あれから1年、「プラットフォーム規制」の現在の到達点。

最近はこのブログも、もっぱらコロナの話題一色になってしまっているのだが、そうはいっても自分の中では一つの節目の日だったので、1年前に何を書いていたかな?と思って見返したら、そういえば以下のような記事だった。

k-houmu-sensi2005.hatenablog.com

ああそうだった、ちょうど1年前の今頃からいろいろと議論が盛り上がってきていたのだった、ということを何だか懐かしく思い出したりもしたのだが、結局その後どうなったかといえば、急ピッチで進められた議論の末、閣議決定された「特定デジタルプラットフォームの透明性及び公正性の向上に関する法律案」が現時点での到達点、ということになる。

www.meti.go.jp

既に法案も国会提出済み。

このご時世だからあまり報道はされていないが、着々と審議は進められたようで、衆議院のウェブサイトには、一昨日の4月23日に本会議で全会一致で可決(これから参議院で審議)、というステータスが表示されている*1

もちろん、今世界中で各国当局が悪戦苦闘しているような一筋縄ではいかない話だけに、これで全て解決、ということになるはずもないし、むしろ、法律案の附則第2項にある、

「政府は、この法律の施行後三年を目途として、この法律の規定の施行の状況及び経済社会情勢の変化を勘案し、この法律の規定について検討を加え、その結果に基づいて必要な措置を講ずるものとする。」(強調筆者)

という「施行後3年での見直し」のタイミングで出てくるスキームこそが、この国の「プラットフォーム規制」のあり様を決定づけることになるはず。

そんな背景の下、ジュリストの最新号(2020年5月号)では「プラットフォーム規制の現在地」という特集が組まれている。

ジュリスト 2020年 05 月号 [雑誌]

ジュリスト 2020年 05 月号 [雑誌]

  • 発売日: 2020/04/25
  • メディア: 雑誌

通常、大学の研究者の先生が基調となる論稿を載せて、それに基づいて展開されていくことが多いのが「ジュリスト」誌の企画の特徴なのだが、今回は、基調論稿を書かれているのが実務家の森亮二弁護士である*2

そしてこの森弁護士の全体像をクリアに整理された論稿と、EU法令との比較を中心とした研究者の先生方の論稿に続いて掲載された実務家の論稿が、ひときわ強い光を放っている、というのが今回の特集の見どころでもある。

特に、「主にプラットフォーム取引透明化法案と競争法を意識しつつ、プラットフォーム事業者側の視点から、プラットフォーム事業者に対する規律のあり方を検討する際に考慮すべきポイントを整理する」(33頁、強調筆者、以下同じ)というコンセプトで書かれた藤井康次郎弁護士、角田龍哉弁護士の連名による「プラットフォーム事業者側の視点」という論稿*3は、現在の政策の方向性に対して数々の鋭い指摘が散りばめられている、という点で必読の論稿だといえるだろう。

まず出だしの強烈な打ち込みから。

「プラットフォーム事業者は、そもそも誕生の経緯からして、あくまで営利を追求する私企業であって、公益を担うインフラ企業等とは一線を画する存在であることを忘れてはならない。」
「確かに、プラットフォーム事業の中には・・・(略)・・・事実上、商取引や情報の流通等の『基盤』としての機能を担うものも登場している。しかし、これは、ユーザーのニーズや利便性に対して忠実に創意工夫を発揮し、自由競争の下で、ビジネスを営んだ帰結である。」(以上33頁)

ここで比較される「インフラ企業」だって、今や多くは「営利を追求する私企業」なのだから、ここで一概に「一線を画する」という評価をされていること自体には個人的には賛同しかねるのだが(苦笑)、「プラットフォーム事業者」を殊更にパブリックなものとして位置付けるべきではない、という点については全く同感だし、それゆえに規制の「許容性」についても慎重に検討されるべき、という結論には大いに賛成できるところ。

