今問われているのは、「個人情報保護」を言い訳にしない誠実さ。

一連の”コロナ騒動”が始まってから、「社員/従業員の感染が判明した場合のスタンス」が会社によってあまりに違い過ぎることがずっと気になっていた。

特に3月の終盤から4月にかけて感染者数が激増し、ある程度の規模の首都圏の会社なら、確率的に1人や2人は必ず罹患しているだろう、という状況になった時に、こまめに自社のウェブサイトで情報を発信する会社と、そうでない会社がはっきり分かれるようになってしまったことへの違和感はどうしても拭えなかった。

ようやく状況が落ち着いてきたこともあってか、GW中の日経紙には「従業員感染 公表悩む企業」という見出しでこの問題を取り上げる記事が掲載され、

「従業員が新型コロナウイルスに感染した際の外部公表について、企業が悩んでいる。法的な義務はないが、ネット上で「隠蔽」と批判される例が相次ぐ。一方で従業員のプライバシー侵害の恐れもあり、板挟みだ。行政側の足並みも乱れ、厚生労働省個人情報保護委員会、全国の自治体で見解がバラバラ。混乱に拍車がかかっている。」(日本経済新聞2020年5月6日付朝刊・第5面)

といったリードの下、各社の”悩み”が描かれている。

記事にも書かれているとおり、当然ながら個々の従業員のコロナウイルスへの感染状況を公表することについて、会社が何らかの法的な義務を負うわけではなく、こういった「公表」は、あくまで顧客の過度な不安を解消するための材料提供、あるいは、更なる感染拡大を抑制するための注意喚起として任意に行われるもの、と考えるべきだろう。

一方で、単に「感染した社員がいる」という情報を社外に公表するだけで、プライバシー権の侵害になることを恐れるのも過剰な反応に過ぎる気がする。

そもそも、勤務している部署と陽性が判明した事実を公表しただけで特定個人を識別することは不可能なので実質的な違法性はない、と考えることはできるし、取得した会社の中で氏名その他の情報と結びつけられて「個人データ」化している、という前提に立ったとしても、「番人」である個人情報保護委員会が公表している「新型コロナウイルス感染症の拡大防止を目的とした個人データの取扱いについて」*1の内容、特に別紙のQ&A*2では、「当初特定した利用目的の範囲を超えていたとしても、取引先での2次感染防止や事業活動の継続のため、また公衆衛生の向上のため必要がある場合」には本人同意不要、という見解まで示されているから(Q2:取引先に第三者提供する場合を想定)、よほどのことがない限り、個人情報保護法23条1項の例外要件に該当すると考えても罰は当たらなだろう。

だから、公表するのも自由、しないのも自由、あとは会社のスタンスで決めればよいのだから悩む必要ないじゃない、という話になっても不思議ではないのだが・・・


これは今に始まったことではないが、「法令等で明確な線引きがなされておらず、各社の裁量で決めればよい」というシチュエーションを苦手とする日本企業は多い

世論の関心が極めて高く、何か出せば同業他社等とも比較されてあれこれ言われる可能性が高い、というテーマ&状況であればなおさらで、だから必要以上に悩んでしまい、いざ「発生」という情報を把握した時に、タイムラグなく事実を公表する、というナチュラルな対応をし損ねた会社は結構多かったような気がする。

また、これは日頃の会社としての広報姿勢とも密接にかかわってくる話で、広報部門にしっかりとリソースを割き、どんな小さい話でも丁寧に対応しているような会社であれば、社内での検査状況や感染拡大状況を連日更新していくような荒業にも耐えられるのだが、そうでない会社だとそもそもその煩雑さに耐えきれない、だったら最初から出さない方がいい、という発想になっても全く不思議ではない。さらに言うと、仮に立派な広報部門を擁している会社でも、社内の情報が的確に入ってきておらず、事業、コーポレートサイドに都合の良い情報を垂れ流すだけの存在になっていたとしたら、今回のようなケースで機動的な動きができなくても全く不思議ではない*3

