最近、「成功事例」として長くもてはやされていたビジネスモデルの”軋み”を見せつけられることが多くなった気がする。
その典型がコンビニエンスストアのFCモデルで、セブンイレブンが1号店を出してから半世紀近く、その間に訪れた景気の谷すら勢いに変えて、増えることはあっても減ることはない、という錯覚すら抱かせるような勢いで長年規模を拡大してきたのに、最近は業績不振が伝えられ、どのチェーンも店舗数は縮減の一途。
そして、「東大阪の乱」に代表されるように、長い年数をかけて築き上げられてきたビジネスモデル自体が、あらゆる方面からの逆風に晒されているかのような状況である。
日経紙によれば、
「注目したいのは、店舗数こそ減ったものの、市場は底堅いという点だ。年間売上高は全店ベースで11兆1608億円と前年比1.7%増。既存店も微増で初めて10兆円を超えた。昨年は消費税率引き上げに伴い、キャッシュレス決済で大半の店で割引できる仕組みも導入された。追い風が吹いての増収ともいえるが、コンビニが飽和したとみるのは早計だ。」(日本経済新聞2020年1月23日付朝刊・第2面、強調筆者、以下同じ。)
ということで、戦略さえ間違えなければまだまだ伸ばせる、とされているのだが、裏返せば、そんな状況でも既にあちこちで紛争が勃発してしまっていること自体に、より深刻な問題があるともいえる。
で、この記事を見ながら思い出したのが、昨年末に出たジュリスト2020年1月号の特集、「フランチャイズと法」である。
- 作者:
- 出版社/メーカー: 有斐閣
- 発売日: 2019/12/25
- メディア: 雑誌
他の法律雑誌と比べて、「特集」の企画力では一枚も二枚も抜けているのがこの「ジュリスト」誌なのだが、中でもこの企画はかなり秀逸な部類に入るものだった。
法と経済学の観点からの分析に始まり、民法、消費者法、競争法、労働法と、それぞれの分野のスペシャリストの先生方が横断的に「フランチャイズ」を分析した記事を一挙にまとめている、ということ自体が貴重だし、森田修教授の論旨明快な巻頭論稿*1が、それぞれの論稿を有機的に連結・融合させて、全体をより味わい深いものにしている*2。
以下、各記事の中で、個人的に印象に残ったくだりを引用しておく。
松中学「契約による市場組織化-フランチャイズの経済分析と法」*3
この論稿は「フランチャイズが用いられる理由とその機能」について、経済学・経営学の議論を紹介した上で法的規制の方向性について示唆を与えようとするものであるが、その意味で、一番インパクトがあったのは、やはり以下のくだりということになるだろう。
「フランチャイズ自体が経済的に意味のある仕組みである以上、フランチャイズの基本的な機能を損ねる規制は望ましくないとはいえよう。特に、次の2点が重要である。」
「第1に、フランチャイジーに独立の事業者としてリターンを得る機会とリスクを同時に負わせることでモニタリングの必要性を低下させる仕組みに介入すると、フランチャイズの機能は大きく削がれる。そのため、脱法的な利用のような場面は別として、例えば、フランチャイジーを法的に労働者と扱って保護を与えるといった介入には慎重になる必要がある。」
「第2に、フランチャイジーの利益を損ねるようにみえる契約条項や慣行でも、事後的な観点から問題となっている当事者の利害だけをみてその効力を否定または制限すべきではない。」(21頁)
とかく「FCオーナーがかわいそう」という感情的視点から直截な「保護」に向かいがちなこの種の話において、ビジネスモデルやそれを支える契約モデルを冷静に分析して、偏ったバイアスによる政策形成に釘を刺す、という点で、この論稿は非常に貴重だと思うし、巻頭言の後、最初にこの論稿が出てくることで、それ以降に登場する各法からの分析*4をより客観的に眺めることができる、という点でも、実に意義ある論稿だな、と思ったところである*5。
もちろん、松中教授も今FCの現場で起きていることを無批判に正当化しようとしているわけではなく、「フランチャイズという長期的な契約にもとづく損益やコストの分配が、急速に変化する状況に十分に対応できていない」(22頁)という問題や、「フランチャイザー内部のガバナンス」の問題(23頁)を示唆して、理論的な帰結と現実との隙間を埋めようと試みられているのだが、いずれにしても、この種の話によくありがちな「法の介入がビジネスモデルの欠点だけでなく利点まで完全に潰してしまう」とか、「より深刻な問題を引き起こす」といったことを少しでも避けようと思うのであれば、この論稿で論じられていることは常に念頭に置く必要がある、と自分は思っている。