今の時代、どんなプラットフォーム事業者にも必ず代替する存在はいるわけで、Facebookを使いたくなければ他のコミュニケーション手段に移行すればよいだけだし、検索サイトやECサイトにしても、GoogleAmazonが使えなくなるとさすがにちょっと困るけどそれも慣れ次第、ましてやそれ以外の国内勢のサイトなんてねぇ・・・という感じだから「公益」を前面に出した規制の在り方については、自分も前々から強い違和感を抱いていたところだし、最近の風潮に付き合わずにそこをストレートに叩いてきたところはさすがだな、と感じさせるものがある。

これに続くのが、事業者の「多様性」に考慮した制度設計を求める記述で、

「プラットフォーム事業者に対しては、枠にはめるかのような画一性を求めるのではなく、プラットフォーム事業者による多様な利害調整や、責任共有・分担のあり方を一時的には尊重する形で臨むべきであって、プラットフォーム取引透明化法案や各種の業規制等の観点からの介入には慎重な精査が必要である。」
競争法の文脈からも、プラットフォーム事業者の行為が正常な競争活動の範囲を逸脱していると軽々に認定することは控えるべきであり、また、プラットフォーム事業者の行為に正当な理由があるかについての十分な配慮も必要であろう。」(以上34~35頁)

このあたりも御意、御意、といった感じである。

続けて、規制手法に関し、

「規制におけるイノベーションへの配慮は、理念の宣言だけでなく、実運用を伴うことが不可欠である。」(35~36頁)

とチクリと述べられているあたりは、これまで別の規制分野に関して取られてきた運用への批判が込められているようにも読めるし、

「どのような基準で評価されるのかが分からない状況では、プラットフォーム事業者としては、評価軸が曖昧なまま、世論や政治的関心により形成される、いわば『空気感』により事実上統制されることを懸念し、萎縮効果を生む。さらに、こうした『空気感』による統制は、政府機関側において、その規制の具体的証拠や理論的根拠を緻密に精査・検証するインセンティブを奪うおそれもある。」(36頁)

という記述は、まさについ最近まで話題になっていた某社の事例や、某サイトの事例を彷彿させるような書きぶり。

自分の素朴な感想を申し上げるなら、全ての「プラットフォーム事業者」が、本稿で前提とされているような「中長期的に、各ステークホルダーと相互にメリットを享受し、ともにエコシステムの形成と強化に向けて成長していくことを目指すインセンティブを有している」か、といえば、若干の疑問はあるし、仮に「社是」や経営トップの思いがそうだったとしても、実際にビジネスや顧客対応の最前線に立っている担当者にまでそれが浸透していると言える会社がどれだけあるのか?という話になってくるとより疑問は強まるところもある*4

ただ、欧米の先鋭的な潮流に乗って「規制こそ正義」が如く論陣を張る関係者やメディア等もある中で、「評価軸」を中立的に設定し、「ネガティブなレッテルを軽々に貼らないようにす」べき、という点には全く異論のないところである。

そして、自分がこの論稿のクライマックスだな、と思ったのが、「規制の重複の問題」として、

「ある法令や指針との関係では適合的であると評価される行為に対して、実質的に同じ行為を同じ法益侵害の観点から検討しているにもかかわらず、別の法令に抵触する旨の評価を下すことは、プラットフォーム事業者にとって萎縮効果を与えるおそれがある」(37頁)

と本文に書いた上で付された脚注19)だろうか。

「典型的には、個人情報保護法違反ではない行為につき、プライバシー侵害というユーザーへの弊害のみを根拠に競争法違反を認定するようなことには慎重になるべきではないかと思われる。公正取引委員会個人情報保護委員会が公表した考え方等を、はたして個人情報保護法に違反していない行為であるにもかかわらず、競争法違反に問う余地が広範に存することを示唆するものとして理解すべきかは、慎重に検討すべき問題である」(37頁、脚注19)