そういった背景を踏まえると、やはり自分は、

「義務がなくても、社内で感染事例が発生したら、もれなく速やかに公表すべき」

というのが、各企業がとるべきもっとも賢明な選択肢ではないかと思っている。

もし、その社員が、接客や外勤営業に従事していない人であったとしても、逐一、誠実に公表し続けていれば、「この会社は、社内の情報をきちんと把握しているな」「顧客と接点のある部署での状況も含めて、隠し立てせずオープンに対応しているな」という安心感を与えることになるし、ひいては「業績への影響」等、それ以外の開示スタンスにも信頼感を与えることになる。

逆にそれをしなければ、顧客も投資家も、それと真逆の受け止め方をする。

公表することで、重大な法的リスクを負う可能性がある、というならともかく、開示する内容にさえ注意を払えばそのリスクだって極めて低いわけだから、企業がとるべき合理的な判断として「公表しない」という選択肢はちょっと考えにくいような気がしてならないのである。

もちろん、様々な公表事例を見ていると、これはちょっといかがなものかな、と思うものも時々見かけるわけで、特に、「40代、男性」といった年齢、性別や、「○○県在住」、「●月×日に○○県が公表した事例の一人」といった情報まで含めてしまうと、悪意ある人々が自治体から公表されている情報と照合することで個人を特定されてしまう可能性が極めて高くなってしまう*4

また、「休暇を取って海外旅行に行っていたところ、帰国の翌日に発熱」とか、「同居する親族の陽性が判明したため、検査したところ陽性が判明」といった情報を付記している企業リリースも多いが、こういった「感染経路」は、保健所やクラスタ対策班が把握しておくべき状況ではあっても、企業のプレスとして公表すべき内容とはいえない、と自分は思っている*5

会社によっては、「社内では手洗いやマスク着用、検温等の対策を徹底していた」とか、「3月から原則在宅勤務体制をとっていた」等々の事実とこれらの情報を併記して、あたかも、”会社としてやるべきことはちゃんとやっていたんだから、コロナに罹患した社員が出たのは会社のせいじゃないもんね”というふうにすら読めてしまうリリースになってしまっている例もあるのだが、第三者の目で見ればそういうふうに受け止められること自体、みっともないような気がする。

あと、業界によっては、当該感染スタッフの属性に関して、「派遣社員」「契約社員」「アルバイト」とか、「取引先の従業員」といったように事細かく書かれているケースもあって、今の小売とか生産現場の雇用ポートフォリオの状況を伺い知ることができる、という点で個人的には興味深く見ているところだが、こと「コロナウイルス感染症に関するプレス」という見地から言えば、これらも何ら意味のない情報だというべきだろう*6

ということで、会社の立場で世の中のステークホルダーに対して公表すべき情報は以下の事項に尽きる、というのが自分の考えである。

・当該社員がどこで勤務していたか
・当該社員がどのような仕事をしていたか(顧客や取引先と頻繁に接点がある仕事だったか)
・陽性が判明するまでの勤務状況、及びその過程での症状等の有無
濃厚接触者と認定された範囲、人数
・当該社員が勤務していた職場でのその後の対応(店舗であれば休業するのかどうか、オフィスであれば閉鎖ないし他の社員への自宅待機指示をしたのかどうか等)

もちろん、当該担当者と接点のあった取引先には個別に連絡するのが通常だし、仮に部署全員自宅待機、というようなことになれば、取引先も「何事かが起きた」ということは当然知ることになるのだが、それをモヤモヤした形で聞かされるのと、公式リリースの形で会社からはっきり示されるのとでは、受け止め方もかなり変わってくる。

一部で議論になっていた、「コンビニ店員の勤務シフトまで開示すべきかどうか」という点に関しては、感染者がその人に限られているかどうかも分からない状況で、感染リスクが生じている状況を「特定」する必要性は乏しいし、ましてや、マスクをしての接客が定着し、日常、店頭でのやり取り程度ではそう簡単には感染しない、ということも明らかになりつつある今となっては「そこまでしなくても良い」という整理でよいと思うのだが、症状が出た状況で勤務していたのか、それとも、何らかの事情でシフトから外れていたタイミングで発症したのか、といったことくらいは、きちんと書いてほしいな、と思うところ。

