権力は常に腐敗する。

月曜日の夕方、いきなり飛び込んできた「カルロス・ゴーン会長逮捕へ」のニュース。
瞬く間に続報も配信され、長年、日産自動車の「改革」の象徴だったカリスマ経営者の名誉は地に堕ちた。

報道されている事実が真実かどうかは、いずれ第三者委員会の報告書なり、司法府での審理の過程で明らかになることだとは思うのだが、本件の筋の悪さは、

(1)実際の報酬よりも少ない額を有価証券報告書に記載した
(2)私的な目的で投資金を支出した
(3)私的な目的で経費を支出した

という3つの「罪」が内部の調査で明らかになった、とされながら、今回の逮捕劇が3つの中で一番どうでもよい(・・・というと語弊があるかもしれないが、要は会社にとって責任追及すべき本丸ではない)(1)の金商法違反でなされていること*1、そして、「私的な目的で会社資産を費消した」という企業経営者としては致命的な問題点を会社が事前に把握していたにもかかわらす、自主的な引責辞任や取締役会での議論ではない「司直による捜査」が“解任劇”のスタートラインになっている、ということにある。

ここに至るまでの経緯は、今後、様々なところで、多少の盛り付けを経つつ克明に描かれることになるのだろう。
ただ、後日、どれだけ話が美化されたとしても、今日の時点での一連のドタバタ劇は、会社が「自主的に統治機能を発揮してトップの首をすげ替える」という責任を放棄した結果、あるいは、「責任を発揮したくてもできないくらい統治機能が崩壊していた」結果であることは全く否定できないわけで、自分も含め、会社の中で大なり小なり内部統制に関わっている人々からすれば、実に背筋が寒くなる話でもある。

最近話題になっているゴールドマンサックスの不祥事*2の例でもそうだが、どんなに立派な企業統治、内部統制の仕組みを作ったとしても、トップが自ら不正を指揮している場合には何ら機能しない、ということを、これまで経営改革、組織改革の手本とされてきた日本有数の自動車会社が証明してしまった、ということの意味は重い*3

そして、ありふれた話にはなるが、今回の事件の背景に「カルロス・ゴーン氏が20世紀の末から足掛け20年近く事実上のトップの座に君臨していた」という事実があることは間違いないわけで、「権力は腐敗する、絶対的権力は絶対に腐敗する。」という言葉の重さを、企業経営に関わる全ての者が改めて顧みなければならない、とも思うところである。

*1:外形的に立証が容易なので、東京地検も事件の入り口としては手を付けやすかった、というのは容易に推察できるところで、今後、過少納税等の方にも捜査の手は及ぶのだろうが、今日の時点では、何となく本質からずれたところで火ぶたが切られた印象を受ける。

*2:1MDBの巨額不正事件にCEOレベルで関与していた、という話題。

*3:中には、「日産が(指名)委員会設置会社ではなかったからこんな問題が起きたのだ」といったピント外れの意見を述べる“有識者”も出てくるのかもしれないが、東芝の例を引くまでもなく、トップ自身の確信犯的不正に対してはいかなる内部統制体制も無力なのであり、それは監査役会設置会社だろうが、監査委員会、指名委員会設置会社だろうが変わらない。唯一違いがあるとしたら、取締役会議長を社外取締役に委ねている委員会設置会社だったら、「これから取締役会に解任を提案する」のではなく、「即日解任」という処理ができたかもしれない、ということだろうか。だが、それで何かが決定的に変わるわけでもない。

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