大澤彩「フランチャイズ契約と消費者契約法」*6
民法の観点から本部側の「更新拒絶」を制限すべきでは?という、加盟店側に親和性の高い論稿(木村義和「コンビニフランチャイズ契約の解消-本部による契約の更新拒絶問題」)に続いて掲載されたのが、大澤教授の消費者契約法の観点からの論稿であり、一部で唱えられている「消費者的事業者」への法の適用対象の拡張論に基づく検討がなされている。
ただ、もっとも興味深かったのは、最後の章で以下のようにまとめられていること。
「フランチャイズ契約の特殊性は、「消費者的事業者」を情報格差のみを理由として消費者契約法で保護することの困難性を浮き彫りにし、また、「事業」概念を情報格差のみで説明することに限界があることも示しているのではないか。そのことから、フランチャイジーの保護については、基本的には民法の信義則や公序良俗の適用において情報格差やリスク不均衡を考慮することによって図るべきである。」(35頁)
これに続いて「消費者法分野の適用範囲のあり方についても改めて検討すべき時期にあるのではないか」(35頁)と述べられていることからして、立法論としては保護を拡張すべき、という価値観がにじむ論稿ではあるのだが、そのようなベースに立っても、現行の法制度の下では「消費者契約法で受け止めることができるのかは疑問が残る」という考え方が示されている、という点で(当たり前と言えば当たり前のことなのだが)意味のある論稿だといえる。
大内伸哉「フランチャイズ経営と労働法-交渉力格差問題にどう取り組むべきか」*7
対照的だったのが、一連の問題の「主戦場」と目されている独禁法の視点で書かれた池田弁護士の論稿(池田毅「フランチャイズ取引と独占禁止法・経済法」)と、この大内教授の論稿である。
池田弁護士の論稿では、公取委のFCガイドラインを引きつつ、コンビニの本部・加盟店間で起きている問題を独禁法上の論点に精緻に当てはめていくことが試みられているのだが、状況的にセンシティブということもあってか、書きぶりは極めて慎重、という印象を受ける*8。
一方、大内教授の論稿は、いつもと変わらないフリースタイル。
既に平成31年2月6日に、2件の中労委命令(いずれも加盟者の労働者性を否定し、救済命令申立てを棄却した)が出ている状況ではあるが、そこに現れた「付言」を導線として、「労働者性」に関するこれまでの中労委の判断基準構築の歴史を紐解き、さらに加盟者側の「事業者性」の評価にも踏み込んでいく。
そして、最初に出てきた松中教授の論稿と同様に、フランチャイズ経営のビジネスモデルに立ち返りつつも、
「加盟者の抱えるリスクは、労働者のような直接的な指揮命令による人格支配を受けるリスクとは異なるが、経営に対する制約を通した指揮命令はされていると評価することも可能である。こうした零細事業者に、団体交渉による保護を及ぼす必要性と適切性がないとはいえないだろう。」
「また、加盟者は、実際上は『ハイリスク・ローリターン』に陥りやすいことからすると、労働法の保護により『リターン』はさておき『ローリスク』となっている労働者より、社会的な要保護性が低いともいえないであろう。」(48頁)
と介入の必要性をむしろ肯定する方向に筆を向けているところなどは、何を出発点にするかによって「モデル」の評価の仕方も変わり得る、ということを改めて教えてくれるものとなっている*9。
冒頭で紹介した中労委命令の「付言」を、”オチ”として最後に持ってきて締めるところ等、論稿の絶妙な構成にはいつもながら唸らされるのであるが、その過程で発せられた、
「(独立的な)零細個人事業者と(従属的な)労働者とは、現実の世界では連続的なものであるということを、法律の世界でもしっかりと認識したうえで、両者の間に強引に線を引き、労働法の世界と経済法の世界に分離するようなことのない統合的なルールの構築が必要なのである。」(49頁)
というフレーズこそが、この入り組んだ問題を考える上では、本当に至言だなぁ*10と感じさせられる。
ちなみに、同じ日の朝刊には、
「ネット通販サイト「楽天市場」を運営する楽天と一部出店者の対立が深まっている。出店者の任意団体は22日、一定額以上の購入者への送料を一律無料にする楽天の規約変更が独占禁止法に抵触するとして公正取引委員会に調査を求めた。送料の負担増のほか、罰金を伴う違反点数制度などへの反発もある。公取委の今後の判断次第ではプラットフォーマーと取引先の関係に影響を与える可能性がある。」(日本経済新聞2020年1月23日付朝刊・第13面)
という記事も載っていた。
実店舗か、Web上の店舗か、という違いはあるが、大手事業者対零細事業者、という構図はコンビニのフランチャイズと同じ。