濃厚接触者の人数などは、疫学的な話で一見すると企業活動とは関係なさそうにも思えるのだが、顧客、取引先にしても、投資家の視点から見ても、「次に何が起きるか」を予測できるリリースになっているかどうかは非常に重要だから、保健所から示された認定が会社にとって芳しいものではなかったとしても、誠実に公表するにこしたことはない*7

「職場での対応」も含め、各社で危機管理を担当している人々にとって、他社が開示してくれるこれらの情報は本当にありがたい”教材”だったりもするわけで、○○さんのリリースが参考になった、という話は時折耳にするところだし、筆者自身もいろいろとサンプルを集めて大いに活用していたりもする*8

これらは決して前向きな話ではないし、直面すると夜も眠れなくなるくらい逃げ場のないつらい話なのだが、一方で全ての会社と共有できる話でもある。だからこそ、姿の見えない読み手に向けて、自社の精一杯の努力を示すことは、決して後ろ向きなことではなく、むしろポジティブな作業として取り組んでほしいな、というのが自分の思いである。

そして最後に。

ここまで「社外」のステークホルダーを「読み手」と想定していろいろ書いてきたが、自社のリリースを一番熱心に読んでいるのは、自社の社員だったりもする

特に、もしかしたら自分にも影響があるかもしれない・・・という話題になればなおさらだ。

社外にきちんと情報を開示している会社は、当然その前段であるいは平行して社内にもきちんと情報を明らかにしていることが多いだろうが、仮に社内的にはそこまでオープンになっていなかったとしても、オフィシャルなリリースが出ていれば、社員もどこまでが取引先等に説明できる情報なのか、ということが分かるわけで、気持ち的にはかなり楽になる。

逆に、会社からオフィシャルなリリースが全く出ていなかったらどうなるか。

「外に出したくない」という社風が強い会社だと、SNS等での流出を恐れて、社内でもごく限られた範囲にしか情報を知らせていない、ということが多いだろうし、「そもそも把握できていない」という会社だと、当然社内全体になど知らせる術もない。

だけど、広いようで狭い社内のコミュニティ、噂のレベルでは「感染者が出たらしい」という話があっという間に広がるし、噂の精緻度が低ければ低いほど、「○○階の誰それじゃないか」とか「いや、××部の課長らしい」といったように本当か嘘かも分からない話が飛び交い始める*9

そのうちに「高熱を出しているのに無理やり出勤させていたらしい」とか、「××部長の送別会でクラスタが発生して、他にも○○人自宅待機になっているらしい」といったように、鰭がどんどん付いていき、クライマックスになったところで「当社は隠蔽している!」と、SNSにドンと出る。

別に顔の見えないSNS上のユーザーが「隠蔽だ!」と騒いだところで、会社の業績に与える影響などコロナウイルスの数万分の1ほどもないし、大メディアが騒ぎ始めるようなことにならない限り、知らぬ存ぜぬで通せばよい。

ただ、「外」に対してはそれで耐えられても、「中」に対してはそうはいかなかったりもする。

自分の知らないところで、自分のフロアの近くの人が実は感染していた、とか、自分の親しかった人が感染していた、といった話を後になってから聞かされて気分の良い者はいないし、逆に、同じ職場に感染して苦しんでいる人がいるのを見聞きしているのに、会社からは何らオフィシャルなリリースが出ていない、ということになれば、「この会社大丈夫か?」と思う社員は必ず一定数出てくる*10

