管理部門」(財務とか人事とか)との関係においてもそうである*4

もちろん、勝手に頭の中で想像するだけでは全く意味がないから、徹底的なヒアリングとか、視察とか、時にはものの本に頼りつつ、経験則に当てはめていくことになるのだけれど、いずれにしても、会社の中である程度の立場になってくると、

「経験したことがないのでわかりません」

といったヒヨッた対応をすることは許されなくなるわけで*5、経験のよりどころがなくても、自分の職能と所管分野に引き付けて、何とか有益なコメントを捻り出さないといけない。

ゆえに、「トップクラスになるためには『想像力』が必要だし、それを備えてこそトップクラスの人材になれる」という意味では、塩野氏のコメントには頷かされるところが多かった。
そして、この話は、決して「組織」の中だけの話ではないよな、ということも、感じた次第である。

*1:元々、自分の場合アナーキスティックな傾向が強くて、特に、国家とか大企業に「優れたリーダー」なんて全く必要ない、と思っているクチだから(「優れたリーダー」が必要なのは、小さい組織を大きくするところまでで、その後は凡庸な人間が上で治めた方が、自由な気風の下で改革が加速する、という発想)、相容れるはずもない(笑)。

*2:日本の会社の「下積み」文化に問題があるとしたら、「『下積み』時代のどのような経験が、その人が本来担うべきポジションに行ったときに役立つか」という分析が十分なされないまま、「とりあえず経験しとけ」的な一種の「精神論」でことが進んでいるところ、だろう(将来のその人のキャリア設計に応じて、「下積み」にも有益なものとそうでないものがあることは否定できない。本当にトップレベルの人材はどんなに意味が乏しいように見える「下積み」も将来の武器に変えてしまうのだが・・・)。

*3:例えば、弁護士を中途採用する場合、いきなり本社の法務部門のようなところに配属するケースが多いのだが、社内での相談対応で相手とのコミュニケーションを取ることさえロクロクできていない人が多い(企業系法律事務所における弁護士・クライアント間のやり取りと、会社の中でも法務部門・相談部署間のやり取りは、正直言ってコミュニケーションのレベルが数ランク違うから、法律事務所時代のやり方をそのまま持ち込んでしまった結果、「相手が持ってきた情報以外は何も引き出せない」「相手が求めていることの裏も把握できない」という『Eランク人材』に陥ってしまっているケースは決して少なくないように思われる)現状を見てしまうと、接客営業等の現場でいかに相手の心をつかむか、といったトレーニングを1〜2年やってもらってから配属した方がよっぽど良いのではないか、と思わずにはいられない。

*4:個人的には、他の管理部門の話は、どんなに専門的な領域の話だったとしても勘所は比較的掴みやすいのだけど、事業そのものの話は、相当高いレベルの想像力を働かせないとキャッチアップできない、という気がしている。

*5:正確に言うと、そういう答えをしている限り、「教科書の知識しか持たない専門家」以上の評価は得られないから、自ずから会社の大きな意思決定に関与する機会は奪われることになる。もちろん「専門家」のポジションに留まることに快感を抱ける人はそれでもよいのかもしれないが、そういうポジションに留まっている限り、普通の会社ではいずれ居場所はなくなる。

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