日本人ノーベル賞受賞の報を聞くたびに思うこと。

ここ数年、毎年のように理系分野では受賞者が出ているノーベル賞

そして、今回は、自分が科学への好奇心をもって生きていた時代の新技術、しかも企業に長く在籍していた開発者の受賞、ということもあって、自分のような門外漢にとってもインパクトの大きいニュースだった。

スウェーデン王立科学アカデミーは9日、2019年のノーベル化学賞を、旭化成の吉野彰名誉フェロー(71)、米テキサス大学のジョン・グッドイナフ教授(97)、米ニューヨーク州立大学のマイケル・スタンリー・ウィッティンガム卓越教授(77)に授与すると発表したスマートフォンや電気自動車(EV)に搭載するリチウムイオン電池の開発で主導的な役割を果たした。世界の人々の生活を変え、ITをはじめ産業の発展に貢献した業績が評価された。」(日本経済新聞2019年10月10日付朝刊・第1面、強調筆者、以下同じ。)

化学が苦手で理系をあきらめた自分には、偉大なノーベル化学賞受賞者の功績についてあれこれ語るような知見も資格もない。

ただ、今回の受賞者のインタビューの断片に接すると、ここ最近の受賞者から繰り返し唱えられている、「基礎研究」の重要性とそれを支える環境の充実を求める声は、今年も出るような気がしてならないし、自ら生み出す才能のない者にできる数少ないこととして、そういった声を取り上げずにはいられない。

「基礎研究は10個に1個あたればいい」。吉野氏は受賞決定後の日本経済新聞のインタビューで、こう述べた。日本の大学や企業ではイノベーションの創出力の衰えが指摘される。今回のノーベル賞受賞は挑戦する姿勢の重要性を改めて日本に突きつけている。」(日本経済新聞2019年10月10日付朝刊・第3面)

吉野氏が受賞につながる成果を出したのは、1980年代の半ば。日本の製造業が躍進を続けていた時代。そして、企業内の開発者、研究者にも専門家としての一定の独立性と裁量が与えられていた時代である。

もちろん、今でも、多額の予算をとって,基礎から地道に研究開発を行っている会社がなくなったわけではない、と思うのだけれど、大学ですら恵まれた研究の場ではない、と言われている昨今、「選択と集中」「成果達成へのコミットメント」が過剰なまでに要求される今の企業組織が、果たして基礎研究のゆりかごになり得るのか・・・

華やかな報道に接するたびに、絶望的な気分に駆られることも多かったのがここ数年の傾向だったのだが*1、17年ぶりの企業所属研究者の受賞、というビッグニュースが、何かのムーブメントを引き起こせるのか、ということに注目して、しばらくは動きを見守っていきたいと思っている。

*1:足元の寂しい状況に長年接してきただけになおさら・・・。

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