22日の日経電子版に掲載された日産自動車の無資格検査問題に関する記事*1。
見出しの頭の「あの会社は何なんだ」というフレーズは相当強烈だし、「日産vs国交省、暗闘100日」というベタな中吊り広告で見かけるようなフレーズも印象的なのだが、読み進めていくと、なかなか考えさせられるものがある。
以前のエントリー*2でも書いたとおり、自分はこの問題を、他の品質偽装等の問題とは全く異質なものだと思っているし、「旧態依然のルールと実態の不整合」という、今の日本社会の病理を示す象徴的な事案ではないか、とすら思っている。
そして、書いた記者の意図には反しているかもしれないが、自分はこの記事を読んで、なおさらその思いを強くした。
例えば、以下のくだり。
「「検査そのものは確実に行われている。保安基準は満たしており、安心して使っていただける」。問題発覚直後の昨年10月2日の社長記者会見で西川が発した一言に、国交省は憤った。「無資格のものが交じっていればそれは規定違反。ルールに基づいていない検査は検査ではない」(同省幹部)」(強調筆者、以下同じ。)
日本の有識者は「コンプライアンス」を語る時に良く欧米諸国を引き合いに出すが、かの国々(特に英米法圏)では、様々な規制法令が極めて合目的的に解釈され、運用されている。
日本のように法律の条文がきめ細やかに作られていない、ということもあるのだが、競争法上の規制にしても、贈賄規制にしても、パーソナルデータの保護にしても、そして細かい各業界の規制法にしても、厳しく見られるのは「実質的に法の趣旨に反しているかどうか」であって、形式的な「違反」だけを捉えて指弾する、という文化はほぼ存在しない*3、といってよい*4。
世界屈指の自動車メーカー連合、日産・ルノー陣営のトップに長年君臨しているのは、ご存じカルロス・ゴーン氏だし、日産自動車の今のトップもその影響を強く受けた“国際派”と言われている。それゆえ、現経営陣が今回の一件に接し、社内での事実確認を終えた時点で、どういう印象を抱いたか、ということも容易に想像が付くところだ。
昨年11月に公表された日産自動車の調査報告書*5には、随所に、今回問題とされた「(検査資格を持たない)補助検査員による完成検査」がいかに危なげないものであるかを示すトピックが出てくる。
「追浜工場では、テスター検査において、補助検査員が完成検査を行うことが常態化していた。また、最終検査においても、補助検査員が完成検査を行うことがあった。具体的には、「見極め」と呼ばれる手続により、完成検査を構成する個々の検査工程ごとに、補助検査員が検査作業に習熟しているか否かを判断し、習熟していると判断された場合には、完成検査員として任命される前の段階であったとしても、当該検査工程を一人で行うことが許されていた。「見極め」においては、指導検査員が意図的に不具合を仕掛けた車両について、補助検査員が適切に不具合を検出できるか確認しており、不具合を検出した数と検出に要した時間に基づいて合否が判定されていた。」
「補助検査員の検査工程ごとの習熟度は、ILU 基準に基づき管理されていた。追浜工場では、「I」は「ラインタクト19内で一通り(80%)の組付けが出来る」、「L」は「その作業が一人前に出来る」、「U」は「標準作業の設定ができ、正しく指導できる」と定義され、補助検査員の習熟度は、工長が「技能訓練計画表」と呼ばれる書面により管理していた。「見極め」に合格した補助検査員は、完成検査員の資格を取得していなくても、「見極め」に合格した検査工程について一人で作業を行うことが許されていた。他方、完成検査員の資格を有していても、ある検査工程について「見極め」に合格していなければ、当該検査工程について一人で作業を行うことは許されていなかった(例えば、テスター検査工程のある工程について「見極め」に合格し、テスター検査に係る完成検査員の資格を有していても、テスター検査工程の別の工程について「見極め」に合格していなければ、当該別の工程について一人で作業することはできない。)。」(報告書23〜24頁)