そして、さすがに中労委に申し立てる、という話にこそなっていないものの、反対運動を展開している団体が、労働組合を彷彿させるような「ユニオン」という名称を冠して活動しているあたりも、いろいろな想像を掻き立てるところはある。
おそらく、コンビニにしても、インターネットモールにしても、1号店、2号店が出た頃は、チェーン本部も市場運営主体も、法的な立て付けはともかく、「新しいものを成功させる」という目標に向けた一種の運命共同体として、同じ方向を向いて事業をしていたはず。
また、その一方で、仕組み自体が海のモノとも山のモノとも分からない初期の頃に参入した加盟店やWeb店舗は、規模はともかくマインド的には「対等なプロ事業者」としての意識が強くて、運営ノウハウが確立されるまでは、むしろ本部や運営主体側が教わることも多かった、という話もしばしば耳にするところ。
そんな「一体感」と「独立性」の絶妙なバランスこそが、それぞれのビジネスモデルの成功につながったはずなのだが、もしかしたら、それが10年、20年経ち、仕組みが固まっていくにつれ、本部、運営者側は定型一律の契約書雛型に従って淡々と「規制」「指導」する立場になり、加盟店、出店者側も「受け身」で”ブランド”によっかかる事業者がそれなりに増えてきたことで、今のような事態になっているのではないかなぁ・・・と思うところもあったりする。
ビジネスの建付けが硬直化した結果、その根底にあるルールそのものをフレキシブルにすべき、という話が出てくるのは何とも皮肉な話ではあるのだが、逆に言えば、そうなる前に(あるいは今からでも)、現場の思考を柔軟にすることで深刻な事態に陥ることを回避できる可能性はあるような気がしていて、だからこそ、「契約(約款)」という手法を用いてビジネスのスキームを作り、運用を司る者(特に法務の人間)が、常に柔軟な思考を持ち続けること(&現場に持たせ続けること)こそが、ビジネスモデルの一番大事なところを壊さないための最善の策なのではないか、と思わずにはいられない。
以上、最後は蛇足になってしまったが、自戒も込めて。
*1:森田修「本特集に寄せて」ジュリスト1540号14頁(2020年)。
*2:このブログで紹介する機会を逸してしまったのだが、2019年12月号特集「消費増税の理論的検討」の巻頭論稿(藤谷武史「特集にあたって」ジュリスト1539号14頁(2019年))も、それを読むだけで特集を通じて訴えたかったメッセージが伝わってくる、というくらい見事に個性が発揮されたダイジェストだった。シンポジウムのコーディネーターの役割が極めて重要なのと同じで、巻頭の総括記事がしっかりと書かれていることがいかに大事か、ということを2号続けて思い知らされた。
*3:ジュリスト1540号17頁。
*4:背景にある思想信条は皆、様々であり、松中教授の志向される方向性とは明らかに真逆に見えるような論稿も登場するが、その読み方も含めて、最初に視座が提供されているのは意義がある、と自分は思っている。
*5:何かと批判されやすい「契約の一方的更新拒絶」も「フランチャイジーのモラルハザード防止」や「ロイヤリティの負担を低く抑える」という観点からは、むしろ手段として評価されるべき一面もある(20~21頁参照)ということは看過されるべきではないだろう、と自分も思っている。
*6:ジュリスト1540号30頁。
*7:ジュリスト1540号43頁。
*8:唯一踏み込んでいる印象を受けたのは「販売価格の制限」に該当するかどうかに関して、「FCガイドラインの記載はあくまで独禁法の原則論を述べたものであって、実際の執行が厳格に行われていないことからしても、FCにおける販売価格の制限は、当該チェーンの市場シェアが高いためにブランド内競争のみならず、ブランド間競争にも悪影響を及ぼしているような例外的な場合を除いて、独禁法違反にはならないと考えるのが妥当であろう」(40頁)と述べられたくだりだろうか。
*9:もっとも、ここで大内教授が言及している「介入」はあくまで集団的労使関係法のレベルにおけるもので、加盟店を直ちに個別的労使関係法の下での「労働者」として保護せよ、ということまで述べられているわけではない、ということには注意する必要がある。最後のまとめとして「対話の場」を設けることの意義に言及していることからしても(49頁)、松中論文と大内論文は、離れているようで最後は同じところに収束しているような気がする。
*10:ここでは経済法と労働法を対比する文脈で使われているが、消費者契約法との関係でも同じことは言えるだろうし、実務に携わっている者としては、非常に味わい深いメッセージだな、と思った次第である。