その名は消えても、歌と曲は永遠に生き続ける。

週刊文春報道に端を発した、小室哲哉氏の引退記者会見。
いかに一時代を築いたクリエイターとはいえ、報道の中身そのものは(ここ数年巷でぶっ放されている「砲」に比べれば)それほどセンセーショナルなものとも思えなかったから、「引退」の一報を聞いた時は、「たぶん何か別の理由があるんだろうな」と思ったのだけど、やっぱり・・・である。

小室哲哉が不倫騒動受けて引退発表 KEIKOとの夫婦生活を述懐「会話のやりとりができなくなった」(ログミー)
https://logmi.jp/259289
(以下、後続リンクあり)

おそらく、これを読んで、「自己弁護の言い訳」と冷やかに眺めている人がいるのも承知はしているのだけど、やはり、身近な人間が脳機能障害や認知機能障害になった時の辛さ、って、経験したことのある者にしかわからない。そして、倒れる以前とは変わってしまった(しかも徐々にその症状が進行していく)妻と接しながら、自らも病み、老いを感じた時の絶望感は如何ばかりかと・・・。

深夜に読み続けるうちに、何とも言えない気持ちになってしまった自分がいた。

好むと好まざるとTKサウンドの似たようなイントロを一小節を聞いただけで、少なくともtrfか安室かglobeか華原か・・・といったことくらいは分かってしまうのが、自分たちの世代の悲しい性。

だからこそ、このブログでも時々「小室ファミリー」ネタを紹介したし*1、さらに遡れば本人の刑事訴訟の時にも何度か取り上げた*2

音楽に興味があろうがなかろうがその名を知らぬ者はいないほどの存在、そして「本業」の稼ぎでいえば、実質的に高額納税者番付トップ、と言えるようなポジションにも立ち、名声も冨も手に入れた稀代の成功者。

You Tubeには、自分も当時テレビで見ていた1996年-1997年の年越しライブ(@ヴェルファーレ)で、ミリオンアーティスト達に「YOU ARE THE ONE」*3を歌わせ、ノリノリでステージの主役を演じている小室氏の姿が残っている。時はまさに絶頂期。

そんな彼が、20年ちょっとの時を経て、妻の介護と自らの病と「かつての自分」を超えられないことの苦悩を吐露し、未練を口にしつつ涙を流して退場する、という姿を世に晒した、という事実には、人生の紆余曲折、という言葉を超えた衝撃がある。

自分の身に引き付けた時に、いろいろと思うことも多々あるのだけれど、それよりも何よりも、今は、「90年代」という時代を彩った数々の曲がこのまま埋もれてしまうことのないように、と願わずにはいられない。
そして、1997年の新年を「こねっと」として祝った看板女性ボーカリストたちが次々と一線を退いている中で、まだ歌える華原朋美に対してだけは、好き嫌いの感情を超えて、最後まで「現役」にしがみついていてくれ、という思いを込めずにはいられないのである・・・。

*1:http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20170924/1506275515http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20151205/1449420321

*2:http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20090615/1262452599など。

*3:ちなみにこの曲自体は、当時から??という感じだったし、今聞いても豪華メドレーということ以外にはそんなに見せ場のない曲だな、と思う。

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