年が変わったばかりの時期、というのは、どこでもかしこでも高揚感が増すものらしく、あちこちで“壮大な”展望を打ち上げる記事が躍っている。
そして、日経紙の朝刊でも、とうとう社説にまで「テック社会を拓く」という見出しを付けて、「新時代」を煽り出した。
「金融取引をIT(情報技術)で簡素にする「フィンテック」、医療や人事に人工知能(AI)やビッグデータを活用する「メドテック」や「HRテック」――。デジタルテクノロジーが、これまで無縁と思われてきた暮らしやビジネスの隅々にまで入り込む時代が来ようとしている。こうした技術革新の波にうまく対応できるかどうかが、経済や社会の今後を左右する。」(日本経済新聞2018年1月7日付朝刊・第2面)
残念ながら「リーガルテック」は、まだ社説に取り上げられるほどポピュラーではないようだ(笑)。
というどうでもよい話はさておき、自分も、技術革新の波に乗っていく必要性を否定するつもりは全くないし、そもそも、今さらこんなことを言われるまでもなく、ビジネスの現場ではこの10年で仕事のやり方は漸進的に変化しているし、それは法務の世界でも例外ではない*1。
さらに遡れば、手書きの契約書や訴訟書面をタイプライターやワープロで清書して仰々しく持ち運んでいたのは、たかだか20年そこら前の話だったのだから、それに比べれば最近の「技術革新」なんて、実にかわいいものに過ぎない。
90年代、00年代のハード・ソフト両面での劇的な技術革新に比べると、最近の技術そのものの革新のスピードって実はスローになっていて*2、だから、最近、やたらめったら裾野を広げたがる傾向があるんじゃないかな、というのは、自分のうがった見方であるが、そうであったとしても、良いもの、使えるものはどんどん仕事の中に取り入れていけば良いではないか、と思うし、そういう観点からは別にこの社説の方向性にもケチを付けるつもりはない。
だが、問題は、この先に書かれていることにある。
「新技術をうまく生かせば、人口減により市場の縮小や労働力不足が進む中でも、企業の成長や生活の質の向上を実現できる。そのために壁となっている規制や慣習があれば、思い切って見直したい。」
「デジタル技術が新市場を生んだ先駆例が、一般住宅に有料で旅行者を泊める民泊だ。今年6月の新法施行で、民泊が全国で合法化される。これを機に大手企業が仲介業に名乗りを上げ、地方自治体が観光客誘致への活用を真剣に検討し始めた。2020年の市場規模は16年に比べ4倍に膨らむとの試算もある。従来の旅館やホテルは原則的に受付を置き、宿泊者の身元を直接、確認する義務があった。新法では民泊物件の場合、スマートフォンによる映像などでの遠隔確認を認めた。このため個人も民泊を手がけやすくなった。」(同上、強調筆者)
自分は、このくだりを見て、思わず吹き出しそうになってしまった。
なぜなら、ここでいう“テック社会”的な論調で「民泊」をプッシュしていた人々のもくろみは、(その論調ゆえに)一連の新法で完膚なきまでに打ち砕かれてしまっていて、「新法ができたから・・・」と明るく語れるような話は何一つ残っていないからだ。
元々、「民泊」というのは、ある種のニッチビジネスに過ぎない。
国内でも海外でも、普通の人が旅行に行くのであれば、きちんとした設備が整った宿泊施設に泊まりたい、と考えるのが当たり前。もちろん、いわゆる“貧乏旅行”需要や、相手国の日常の生活に触れたい、といった“ホームステイ”需要というのは一定数存在するから、そういうニーズを満たす媒介サービスにも当然一定の需要はあるわけだが、あくまでそれは旅行者・宿泊者市場全体の中で見れば「従」、というか、それ以前の「零細」なものに過ぎないわけで、世界中見回しても、「どこに行くにもairbnb」という人は極めて限られている*3。
要は、これはあくまで、(本当に取れるかどうかはともかく)リスクを取ってでも・・・という覚悟のあるユーザーと供給者の間で成り立つサービスであり、それ以上でもそれ以下でもない。そして、これが「旅」「宿泊」に何を求めるか、という人間の本質的な価値観と結びつく話である以上、供給側がズブの素人である限り、どれだけ技術革新が進んだとしても、将来的にその構図が変わることは考え難い*4。