もちろん、法令上の手続きと照らし合わせれば、いかに技能が認められたからといっても、資格を有していない「補助検査員」を検査に従事させることは、「違反行為」に他ならないし、調査報告書の中でも「検査工程に習熟した者が完成検査を行う以上、実質的には完成検査の適正性は担保されており、大きな問題ではないと考えていた。」という現場サイドのコメントは、「規範意識の鈍麻」という厳しい言葉で括られてしまっている。
そもそも、「補助検査員」が跋扈する背景となった操業体制の変更や育成期間を考慮しない要員補充、そして何よりも工場の「品質管理課長」といった立場にある者でも、現場の完成検査オペレーションの実態をほとんど把握していなかった、とされていること*6については、“体制のあり方”としていろいろと議論の余地があるのは事実だろう。
ただ、高精度なレベルで機械化、自動化が進んでいる今の工場で、致命的なバグが生じる可能性は極めて低いのが現実だし、そこに、現場で仕事を経験し、ある程度の習熟も経たと判定された者が一通りの検査をしている、となれば、保安基準上の安全性に疑問を抱く方がおかしい。
ゆえに、日産の調査報告書に記されている「事実」が真実であるという前提に立つ限り、おかしいのは日産側の対応ではなく、「法が付与した資格」の絶対性に固執し、道路車両運送法の合目的的な解釈から逸脱してこぶしを振り上げている役所側の対応、ということになりそうだし、最も厳しい表現を使うなら、国交省は「メンツを潰された」ことを逆恨みして、日産というグローバルメーカーに嫌がらせをしている、という見方すらできるところである。
前記電子版記事には、
「日産への怒りをあらわにする国交省も、振り上げた拳の落としどころがまだ見えていない。大臣の石井は日産の不正について「厳正に対処する」と繰り返すが、行政指導にとどめるのか、あるいは道路運送車両法違反で刑事告発を視野に入れるのかについては「まだ見通しさえ立っていない」(同省関係者)。」(前掲電子版記事)
というのも出てくるのだが、それも当然の話で、拳の降り下ろし先を間違えてうっかり刑事告発にまで話が進もうものなら、本格的法廷闘争で反撃を食らうことだって十分考えられる状況だから、賢明な役人なら、当然ここは慎重になるはずだ。
残念ながら、今の日本は、上記電子版記事の論調も含め、このニュースを見て「実質はともかく、法令の形式要件に違反した以上は・・・」と事業者を責める方向に向かいがちなのだが、賢い欧米人が今回のニュースとその反応に接したらどのような印象を抱くか、想像しただけでぞっとする。
「グローバル化」を国家的課題として叫んでいるにもかかわらず、マインドだけは未だに極東の島国のそれ、から切り替えられない*7、というところに個人的には強い問題意識を持っているところであるが、いつまでもこのような行政手法を継続して、グローバライズされた会社の国外流出リスクを背負うのがこの国にとって良いことなのかどうか。投げかけたところで、このエントリーをいったん締めることにしたい。
*1:有料会員限定:https://www.nikkei.com/article/DGXMZO25889190Z10C18A1000000/
*2:http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20171028/1509297367
*3:欧米の弁護士も、新しい法令、規制がリリースされた時の営業段階では多少リスクを煽ってくることもあるが、お金を払って契約して、ある程度信頼関係ができてくると、「当局がそんなこと問題にするはずがない。だからOK」的な意見を言ってくれることも増えてくる。
*4:逆に法令上禁止の趣旨が明確に読み取れないような行為でも、各法令が則る価値観に反するものと思えば、制裁の手を伸ばしてくることも稀ではない。
*5:https://www.nissan-global.com/PDF/20171117_report01.pdf
*6:自分はこのくだりに関しては、正直目を疑った。組織を守るための“逃げ口上”である可能性も皆無ではないが、「現場を知らない、現場を見ていない」というのは、コンプライアンスを語る以前の問題だと思う。
*7:あと、同じような傾向があるのは、お隣の国、くらいだろうか。