早すぎる時の流れの中で 〜7度目の「3・11」

ここ数年、3月に様々な出来事が集中していて、ブログもろくろく更新できないことが多いのだけれど、そんな中でもこの3月11日だけは必ず何か一言は残すようにしている。

ついこの前のことのように思い出されるあの日から、1年、2年、3年・・・と確実に時は過ぎ、とうとう数えてみたら「7年」。

自分の仕事は、あの頃も今も本質的に大きくは変わっていないし、身の周りの環境にも大した変化はない。
それゆえに時の流れを感じようがなかった、といえばそれまでなのかもしれないが、震災後のよもやまにいろいろとかかわってきた者にとっては、「消滅時効特例法」が可決されて「3年→10年」になった時の安堵感*1もあと3年しか続かない、ということに、少なからぬ衝撃を感じている。

毎年「被災の爪痕」を伝えてきた各メディアでも、日経紙が1面に「(被災都市が)中心部をコンパクトに再建」という記事を載せたように*2、かなり前向きなムードが前面に出ているのは確か。

忘れ去られ、消え去るよりは、前向きなニュースとして取り上げられる方が地域にとってもメリットは大きいのかもしれない。

ただ、どれだけ時が経っても、かの地には、未だ様々なもやもやが渦巻いている。
そして、そういった感情、魂の部分を抜きにしても、「災後処理」がまるで終わっていない分野がある、ということは、決して忘れられてはいけないと思っている。

金銭では取り戻せないものがある以上、どこまでいっても「完全な賠償」というものはあり得ないのかもしれないけれど、せめてそこに少しでも近づけるように。
そして、“フクシマ”という限られた地域に対してだけではなく、日本という国そのものに痛すぎる爪痕を残したあの事故の教訓を決して風化させないようにすることは、自分も含め、災後を生き続ける全ての者に課せられた義務、だと思うのである。

*1:当時のエントリーは、http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20131227/1388593404

*2:個人的には、取り上げられた地域の市街地の姿(「中心部」といっても、人が暮らすために活用できるエリアは決して広くなく、昼夜に賑わっているエリアは極めて小さい)も目に焼き付いているだけに、「人口密度が増えた」といったところで統計誤差の範囲内のレベルに過ぎないでしょう・・・という溜息はどうしても出てきてしまうのだが。

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