全てはその一矢、のために。

最近、ちょっと前までなら、「あり得ない」と言われてしまうようなタイプの組織不祥事がとみに顕在化しているような気がする。
ここ数年ずっと世を騒がせてきた某大手メーカーの件しかり、今まさにクライマックスを迎えつつある森友問題しかり。
公益通報した社内弁護士にコテコテの不利益処分をした結果、「訴訟」という伝家の宝刀を抜かれてしまった某精密機器メーカーの事例なども世に晒されているし、某住宅メーカーの社長、会長解任ドタバタ劇にしても、原因となった土地売買問題自体がこの規模の会社なら通常考えにくいレベルの話の上、その後の取締役会で「出来事」が起きた後の処理も不可思議である。

隠したところでいずれバレてしまうような“弥縫策”に走ったがゆえにかえって墓穴を掘ってしまった、というのは、かつては組織の末端にいる人々の失敗パターンだと思われていたし、今でもそういう人々が時々やらかすある種の伝統芸であることは否定しない。
ただ、最近の組織不祥事の中には、同じようなことを大きな組織の上級幹部が、場合によってはそのトップ自身が指示してやってしまう、というものも現実に見られるわけで、後から見れば、誰もが「何でそんなことを?」と思うようなことを「偉い人の指示だから」ということで誰も止められず、そして、その結果、どんどん問題となる作為・不作為がエスカレートしていって、やがて爆発・噴出し、万事休す・・・ということになることも多い。

一度、法を逸脱した作為に身を染めてしまうと、後で我に返って「こんなことをしてはいかん」と思ったところで、自分自身が既に加害者、不法行為者になってしまっているから、それが足かせになって軌道修正ができなくなる。スタンスを180度切り替えて、アホな指示を出した上司、トップを告発しようものなら、自分がしっぽ切りで生贄にされるだけ、だから、結局ズルズルと違法行為の隠ぺいに加担させられてしまう・・・。
森友事件などはそんなパターンの典型だといえるだろう。

こういった現象を、「今までだって多くの企業で起きていたこと」と開き直り、「社会の透明性が高くなったために、今までなら水面下で揉み消されていたものが目に見えるようになった証左だ」といえば、多少聞こえが良いのかもしれないが、意地悪な見方をすれば、かつて、社内外で「実力者」と呼ばれた人たちが絶妙のさじ加減で道を踏み外さずにギリギリのところで守っていたものが、跡を継ぐ人々の能力不足で露骨な違法・脱法行為に転化してしまっただけなんじゃないか、と思うところもある。

で、翻って、このような現象を別の角度から眺めたらどうなるか。

自分は「法務」というのは、たとえ上司の命令だろうが、極端な話、社長から直接下りてきた命令だろうが、“法”という武器を手に正面から向き合い、会社が誤った方向に行きそうになったら必死の覚悟で止める、ということが要求される仕事だと思っていて、それを体を張ってできる奴しか、「法務」人を名乗ってはいけないと思っている。その意味で、日本的な「忖度」は決して歓迎されないし、ましてや目をつむって違法行為の片棒を担ぐことなど到底許されることではない。

そして、組織全体が目に見える形で正義に反する方向に向かっている場合などは、まさに「法務」というセクションにいる者すべてが、職を賭してでも楔を打って、それを止めるために覚悟を決めなければいけない、と自分は思っている。

もちろん、悲しいことに、組織の中核にいる人たちの価値観が歪み、文字通り「会社が一体となって」(苦笑)法を犯す方向に向かっているような環境では、法務部門が横から口だしをする機会など、与えられもしないことがほとんど。そして、そんな状況でいくら格好つけて「職を賭してでも」といったところで、通常の日本の組織ではそのカードが一度しか切ることができないものである以上*1、ことの解決にはつながらないし、そういう状況に立ち会えば立ち会うほど、空しさしかこみ上げてこないことも多々あるのだけれど・・・。。


結局のところ、どんな組織でも「正規の意思決定のプロセス」というものが確立されている以上、そこに"横ヤリ”を入れることにはかなりの労力を要する。
ましてや、役員室の中で起こっているような出来事に対し、いきなりそこに飛び込んで行って意見を述べることなど「打ち首」を覚悟しなければできるものではない。

だから、上に掲げたような理想をいつでもどこでも実践できる、と信じるのは一種のお花畑信仰に過ぎないし、それにもかかわらず24時間365日、「法務」に関わる人々にそういった理想通りの生き様を求めるのは、安全な場所にいる空想主義者の単なる無責任な言説でしかないのは確かだ。

ただ、どんな醜悪な状況に陥っている組織でも、(その組織が完全な反社会的勢力でないのであれば)そのプロセスの中で、一度や二度は、社外の弁護士の助言を得ることも含めて、「法務」という職能に頼らざるを得ない時は必ず来る。

そして、そういったタイミングで「法務」としての見解を求められた時に、「違法なものは違法」と(時には社外専門家の言葉も借りて)ビシッと言い切ることができれば、ちょっとでも何かを動かすこと、変えることができるかもしれない・・・。

遅かれ早かれ、自分が組織を離れる時は来るわけで、そうなったらいくらでも今見聞きしたことを公にすることはできる。
また、そこまで行く前に良心の呵責に耐えきれなくなったら、社内通報*2でも社外通報でも、あらゆる手段を使って矢を放つことはあり得るのかもしれない。

だがその前に、目の前にボールが転がってくることを辛抱強く待つこと、そして、一度でもボールが転がってきたら、迷うことなくそれをゴールの中に叩きこむこと。
それこそが、今、自分の立場でやらなければいけないことだし、それが、正攻法で結果を残してこそ、という自分の美学に最も近い形でもある。

果たして、全ての真相が明らかになり、関わった者たちが断罪されるようになった時に、自分がどこで何をしているかは分からないけれど、今は精一杯の準備をして、いざという時に一発で形勢を逆転させられるような作戦を日々練ることが求められているのだ、と言い聞かせながら、もうしばらく今いる場所で、生きてみようと思っている。

*1:辞めてしまえばそれまでで、それ以上に組織内にコミットすることは不可能である。

*2:組織全体が狂った方向に向かっている時には、事実上ほとんど意味をなさないものなのも確かだが・・・。

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