だから、媒介サービスをビジネスとして進めるにしても、あくまで“ニッチ”な世界の話として細々と進めていれば大した軋轢にはなっていなかったはずだし、現に、「民泊」がホットイシューになり始めた頃までは、自分の居住地域の周辺でも、普通に“ニッチな来訪者”が地域住民と共存していた。
それが、某経済団体が「シェアリングエコノミー」の旗印の下、「受入可能人数約2500万人」「経済効果10兆円台」などというトンデモ資料を振りかざして煽るものだから、所管官庁の厚生労働省はカンカンに怒り出し、大した関心も抱いていなかった全旅連のような団体まで目覚めさせて、大反対運動を引き起こすことになり、挙句の果てには、警察まで旅館業法違反で動き出して、「新法」に頼らなければどうにもならない、というところにまで追い詰められてしまった。
結果、「1年当たりの宿泊日数上限180日」とか、当局による監督とか、といった、煩わしい規制が新たに加わり、「民泊」は、普通の人が気軽に「貸し手」になるにはあまりに重いものになってしまった*5。
そういった前提がありながら、
「テック社会での新たな規制やルールは、こうした技術の進化や機器の普及、消費者の意識の変化を前提にしたものでありたい。」(同上)
と言われても、脱力感しか生まれない。
そもそも、何でもかんでも「技術革新が生じたから、規制やルールを改めるべき」というのは論理の飛躍以外の何ものでもないわけで、「既存の規制やルールの下で新しいビジネスモデルがどう評価されるのか」とか、「既存の規制やルールとどう折り合いを付けるのか/折り合いを付ける根拠をどこに見出すか」ということを熟慮しないまま、安易に「規制を変えろ」と叫ぶ方向に向かっているのだとしたら、それは、ただの怠慢に過ぎないし、少なくとも法務の世界に関わる者が、そのような思考に陥ることは「プロ」として許されるものではない、と自分は思っている*6。
なお、この記事で続けて述べられている「ライドシェア」のように、技術革新が既存のビジネスモデルと真正面から衝突するケースについては、また異なる考慮をしなければならない*7のだが、それはまた別の機会に譲るとして、本ブログの賢明な読者の皆様には、くれぐれも「テック」というフレーズだけで思考停止に陥らないよう、心からお願いする次第である。
*1:その意味で、「これまで(技術革新と)無縁と思われてきた」世界が存在したのか、ということにそもそも疑問がある。
*2:ここまでは行ける、と思っていたものが意外と壁に突き当たってしまって、違う方向に開発の矛先を向けないといけなくなっている事例にも事欠かない。ロボティクスの技術なんかまさにその典型だろう。
*3:その意味で、既存サービスの代替ツールとして完全に定着していたUberとはかなり状況が異なる。
*4:もちろん、実績を積み重ねて供給側の設備、サービスが“プロ”並みに洗練されていくことによって、旅館・ホテルを完全に代替できるようになることは考えられるのだが、それはもはや「民泊」ではなく、立派な宿泊ビジネスなのだから、そこで初めて既存の事業者と比較して規制に載せるかどうか、という話が出てくる、というのが本来の姿である。
*5:それでも、一定の登録物件数を維持できれば、仲介業者のビジネスとしては採算ベースに乗るのかもしれないし、不動産業者等の「プロ」が市場参入することで、新たな市場が切り拓かれる可能性もあるだろうが、それは、元々描かれていた「シェアリングサービス」の絵からは程遠い世界である。
*6:関係者は、熟慮した結果があの派手なロビイング(?)だったのだ、というのかもしれないが、少なくとも「民泊」に関する動きを見ている限り、自分には到底そうは思えなかった。世界的にサービスで先行していたairbnbを日本国内で潰したい、という思惑があったのだとしたら、あのやり方で良かったのかもしれないけど、見知らぬ異国の人につかの間の空間を提供して、ささやかな楽しみを得ていた供給者にしてみれば、大いに迷惑な動きだったのは間違いない。
*7:いずれにしても、「技術革新による新しいビジネスなのだから、規制を改めるべき」と単純に片づけられる話では全くない。これは、あえて「テック社会」などというフレーズを持ち出すまでもなく、インターネットの普及による著作権の世界の問題として、10年以上前から議論されていることと完全に共通する話でもある。