あの夏の記憶は、決して遠い日の花火ではないけれど。

歳のせいか、最近、回想エントリばかりで恐縮だが、さすがに自分も反応せざるを得なかったローカルネットニュースの記事がある。

地下鉄東西線早稲田駅前の喫茶店「コーヒーハウス・シャノアール早稲田店」が1月13日、閉店した。」
高田馬場経済新聞2020年1月14日配信記事「早稲田駅前の喫茶店シャノアール」が閉店 31年の歴史に幕、店頭でも惜しむ声」 https://takadanobaba.keizai.biz/headline/335/より)

自分のこの店の記憶は、夏の盛り、海の日の3連休の思い出にリンクしている。 

・・・と書けば、往年の関東地区の受験生だった読者の皆様にはピンと来るはず。

論文試験の1科目目が終わり、2科目目が始まるまでのちょっと長めの休憩時間に、食糧補給とつかの間の一服を兼ねて使っていたのがこの店だった。

試験会場自体は、早大本部キャンパスの奥の方だったから、ここまで来ようと思ったらそれなりに距離があるのだが、何せ、あの試験を受け始めた頃は、昼休みに校舎内の廊下が人であふれ返るくらいのブーム最高潮期だったから、キャンパスの中はどこに行っても同類ばかりだし、正門を出て少々歩いたところでまだ人波は消えない。

だったら、いっそのこと早稲田通りの方まで行ってしまえ、ということで、思い切って飛び出したのは、2度目か3度目の受験の年だっただろうか*1

もちろん、模試の時だとか、他の用事があった時などには1階の書店とともに、時々使ったことのあるカフェだったし、だからこそそこに足を運んだのだが、今あるのは、僅かな時間の中で、午後からの2科目のために気持ちを切り替えることに頭がいっぱいだったなぁ、という記憶のみ。

自分の習性(一度決めたパターンは、よほどのことがないと変えない)で、店に行った時にオーダーしたメニューは、常にトースト&アイスコーヒーだったような気がするし、毎回、周りを見回して、他に同類の受験生がいないことを確認して安堵していた、という記憶も微かに残っていたりするのだが、そこでどういうルーティンをこなしていたか、といった話になってくると、かなりおぼろげな記憶になってしまう。

答練や短答試験の前後のことは今でもそこそこ覚えているのに、あの海の日3連休のイベントに関してだけは、「会場に入ってから一日が終わって帰路につくまで」の記憶が本当に漠然としていて、それだけ無我夢中で立ち向かっていたのだろうし、それだけ熱に冒されていたということなのかもしれない。

受験回数を重ねている間に、合格者数が10分の1になる、という、後にも先にももう二度と経験することはないであろう貴重な洗礼を受けたおかげで、最後の年は、静かな、心温まる雰囲気*2の中で2日間を過ごすことができたのだが、それでも最後の日まで自分はあのカフェを使ったはずだし、そこで頭を切り替えて振り絞った最後の気力が、「あと一歩」を乗り越える幸運にもつながった。

それは、自分が過ごしてきたそこそこ長い人生の中では、ほんのちょっと前、の話でしかなかったはずなのだけど、冒頭のようなニュースに接すると、一気に遠い昔の記憶のようになってしまう*3

そして、「学生時代の思い出」が詰まった利用者とは全く別の世界でこの空間を共有した者だからこそ、”その瞬間”に立ち会えなかったことに、僅かの無念さを感じているのである。

*1:最初の受験の時は、2日間ずっと試験の間はキャンパスの中にいたのだが、周りの受験生の熱に圧倒されて何もできなかった苦い思い出しかなく、だからこそ、解放されたわずかな時間だけでもあの「熱」から離れる、というのが、翌年以降、自分に課していたミッションだった。

*2:とにかく殺伐としていた受験会場は、試験が始まるギリギリまでお子さんをあやしていた女性受験生が、サポートに来たご主人にお子さんを預けて会場に入る姿を皆が優しい目線で見守ったり、最後の科目が終わった直後にどこからともなくお互いを称える拍手が沸き上がったり、という世界に変貌を遂げていた。

*3:そういえば、いつも初日が終わった後に疲れ切った頭で立ち寄っていたカフェも、昨年閉店となってしまったのだった。

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