新年早々追悼エントリーが続いてしまうのだが、やはり、土曜日の朝に一報を聞いて、一言触れずにはいられなくなった。
「プロ野球中日のエースとして活躍し、監督としても中日、阪神、楽天を計4度のリーグ優勝に導いた星野仙一(ほしの・せんいち)さんが1月4日午前5時25分、病気のため死去した。70歳だった。」(日本経済新聞2018年1月6日付夕刊・第9面)
「星野仙一」という名前を聞いて何を思い浮かべるかは、人それぞれだろう。
自分などは、やっぱり、2003年のリーグ優勝で、長年耐えることしか知らなかった「タイガースファン」にようやく日の目を見させてくれた、という思いが一番なのだが、東北の人々にはまた一段と異なる思いがあるだろうし、一方で、名古屋の人にはまた異なる感情もあることだろう。そして、中日、阪神、楽天のいずれの球団にもシンパシーを感じない人々には、よりシニカルな感情が渦巻いているのかもしれない。
まだ投手分業制が確立していなかった現役時代、決して盤石の体制が整っていたとは言えなかった球団で、先発にリリーフにフル回転して残した146勝34セーブ、という成績は決して悪い数字ではないし、監督になって以降の通算1181勝、という数字も、歴代上位10傑*1に入っている。
選手時代にはリーグ優勝&沢村賞投手となり、監督になってからも率いた全てのチームでリーグ優勝を達成。最後の最後では、楽天で巨人を倒して日本一にも輝いた。
不幸な解任劇の犠牲となる監督も多い中、阪神でも楽天でも退任後にフロント入りして影響力を残せる栄誉に預かり、昨年、遂に野球殿堂入りまで果たしている。
野球人として、皆が欲しがるものはほとんどすべて手に入れた、と言っても過言ではない。
もちろん、いかに追悼記事だからといっても、誉めすぎかな、と感じるところはある。
特に、あちこちで飛び交っている「名将」という言葉は、星野監督が率いていたチームの熱狂的なファンだった者であればあるほど、すんなりとは受け入れられないところがあるはずだ。
いわば「アンチ巨人」のアイコンとしてのイメージをフルに活用してメディアを味方に付け、球団幹部や支援する財界人と強力なパイプを築いて、選手補強でもコーチ陣の編成でも常に首尾よく事を運ぶ。
だから、星野監督が就任すると、あっという間に「別のチーム」に生まれ変わって、それまでの低迷が嘘のような快進撃を始めるのであるが、他球団が羨むような戦力を抱えながら、特徴のない采配で、競った試合では星を落とすことも多かった*2。
「勝てる」というか「勝たないと」というムードを作り出すのが上手だったのだろう。
それゆえ、チームを勢いに乗せた時はとてつもない強さを発揮したが、そこで酷使された選手が一人、二人と戦線を離脱すると、それを跳ね返す策までは持ち合わせていない。
そして、現場の指揮官として何よりも致命的だったのは「短期決戦での弱さ」だった。
シリーズ仕様の柔軟な投手起用ができない、スランプに陥っている選手をそのまま使い続けて“逆シリーズ男”にしてしまう・・・*3。
それが、北京五輪での野球日本代表(特にG・G佐藤選手)の悲劇につながったところはあるし、仙台で再度チャンスを与えられ、田中将大投手、という一人で全てを決めてしまう超人的スターに恵まれていなければ、そのまま“汚点”として残ってしまった可能性もある*4。
今となっては、それも故人の“情の篤さ”の現れとして、前向きに語られることになるのだろうけど、その“情”にしても、全ての選手、コーチに対等に向けられていたわけではないような気がする*5。
ということで、何でもかんでも美談にされてしまうとちょっと引き気味になってしまうのだが、それでも世の中は、残された数字と作り上げられたイメージが全て。
現場だけでなく裏側も味方に付けて、「勝てるチーム」でのべ17年間指揮を執り続けた故人の真のマネジメント能力に対し、抱くのは敬意だけである。
できることなら、これからの追悼一色のムードの中で、グラウンド上での「監督」としての姿だけではなく、「勝てるチームを自ら築いた策士」としての星野仙一氏の実像が描かれることを願ってやまない。それが、今、もがきながら“現場”を率いている中間管理職(自分も含め)にとっての一つの気づきになるように思えてならないから・・・。
*1:長嶋茂雄氏より上だろうとは思っていたが、川上哲治氏を上回る数字、というのは凄い。
*2:戦力で劣るチームに策を授けて勝たせる、という点では、阪神、楽天の前任者(野村克也監督)の方が遥かに優れていたし、整えられた戦力の中でさらに選手を育てながら勝つ、という点で、指揮官としての能力は、同じ中日でも落合博満監督時代の方が遥かに高かったと思う。
*3:実のところ筆者も、2003年は「日本シリーズだけでも野村監督に采配を振るってもらえないものか・・・」と嘆いたものだった。
*4:あの2013年のポストシーズンにしても、第6戦、第7戦での田中投手の起用法は、決して誉められたものではなかった。結果的には「美談」になったから良かったものの・・・。
*5:中日時代は、選手としてもコーチとしても、小松辰雄に対してはとにかく冷淡だった印象があるし、阪神時代も重用したのは移籍組で、薮、川尻といった長年の功労者は脇に追いやられていた。楽天時代にも山崎武司選手が放出の憂き目にあっている。その意味で、若手選手の人心を掌握して育てた、という美談は、確執を起こしそうなベテランを権力を使ってスポイルする、という手管と表裏一体だったようにすら見えてしまう。