「自ら判断する」ために必要な情報を届けることの大切さ。

数日前から予告されていたとおり、今日は台風19号の接近に伴って朝から雨が降り続き、そして公共交通機関からスーパーまで生活を支える様々な都市機能も文字通り止まった。

自分の場合、元々「超地元密着」の行きつけの医院*1に行くくらいしか用事がなかったので、朝、前日さぼったあれこれの買い出しに追われたほかには特にアクシデントもなかったのだけど、3連休前半を直撃した自然災害だけに、一世一代の大事な予定が流れ、「仕方ないね・・・」と言いながら涙をのんだ方も決して少なくはなかったことと思う。

もちろん、「命を守る」ことは最優先

先月初めに襲来した台風15号が、関東圏にかなりのダメージをもたらし、しかも交通機関のオペレーションも含めて混乱が生じて批判を浴びたことも考えれば、安全サイドに振って、雨風が本格化する前から駅も空港も閉じてしまう、という判断は決して間違いではないし、小売店舗でも飲食店でも、その場で店を回すのが「人」である以上、最大級の風雨が予想され、交通機関がまともに動かない状況では、早々に閉めるという判断も妥当だろう*2

ただ、ちょっと気になったのは、ラジオから流れてくる「直ちに命を守る行動を・・・」とか、「数十年に一度の災害が差し迫っています・・・」といったフレーズの連呼

「3・11」の際の津波に始まり、その後の豪雨災害等の過程で「危機感が伝わらなかった」という非難があちこちから出て以来、NHKを中心に、災害に関する情報伝達の中で、こういうフレーズが繰り返し使われるようになって久しいし、それ自体を責めても仕方がない。

問題は、放送をそのまま聞いていても、じゃあその後にどうするんだ・・・?というのが分かる仕掛けになっていないところ。

気象庁の会見等も含め、「避難できる人は避難して、でも、指定避難場所にはこだわらなくていいから安全な場所で・・・」等々、同じような言い回しが繰り返されているのだが、どの地域の人々に向けて何を勧めているのか、聞いていても全く分からない。

今、どこで何が起きているのか、今回の台風で警戒すべきなのは、雨なのか風なのか、あるいは両方なのか。そういった局地的な情報をタイムリーに入手するのが難しい状況で、首都圏全域をカバーする公共放送を通じて伝えられることに限界があるのは分かる。

「3・11」やその後の災害の例を引くまでもなく、こういう時に頼れるのは「自分の状況判断」しかない、というのも分かり切ったことではある*3

でも、そうでなくても公共交通機関がストップし、外は強い雨、強い風、という状況の中で、抽象的なアナウンス、抽象的に広域に出される避難勧告・避難指示、その他、今一つ決め手がない諸々の情報だけで「動くか動かないか」を判断できる人がいるのだろうか・・・?

幸運にも、自分が住んでいる場所は高台だし、水辺からもだいぶ距離はあるし、近くに崖というような地形もない。そして、目の前の大通りに水が浮き、木が激しく揺さぶられているのを見れば、そんなに頭を使わなくても「ここにいるのが一番」の一択にたどり着けるのだけど、仮に自分の住んでいる家が平屋建てで、もう少し川縁に近かったとしたら、一体どう判断したか・・・。

今、確認できる情報だけで合理的な判断ができる自信は全くないし、その結果、判断を誤ったとして「自己責任」と言われたらやり切れない、という思いはある。


日本は北から南まで、昔から自然災害に泣かされてきた国。

だから「滅多に来ない」災害には弱いが、「頻繁に来る」災害への適応力は高い。

かつて沖縄観光中に、中心気圧の規模で言えば今回上陸したものよりも強い台風の直撃を食らったことがあるが、国際通りの居酒屋は何事もなかったかのように営業していて、吹きすさぶ強風に怯え(かといって空腹に耐えることもできず)這うように店にたどり着いた観光客に「こんなのいつものことですよ」と淡々と接していた*4

今回の台風19号で、何が飛ばされ、何が流されるかは分からないけど、先日の15号と合わせて繰り返された悲劇から学べること、それによって磨かれる感覚は間違いなくあるはず。

ただ、これだけ多くの、老若男女が住んでいるエリアで、「教訓」を体感する人がたくさん出てくるまで手をこまねくというのも、どうかな、と思うところはあるわけで・・・。

やはり必要なのは、具体的な情報。雨量、風速、東京湾の潮位や各河川の水位、そして、主要道路の冠水状況に、指定避難場所とその周辺の状況。

全てのエリアの情報をくまなく集めることはできなくても、ポイントポイントで情報を取ってくることは「仕組み」をうまく作ればできるはず。

そして、音声でもWebサイトでも、抽象的なアナウンスや数時間前の出来事を流す前に、できる限り「今」起きている事実を裏付けとなるデータとともに伝える

それが決して容易ではないことは、2011年の3月、4月、「対策本部」の中で、社内のダイレクトラインでの情報収集すらままならなかった経験からもよく分かっているつもりだが、災害が繰り返され、そのたびに「自ら判断」することの重要性を思い知らされている時だからこそ、その「判断」を支える公的機関にも、各メディアにも、もう一歩進んだ災害情報提供を目指してほしい、と思わずにはいられない。

多くの、甚大な犠牲を払っても、あの頃から変わったのが「”行動”を促すアナウンスのトーン」だけなのだとしたら、あまりに悲しすぎるから。

*1:自宅で開業されている医院で、患者もほとんどが徒歩圏内の近隣住民なので、今日も何事もなかったかのように診療していただけてありがたいことこの上なかった。これぞ本当の意味での「地域医療」だな・・・と。

*2:もしかしたら、明日朝の状況を見て、「やり過ぎ」とか「過剰反応」といった批判がどこかから湧いて出る可能性もあるだろうけど、そういう人たちは、こういう時に普段通りに動かしたら動かしたで、ああだこうだ言う人たちなので、まぁ放っておくのが吉だろう、と。

*3:「3・11」の時も、その後も、「逃げるために動いた」ことが裏目に出たケースは決して少なくない。そして、だからこそ、ああいうトーンのアナウンスになってしまうのだ、ということも、リスク管理に携わってきた者としては分からないではない。

*4:元々どの店も、強い風が吹いても看板とかそういった余計なものは飛ばない仕様になっているから、春一番が吹く日の東京と比べてもはるかに安全に道は歩けた。

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