慎重な言い回しに見えて、実にストレートに問題点を指摘しているこの「脚注」は、今、多くの実務者が抱えているモヤモヤ感に見事に応えるものとなっているといえるだろう。

2発目のパンチ

実務家が書く時は、無難な解説に終始することも珍しくないジュリストの企画において、これだけパンチの利いた様々な指摘が散りばめられている論稿に巡り合えると非常に満足度は高くなるのだが、それで終わらないのが今号の企画である。

先の藤井=角田論文に続いて掲載されているのが、元ヤフーの別所直哉・京都情報大学院大学教授の論稿*5なのだが、この内容も実に刺激的である。

何といっても書き出しからして、

これまでの多くの議論は『プラットフォーマーによるデータ寡占が問題である』というステレオタイプ化した課題観に偏っていて、全体像を反映していないのではないかと考えている。」(39頁、強調筆者、以下同じ)

という問題提起が出発点になっているのだから、その内容は推して知るべし、というところであろう。

本稿を貫いているのは、「GAFAが悪い、とよく言われているが、データ寡占等について具体的な弊害が生じているわけではない」という著者の認識であり、「個別の実態を詳細に調査し、事実に基づく法的評価を正しく行う前に問題があると決めつけてしまうことはできない」という一貫した思想である。

裏返せば、現実に問題が顕在化している「一国二制度問題」等については、より広範に検討を進めるべき、という結論になるし(41頁参照)、

「ビジネス上の創意工夫のひとつが、ポイント制や送料政策であることは否定しないが、仮に、それが不公正な取引方法に該当するのであれば、当然、法律上制約を受けても止むを得ないことになる。独占禁止法に抵触するような行為が認められないことをもってイノベーション阻害と言うことができないのは当然である。」(42頁)

というくだりに象徴されるように、事実に基づく法的評価が「クロ」なら、ダメなものはダメ、という点で、特に一部の国内事業者の動きに対しては、厳しい目を向けているように思われる*6

極めつけは、以下のくだりだろう。

関連する法令を正しく解釈していく能力を事業者が身につけないまま自由がないなどと批判をすることを認める必要はない。このような状況が見受けられなくなって初めて個人情報保護法イノベーションとの関係を論じることができるようになると考えている。」(43頁)

これは、個人情報保護法に関し「多くの事業者が例外規定を狭く解釈しすぎているきらいがある」という指摘に続いて出てきたコメントであるが、まぁなんと手厳しい・・・(笑)。

ただ、解釈論で切り抜けられる可能性も十分検討しないまま、すぐ「立法」に飛びつきがちな昨今の様々な分野での状況に鑑みると、これまで「法律に残る仕事」をしてこられた別所教授*7だからこそ呈することのできる「苦言」なのかな、という気もしている。

現在のプラットフォーム規制法案に対する、

「規制により具体的な負担が発生する場合は規制コストを考慮する必要があるが、気持ちの上で萎縮するからという理由は主観的なものにすぎない。それが、表現規制である場合には十分考慮しなければならないが、経済関連規制については制定を積極的に妨げる理由とはならない」(44頁)

というコメントといい、さらにこれに続く「事業者への期待」の項での記載といい、これまたジュリスト掲載論文としては相当尖った内容ではあるが、だからこそ実務者であれば、繰り返し読み返したい論稿でもある、と自分は思っている。

場外からの牽制球?

ジュリスト5月号の「特集」掲載記事のご紹介は以上のとおりだが、実は今号には、特集の「外」にも同じテーマで掲載されている論稿がある。

「時論」のコーナーに掲載された、川濱昇・京都大学教授「プラットフォーム事業者への『優越的地位の濫用』の『拡大』とその課題」(69頁)という論文である。

この論稿は、公取委が昨年12月17日に公表した「デジタル・プラットフォーム事業者と個人情報等を提供する消費者との取引における優越的地位の濫用に関する独占禁止法上の考え方」*8への「批判的な見解」を意識しつつ書かれたもので、基本的には当局見解をフォローするもの、というのが自分の理解なのだが、その中で、先に取り上げた藤井=角田論文の脚注19に正面から反駁するような記述があったので、ここでご紹介しておくことにしたい。

