「立法」の議論に参加する上で常に自覚しておきたいこと。

年末年始で少しまとまった時間が取れたこともあって、読もうと思って溜め込んでいた書籍やら雑誌やらにちょこちょこと目を通していたのだが、そんな中、近頃のモヤモヤした頭の整理にちょうど良い論稿を見つけたので備忘も兼ねてご紹介しておくことにしたい。

田村善之「知的財産法学の課題-旅の途中」 知的財産法政策学研究第51号1頁(2018年) 
https://www.juris.hokudai.ac.jp/riilp/wp-content/uploads/sites/6/2018/12/51_01-%E5%B7%BB%E9%A0%AD_%E7%94%B0%E6%9D%91.pdf

田村教授が、知的財産法領域のテーマに関して、法解釈論はもちろんのこと、新たな制度設計のための「立法論」の観点からの意見提言も積極的に行っておられ、政策形成過程の分析等も取り込んだ「知的財産法政策学」を確立されて今日に至る、ということは、今さらご紹介するまでもないことだろうし、これまでに公表された著作、講演録の中でも田村教授の考え方は随所に示されている*1

今回ご紹介する論稿も、「講演録」の形式で、解釈論と立法論を融合させたこれまでの研究成果をコンパクトにまとめた体裁になっているものであり、これまでに様々なところで田村教授が発表してこられた内容から極端に何かが変わっている、というわけではない。

それでも、改めて読んで感じ入るところがあり、さらにここでご紹介しないといけないと思った最大の理由は、最近の審議会等での立法過程での議論を眺めていて、なんか雑だな・・・と感じさせられることが多くなったから、だろうか。

これは知的財産法領域に限った話ではないのだが、ここ数年、「結論ありき」に見えるような形で問題提起がなされ*2、制度を作ろうとする側もそれを阻もうとする側も、今一つ噛み合わない議論を繰り返した結果、いつの間にか新たな行為規制ルールができている、というパターンや、「本当に必要なの?」と思ってしまうような法改正要望に沿って立法に向けた議論が進められてしまう、というパターンが多くなっているような気がしていて、だからこそ原点に立ち返って考えたい、という思いに駆られたのだと思う。

論稿自体は非常に読みやすいので、ここで下手な紹介をするより、直接読んでいただくのが一番なのだが、自分がいつもキモだと思っているのは、知的財産法が扱う領域の”特殊性”とそれを自覚しない”ありがちな比喩”の危険性を指摘する以下のくだり。

「人の行為は多種多様に存在するところ、知的財産法はその中から類似するパターンを観念的に抽出して、それを無体物と名付けているのだと考えられます。つまり知的財産法が禁止しているのは、特定のパターンの人の行動にすぎないということです。」(前記10頁)
『知的財産』『知的創作物』というメタファには、実際に規制されているのは人の行為であるにもかかわらず、それが人の行為と無関係に切り離された、何かの客体であるかのような印象を人々に与えたり、あるいは人々が規制されている気がしないようにさせたりするという現実を覆い隠す効果があります。さらに言うと、ただ現実を覆い隠すだけではなくて、メタファによって人の行為から切り離されたうえに、それに『財産』とか『創作物』という言葉が与えられるために、そもそも他人のものだから、あるいは他人がつくったものだからという意識が醸成され、それによって(実態に何ら変化がないにもかかわらず)規制が受け入れられやすくなるという危険性もあるわけです。むしろ、私の理解では、知的財産権と呼ばれているものの実体は、政府による人工的な行為規制でしかないと思います。」(前記16頁、強調筆者)

もちろん、田村教授は「メタファを使う」ことの効用も指摘されているし、知的財産保護の背景に「自然権」的な発想を取り込むことも否定はされていない。
ただ、同時に「立法過程のバイアス」の問題もある中で*3、それを是正することの難しさも直截に指摘されており、「暫定的な対応策」の一つとして、「政策形成過程のバイアスに対抗するメタファやベイスラインを用いる」ことを提言した上で、

立法過程で「政府による行為規制」というメタファを選択して「知的財産権の規制を唱導する者の方が、公衆をしてそのような規制に対する得心を獲得させるためにより説得的な論拠を示す必要に迫られる」ようにする方が、「政策形成過程のバイアスと同一方向の認知バイアスを喚起する『知的財産権』『知的創作物』といったメタファを用いるよりはよっぽどましであるというのが私の考え方です。」(前記44~45頁)

とまとめておられる。

翻って現実を見れば、著作権の世界では先日のサイトブロッキングの議論がまだ記憶に新しいし、まもなくパブコメの募集が締め切られる「文化審議会著作権分科会法制・基本問題小委員会中間まとめ」*4の中でも当然のように上記のようなメタファは使われているし、未だに「知財立国」の名残が残っている著作権以外の領域ではもっと乱暴な『権利保護』の発想が飛び交っている状況。

世の中の他の流れと同様に、それを一朝一夕で変えていくのは難しいとは思うのだけれど、知財(特に産業財産権)に関しては、そろそろ政策のベースラインからして変えていかないといけない状況に差し掛かっているように思われるだけに、今一度原点に立ち返った頭の整理をしておくとともに、常に様々なバイアスの間で「バランス」を取る、という発想を持ち続けていたいところである。

*1:特にまとまったものとしては夏休みに読んでみた本(その3)〜知財法分野を語る上で必読の珠玉の講演録 - 企業法務戦士の雑感参照。またその後、知的財産法政策学研究の第44号で「日本の著作権のリフォーム論」も公表されている(https://www.juris.hokudai.ac.jp/riilp/wp-content/uploads/sites/6/2014/03/44_02-%E8%AB%96%E8%AA%AC_%E7%94%B0%E6%9D%91.pdf)。

*2:多くの場合、それに先行して観測気球が打ち上げられるのが常である。

*3:この点に関しては蘇った興奮〜「著作権研究」第39号を読んで。 - 企業法務戦士の雑感のエントリも参照されたい。

*4:内容はhttp://search.e-gov.go.jp/servlet/PcmFileDownload?seqNo=0000180847参照。多くの論点において「権利者保護」の視点が大前提としてインプットされ侵害者側の「悪質」さが強調されているがゆえに、規制手法の許容性に関する分析・検討が薄くなっている印象がある。またそもそも内容以前に、新年早々、一般企業では出社日が1日入るかどうかも分からないようなタイミングに締切を設定する、というのが何とも、な感じである(「文化審議会著作権分科会法制・基本問題小委員会中間まとめ」に関する意見募集の実施について | 文化庁)。