だからこそ、今からでも遅くないから、「迷うな。そしてできる限り公表せよ。」ということを、自分は強く言い続けたい。


なお、冒頭で取り上げた日経紙の記事の隣には、「海外ではどうか?」ということを伝える記事も併記されており、

欧州連合EU)の一般データ保護規則(GDPR)や欧州各国のデータ保護法で、企業による従業員の個人情報の取得を制限する。フランスやイタリアの個人情報保護機関は「感染情報を把握すること自体、推奨しない」との指針を示す。」(同上)

という記述もある。

確かにそれは欧州の厳格な個人情報保護規制の一面ではあるのだが、裏返せばそこには「社員の健康管理」というものに対する意識の違いも反映されているわけで、会社が社員の健康までしっかり管理する義務を負わされ、健保組合が医療費の一部を負担するところまでやっているこの日本で、そこまで社員を「個人」として突き放す(よく言えば「尊重する」)発想は本来存在しないはずだし、こういう時だけ「プライバシー保護」などという発想を持ち込むのは、単なる言い訳とのそしりを受けても仕方ないだろう。

繰り返しになるが、公表は決して「義務」ではない。

だが、前記のような視点で、開示する内容にさえ注意すれば、公表はプライバシーとの緊張関係を生じさせるものでもない。

だから、公表するしないは自由だけど、公表しない理由を「プライバシー」に求めるな、そして、公表しないのであれば、「なぜ公表しないのか」を問われた時に「プライバシー」以外の理由できちんと説明できるようにしておけ、ということも、合わせて申し上げておくことにしたい。

*1:https://www.ppc.go.jp/news/careful_information/covid-19/

*2:https://www.ppc.go.jp/files/pdf/200402_2.pdf

*3:きちんとした会社なら、本社内に「対策本部」のようなものが立てられていて、広報も含めて一元的に情報を共有できる体制になっているはずだが、会社によってはそもそもそこに末端の現場や支店からの情報がタイムリーに入ってきていなかったりすることも考えられる。

*4:これと関連して、自治体が陽性判明者の勤務先を公表する、とか、そのタイミングに合わせて会社が自社の感染判明事実を公表する、といったやり方も、(その勤務先自体が第三者も巻き込んでクラスタ化している、といった特殊な場合を除けば)本来であれば極力避けられるべきだろうと思う。前記記事の中では、自社で公表するかどうかを自治体の判断に委ねていた会社の例も取り上げられているが、そういう発想は思考停止の極みであり、自立した企業の取るべき対応たりえない。

*5:あまりに大きな話題になり過ぎてしまったがゆえに、新入社員の出身大学まで公表せざるを得なくなった某社には同情の余地はあるのかもしれないが・・・。

*6:派遣社員だろうが、アルバイトだろうが、取引先から派遣されている従業員だろうが、自社の業務に従事していることに変わりはないわけだし、職場で入り混じって仕事をしていれば、結局は自社の「正社員」にも影響が出てくることになるわけだから。単に美しくない、というだけでなく、時に社内での暗黙の”差別”意識が影響しているのではないか?という疑義を持ちたくなるような事例に接することもあるので、社内の雇用管理の概念を対外的にもそのまま使うのは極力避けた方が良いと思われる。

*7:唯一注意すべき点として、感染判明者が工場内勤務者だった場合に、業務内容を詳細に書いた上で濃厚接触者の数や範囲まで公表してしまうと、本来公開していない工場内の人員配置が外部からうかがい知れてしまう、という問題があるので、そういう場合は少々ぼかしても良いのではないか、と思うところはあるのだが・・・。

*8:それぞれの会社から悩んだ末のご依頼を受けて、案までは作成する機会もあったが、それを公表しなければならなくなったケースはこれまで一度もない、ということにちょっと安堵しているところはある。

*9:特にスタッフの大半がリモート勤務に突入している4月以降は、実際にその場に行って噂の真偽を確かめる、ということもしづらくなっているから、なおさら噂が暴走する懸念は高まる。

*10:誠実に公表を続けている会社が相当数存在する現状ではなおさらで、その中から一人二人、義憤に駆られてSNSに投げ込みプレスをかける者が現れても不思議ではない。

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