「勝つべき者が勝つ」展開の痛快さ。

中盤に差し掛かっても「メダル」の報が止まらない平昌五輪。

前日のフィギュアスケートの快挙に続き、日曜日は遂に信州の誇り、小平奈緒選手が女子スピードスケート初の金メダルを取る、という(良く考えたら)大快挙を、いとも順当にやってのけてしまった。

これで、メダルの総数は、長野五輪に並ぶ10個目。
そして、2つ目の金メダルを取ったのもその時以来、ということで、20年の歴史の扉をこじ開ける実にめでたい展開になっている。

今回の五輪の特徴を挙げるなら、大会前から注目され「メダルを取るべき人」と定義づけられている選手たちが、ほぼ例外なく結果を残している、ということだろう。

大会前に出た五輪プレビューのNumberでは、「最強のふたり」として、表紙を飾った男子フィギュアスケート羽生結弦宇野昌磨選手のほか、スピードスケートの小平奈緒高木美帆選手、スキージャンプの高梨沙羅伊藤有希選手、といった選手たちが大きく取り上げられているのだが、風に泣いた伊藤選手を除けば、既に全員がメダルを獲得した。
また、過去の五輪で実績があり、Numberでも種目を代表して紹介されている平野歩夢選手(スノーボードハーフパイプ)、渡部暁斗選手(ノルディック複合)といった選手たちも、きっちり結果を残している。

もちろん、注目度では堀島行真選手や遠藤尚選手の陰に隠れていた原大智選手がモーグルで銅メダルを取ったり、逆に、悪コンディションに泣いた鬼塚雅選手や男子ジャンプ勢のように必ずしも結果を残せなかった選手たちもいるのだが、毎回、日本人にとっての冬季五輪が、わずかなサプライズと恒常的な失望の上に成り立っているものであったことを考えると、メダルの数は過去「タイ」でも、その中身、というか「重み」に格段の違いがあるような気がする。

この「期待に応えてきちんと結果を残す」という、プレッシャーに弱い日本人にとっては決して得意ではないことがなぜ今成し遂げられているのか、大会後にいろいろと分析がなされるのだろうけど、とにかく今は、当たり前のように勝つ、という“痛快”さを味わえる幸運をしっかりと噛みしめるべきではないかと思っている。

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