まわり道ではなかった8年間。

連休最終日、「速報」テロップが立て続けに流れる嬉しい展開になった平昌五輪。
一晩で一気にメダリストが3人、ということになると、誰から取り上げようか、と悩むところだが、やはりここは一番良い色のメダリストから・・・。

「女子1500メートルが行われ、高木美帆日体大助手)が1分54秒55で自身初となる銀メダルを獲得した。スピードスケート女子の個人種目としては、1992年アルベールビル1500メートルの橋本聖子、94年リレハンメル5000メートルの山本宏美、98年長野500メートルの岡崎朋美の各銅メダルを上回る五輪最高成績。」(日本経済新聞2018年2月13日付朝刊・第27面、強調筆者、以下同じ。)

懐かしい往年の名選手のお名前と共に、そうか、そういえば女子のスピードスケートの最高順位って「銅」だったのか(しかも直近のメダリストとなると「長野」まで遡らないといけない・・・)、ということを思い起こさせてくれた高木美帆選手の快走。

何周もラップを刻む1500m、という種目で、ベテランのIreen WUST選手(オランダ)が先に出したタイムに僅か0.20差、というのは何とも悔しい結果だろうし、相手が既に過去3大会、個人種目だけでも3つ(パシュートを入れると4つ)の金メダルを持っているゴールドコレクターだった、ということを考えると、運命の女神がもう少し高木選手の方に転んでくれてもよかったのかな、と思うところはあるのだが、WUST選手との関係では、全てのラップタイムで一歩先を行かれてしまっているので、どう見ても力負け。

それよりは、同走したHeather BERGSMA選手(米国)*1のように極端に失速することなく、3位の選手に1分近く差を付けて「銀」を確保したことを前向きに称賛すべきだろう。

高木美帆選手と言えば、やっぱり、15歳という若さでの衝撃の五輪デビュー(バンクーバー)と、その後の蹉跌が、大会前から常にエピソードとして付きまとっていた選手で、祝勝記事の中にもそれはふんだんに盛り込まれている。

「若くして五輪に出たことで「勘違いして、思い上がっていた」と振り返る。練習をサボっていたわけではない。普通の高校生活、友達との時間を大切にした。「大げさにいえば、(スケートを)一生懸命頑張るということに抵抗を感じる自分がいた」。ソチ五輪シーズンの13年春。日本代表候補の合宿に行くと、周囲のピリピリした雰囲気、一本一本の練習にかける気迫に圧倒された。「五輪にそこまで一生懸命になる意味を見いだせていなかったのかもしれない」。今はそう思う。」(同上)

太字の部分は、スポーツの世界に限らず、幼い頃、若い頃から脚光を浴びて、大きな舞台に立ったことのある者には一種共通する思いだろうし、自分自身、非常に共感するところではあるのだけど、そこは激しい競争社会。いったん躓いてしまうと、そのままフェードアウト、ということになることも決して珍しくはないし、仮に戻ってきても、「大舞台に戻ってきた」というところでストーリーが終わってしまうことがほとんどだろう。

だからこそ、そこで単に「戻ってきた」というところを超えて、8年分の成長をきちんと形に残した彼女の「銀」には価値がある。

そして、「復活」といってもまだ23歳。今回優勝したWUST選手の年齢に達するまでには、まだあと2回も五輪出場のチャンスがある、ということも、今回の「銀」をより意義深いものにしているような気がするのである。

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「あのソチの落選がなかったら「今の自分はいない」と思う。戦いを終えて時間がたつと、うれしさの方が上回ってきたようだった。「自分に誇り、自信を持って残りのレースも挑んでいきたい」。スケートに全てをささげた4年間。努力は嘘をつかなかった。」(同上)

*1:彼女は同じ会場で行われた2017年距離別世界選手権でこの種目優勝していた選手でもあった。

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