「『考え方』はあくまで優越的な地位を有する事業者の濫用を規制するものであって個人情報保護法とは保護法益を異にする。換言すれば、すべての個人情報取扱事業者を対象として、あらゆる場合に必要最小限の対応を求める個人情報保護法の規律ではカバーできない領域を扱う必要があり、これに対応したものであると言える」(73頁、強調筆者)

川濱教授は、この背景として、「個人情報保護の水準」=「品質水準」であり、優越的地位に基づいてそれを不当に低下させているのであれば、(個人情報保護法違反でなくても)優越的地位の濫用なのだ(73頁参照)、という考え方を示されているが、そのような考え方に対しては、「そもそも法令が定めた特定の基準をクリアした取扱いについて、『品質』の高低という尺度が曖昧な基準により別個の法的評価を加えることが妥当なのか?」という反論は当然想定されるだろう。

ただ、この見解が、おそらくこれからも延々と繰り返されるであろうこの独禁法個人情報保護法の交錯領域での議論に際し、一つの視座を示していることは間違いないし、それが同じ号の40ページほど後ろに掲載されることで、結果的に「特集」掲載稿での鋭い批判への牽制球となっていることも確かである。

どうせなら、特集の企画の中に並べて載せていただければなおよかったのかもしれないが、一冊の雑誌の中で、「5本立て」の特集掲載論稿に加えて、さらにもう一本、逆サイドからの解説論文に接することができる、というのは幸運以外の何物でもないわけで、だからこそ、ここであえて並べてご紹介させていただいた。

日本に限らず、多くの国で一時的に休戦状態になっているこの話題だが*9、おそらくは「コロナ後」により存在感を増すであろうと思われるのが、このインターネット系プラットフォーム事業者*10だと思われるだけに、関心のある方は、これからの行く末にも思いを寄せつつ本号をお読みになることをお薦めしたい。

*1:閣法 第201回国会 23 特定デジタルプラットフォームの透明性及び公正性の向上に関する法律案参照。

*2:森亮二「プラットフォームの法的責任と法規制の全体像」ジュリスト1545号14頁(2020年)

*3:藤井康次郎=角田龍哉「プラットフォーム事業者側の視点」ジュリスト1545号33頁(2020年)

*4:だからこそ、「政治」や「世論」に直結しかねないクレームがしばしば沸き上がってしまっているわけで、そういった現実にも目を向けないと執行機関側にとっては気の毒なことになってしまう。

*5:別所直哉「プラットフォーム規制とイノベーションジュリスト1545号39頁(2020年)。

*6:この点に関しては、そもそも「法的評価」の中に、効率性をはじめとするイノベーションの所産を正当化事由とすべきかどうか、という要素が織り込まれてしかるべきだから、単純に要件に当てはめて該当するからダメ、ということではないと思うのだが、最近の法改正でやたら目に付く「過度のイノベーション信奉」に釘を刺すべき、という観点においては、支持できる言説だと思われる。

*7:これまでの別所教授の足跡に関しては、こちらのエントリーを参照されたい。「ルール」を作る、ということ。 - 企業法務戦士の雑感 ~Season2~

*8:この「考え方」を案段階で紹介したエントリーは立ち返るべき原点が見えなくなってしまう前に -プラットフォーマーと個人情報を提供する消費者との取引における公取委ガイドライン(案)に関するメモ- - 企業法務戦士の雑感 ~Season2~である。

*9:なぜかフランスからは、執行当局が普段通りに振る舞っているかのようなニュースも伝わってくるが・・・。

*10:リアル系の「プラットフォーム」的役割を果たしていた事業者は、逆に・・・というところもあるので、なおさらである。

google-site-verification: google1520a0cd8d7ac6e8.html