「場外戦」もまた楽し。

開幕まで1週間を切り、連日、選手団の現地入りが報じられるなど、ようやく“雰囲気”が出てきた平昌五輪。
その一方で、急転直下で参加することになった北朝鮮選手団とその関係者のニュースや、「平壌五輪」化しつつある状況への抗議行動のニュースも連日、政治面を賑わし、社会面にも、「寒さと低待遇に耐えかねてボイコットする五輪ボランティア」のような記事が躍っていたりする。

リオ五輪の時もそうだったが、大会が始まる直前は、各国のメディアが開催国に一斉に終結することもあって、日頃ならネタにもならないような、ちょっとしたことがやたら大きく取り上げられることも多い。ましてや、今回は、我らが日本にとっての長年の“宿敵”国での開催だけに、ちょっとしたチョンボや不協和音をあたかも「五輪の危機」であるかのように書きたがるメディアがいつも以上に多いような気がしている。

そういう状況下で過ごしていると、何となく感覚がマヒしてしまうのだけど・・・


北朝鮮」の一件を除けば、ボランティアがどうのこうの、だとか、開会式をめぐってどうのこうの、といった話は、今大会に始まったことではないわけで、実際に大会が始まってしまえば、すぐに“懐かしい話”に変わってしまいそうなものでしかない。

日本人は、どうしても「ほれ見たことか」という感情に陥りがちだし、「自分たちがやればもっといい対応ができる」というのを信じて疑っていないところがあるが、個人的には、2020年に向けた準備の方がよほど混乱を生じさせそうな気がしていて、笑っていられるのも今のうちだけ、高みの見物ができるのも今のうちだけ、という思いがよぎってしまうところもある。

ボランティアの話にしたって、今のこのご時世、全く何の見返りもない“純粋ボランティア”で仕事を引き受けてくれる人がいったいどれだけいるのか、そして、仮に引き受けてくれる人の頭数は揃ったとしても、唯々諾々と指示に従うだけ、ということになるかどうか、には大いに疑問の残るところで、一方で、集まったボランティアから万が一何も問題提起がなされなかったとしたら、それはそれで大問題*1

だから、

「隣の国を笑うものは、2年後に逆に笑われてしまうよ」

という言葉を胸に、何が起きても温かく見守るというのが、あるべき姿かな、と思わずにはいられない。

なお、繰り返しになるが、今の状況は、あくまで、大会が始まる前の今だからこそ味わえるもので、いずれ大会が始まれば、大会運営そのものに批判の手が上がることになっても、それ以外のところに目が向けられる機会はかなり減ることになるだろう。

だから、場外戦を楽しむことができるのも、「今だからこそ」なのである。

*1:それじゃ、今、揶揄されているどこかの将軍様の国と何ら変わりのないことになってしまう・・・。

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