ここのところしばらく、家の中で「テレビ」というものをほとんど使っていなかったのだけど、さすがに今日は様々なことが気になってリモコンのスイッチに手を伸ばした。
自分は、「30年」という、前の時代に比べると長くはないが決して短いとは言えない時代を、多感な時期から人生の折り返し地点に差し掛かる時期まで、まさにど真ん中で駆け抜けてきた世代だから、様々な回顧的解説を耳にするたびにいろいろと思うところはあるわけだが、それを振り返りだすと、とてもではないが今日中にはエントリーを上げられないので、ここでは一つのテーマに絞る。
自分も含め、企業の中で「法務」という仕事にかかわった人々にとって、「平成」という時代は、まさに”右肩上がり”の時代だった、といっても過言ではなかったと思う。
まだいわゆる〝反社会的勢力”が、企業活動の表に近いところで跋扈し、名の知れた大企業ですら、道理よりも昔ながらの慣習と義理人情が前に出て人と会社を動かしていた平成初期から、時代を象徴するような「事件」や「不祥事」が度々繰り返され、SNSも含めたメディアの圧力等が増していった結果、現在の大企業では、少なくとも表立って「法令遵守」だとか「コンプライアンス」といった価値観を否定する経営トップは、ほとんどいなくなった。
そして、何がどう大事か、ということまでは分からなくても、「法務も大事」というムードが業界横断的に生まれた結果、契約だの訴訟だの取締役会だののお守りを、他の大きな部門の片隅で細々と行っていた「法務」の体制は増強され、いつしか「課」や「部」のレベルにまで昇格し、会社によっては「本部」の冠まで付されるくらいの大きな組織にまで"出世”した。
IT技術の進歩は、契約書の修正やその後のやり取り、さらには海の向こうの契約協議まで、法務部門が神出鬼没に絡むことを可能にし、「企業法務」を看板に掲げ、「法務」の重要性を喧伝してくれる複数の大型法律事務所の登場や、司法制度改革に伴い企業に流入した弁護士資格を持った社員の存在が、「法務」のプレゼンスを多少なりとも高めてくれたことも否定しない。
入社数年目に「法務をやってます」と自己紹介しても、ピンと来てくれる人がほとんどいなかった、というのが、平成前半の時代の自分の原体験(一種のトラウマ)だったりもするのだが、平成の終わりに近づいた時期から、入社時の採用面接の時点から目をキラキラさせて「法務希望」と唱えたり、「法務部門で何をやっているのか興味があるので教えてくれ」という新入社員が出てくるようになった。
もちろん、各社の事情によって部門の山&谷はそれぞれだろうし、全盛期だったのは5年前、10年前、今はむしろ停滞、縮小期に差し掛かっている、という会社も決して少なくはないのかもしれないが、それでも業界全体としてみれば、大企業から中堅、新興企業にまで「法務」の波が押し寄せてきた、という点で、この30年間、「法務部門」は拡大の一途を遂げてきた、という表現が適切だと思っている。
こうした背景の中、今日をもって「平成」が終わり、明日から「令和」という新しい時代を迎えることになる。
客観的に見れば、日が一日過ぎるだけで、すぐに世の中がそんなに大きく変わるわけではないし、日々仕事に追い立てられる中、つかの間の連休を楽しんでいる「法務」関係者自身が、〝節目”を意識することなど、ほとんどないだろうと思うのだが・・・。
自分は、これからの10年、20年で、企業内の「法務」という部門に逆風が吹くことはあっても、追い風が吹くことはほとんど期待できないのではないかと思っている。
日本企業全体の〝伸びしろ”が期待できない中、生産年齢人口の減少は続き、労働コストだけは上がり続ける。その結果、当然にやってくるのは管理部門の整理、縮小。
そして、「働き方改革」に象徴される「業務効率化」の波の中で、これまで技能を磨いた担当者が職人的熟練を発揮してきた「(従来型の)契約書レビュー」のような仕事が生き残れる保証もまるでない。
「法務部門」が担う業務が量・質ともにスケールダウンしていけば、若手担当者が企業内で場数を踏んで経験値を上げていく、という育成プロセスもこれまでのようには機能しなくなる。また、外から経験を積んだ弁護士を呼んでくればよいではないか、というご意見があるかもしれないが、「(依頼者から独立した)法律家」として身に付けたスキルと、企業内で「法務」の担当者に求められるスキルは似て非なるもの、というのは、これまで多くの会社で企業内法務の人間が実感として味合わされたことであり、「法務部門」が単なる「社内弁護士事務所」ではなく経営にコミットする〝生きた部門”として機能するためには、迎え入れた人がどれだけ外の事務所で経験を積んだ弁護士だったとしても(むしろこれまで「外」で経験を積んだ人だからこそ)、企業内で経験を積んだ者による「育成」が不可欠。だが、上記のような背景の下ではそれを行うリソースの確保すらいずれは難しくなる。
企業内で既に一定の経験を積んでいる者であれば、古典的大企業から他の新興企業、新興業界に渡り歩く、という手も使えるかもしれないが、その穴をスムーズな育成サイクルで埋められなくなれば、遅かれ早かれ部門としては廃れていく・・・。
これを読んで、「あまりにシナリオが悲観的過ぎる。自分がいる限り大丈夫。」と思われた読者の方は大勢いらっしゃるだろうし、自分もこういうストーリーが現実のものになっていく様をただ指をくわえて見守るつもりはなく、これから大きな流れの中で「法務」が生き残るための処方箋を考えることを、これからの生業としたいと考えているところ。
ただ、「近い未来」をシミュレーションして考えれば考えるほど、どういう形であれ「法務」が企業経営にコミットできる存在として生き残っていくためには、「中の人」も「外の人」も、今のそれぞれの会社での「法務」の立ち位置に合わせて、これまでの発想を大なり小なり転換していかないといけない、というのが、今の自分が辿り着いた結論だ、ということを、「平成」の最後の日にここに書き留めておくことにしたい*1。
*1:これは、今後に向けての一種の「予告編」であり、これから何度も自分が振り返るであろう「原点」でもある。