10年以上の時を超えて蘇った「社保庁の憂鬱」~新聞記事イントラネット無断掲載事件をめぐって

今どきそんなことをやっている会社はない、と言われてしまいそうだが、かつて、入社して間もない社員の朝一の仕事が「新聞の切り抜き」だった時代があった。

かくいう自分も、初めて現場からデスクワークの職場に移り、「総務の何でも雑用係」だった頃は、朝7時台にオフィスに行き、広報室の電話番をしながらその日の朝に届いた新聞各紙を一瞥、関係しそうな記事を片っ端から切り抜いて台紙に張り、朝のうちに社内の偉い人に届ける、というのが日課だったりもした*1

会社で購入している新聞だから、「切り抜く」ところまでは何ら問題ない行為。そしてそれを張り付けた「生」の切り抜き集を誰かに渡すだけならそれも問題ない。

だが、それを一定の数の”偉い人”に渡すためにコピー機で「複製」した瞬間、著作権法上は違法性を帯びてくる

「秘書が社長に渡すために新聞や書籍のコピーをとる」くらいまでの行為なら、「許容される余地はある」という見解を示してくださる学者の先生もいらっしゃるものの、数人、数十人単位で配布する複製になってくると、さすがに寛容的利用ということも難しくなってくるだろうし、世の中が進んで、ことが「切り抜きのコピーの社内配布」から、「切り抜きコピーの電子データのイントラネット配信」というレベルになってくると、さすがにどう言い訳しても、権利者の許諾を得ない限り、著作権侵害の責めは免れ得ないということになってしまう。

とはいえ、つい10年ちょっとくらい前までは、まだ多くの会社でそういった類のことが特段罪の意識なく行われていたし、法務・知財系の担当者が問題意識を持って「そろそろちゃんと各社から許諾をもらったほうがいいんじゃないですか?」という話をしても、メディアの窓口になっている社内の担当者から、

「こういう切り抜きは、自分の記事と他社の記事を一目で比較できるから、新聞記者もありがたがって持っていくんだぞ。いわゆる「暗黙の了解」ってやつがあるんだから、わざわざ寝た子を起こすことはないだろう」

と諭されるのが常だったりもした。

そういった流れは、いち早く記事のデジタルコンテンツ化&マネタイズ戦略を進めてきた日本経済新聞社の果敢な営業活動等によって、2000年代の半ば頃から徐々に変わってきていたのだが、やはり何といっても、決定的に流れを変えたきっかけとなったのは、2008年に東京地裁で判決が出た「社会保険庁雑誌記事無断掲載事件」だったのではないかと自分は思っている。

k-houmu-sensi2005.hatenablog.com

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消えた年金」をめぐって社会保険庁がありとあらゆるところからバッシングを受けていた時代背景なども考えると、「雑誌記事」を職員に共有しなければいけなかった、という当時の国側の反論も理解できなくはないのだが、庁内LANの掲示板に記事のデータを載せて庁内の職員があまねく閲覧できるようにしていた、という事実だけ見れば、当時も今も、決して被告側に勝ち目のある話ではないし、その結果、当時も、僅かな額とはいえ損害賠償請求がきっちりと認容されている。

で、こういう話が大々的に報道されると、それまで首を縦に振らなかった人たちもさすがに「仕方ないね」ということになり、各新聞社にお伺いを立ててそれぞれの会社のフォーマットで契約した上で、当時多くの新聞社が認めていなかった「デジタル化」をやめ*2、認められた範囲内でささやかに切り抜きコピーを配布する、という実務に移行した会社は、決して少なくなかったと思われる。


・・・ということで、ずいぶんと前振りが長くなってしまったが、そんな10年以上も前の記憶を蘇らせたのが、今朝の朝刊の以下の記事だった。

日本経済新聞社は19日、新聞記事の無断使用で著作権を侵害されたとして、つくばエクスプレスを運行する首都圏新都市鉄道(東京)に約3500万円の損害賠償を求めて東京地裁に提訴した。訴状によると、首都圏新都市鉄道は2005年8月の開業直後から19年4月にかけて、日本経済新聞や日経電子版の記事を日経の許諾を得ずに画像データ化し、全従業員が閲覧できる社内イントラネットに掲載。日経の著作権を侵害した。無断使用していたのは鉄道業界や沿線地域などに関する記事で、計約4200本。日経は自社の定める使用料相当額などの支払いを求めている。」(日本経済新聞2020年5月20日付朝刊・第34面、強調筆者、以下同じ。)

先ほども触れたように、自社記事の「商材」としての価値を何よりも重視してビジネスを展開してきたのがこの新聞社だと自分は思っているのだが、こういう形で”ユーザー”企業を訴えたケースがこれまでにあったか、と言えば、自分にはほとんど記憶がない。

そもそも、首都圏新都市鉄道の「新聞記事無断使用」に関しては、今年の2月に、

中日新聞社は17日、新聞記事の無断使用で著作権を侵害されたとして、つくばエクスプレス(TX)を運行する首都圏新都市鉄道(東京)に約1250万円の損害賠償を求めて東京地裁に提訴した。中日新聞社が同日発表した。訴状によると、首都圏新都市鉄道はTXが開業した直後の2005年9月から19年4月までの間、中日新聞社が発行する東京新聞に掲載された記事について、同社の許諾を得ずにコピーするなどして画像データ化し、全従業員が閲覧できる社内イントラネット掲示板に掲載したとしている。」(日本経済新聞電子版2020年2月17日18時50分配信)

といった報道もされていたのだが、この時は、当の日経紙自身が「他人事」のように報じているだけである。

これまでの報道を見る限り、そもそもどういうきっかけで中日新聞社がこの「無断掲載」の事実を知ることになったのか、訴訟提起の前に任意での対価支払協議等が行われたのか、といったことは明らかにされていないようだし、それから約3か月経って、「他人」だったはずの日経新聞まで原告として訴訟提起するに至ったのはなぜなのか? 他の新聞社に追随する動きはあるのか? というところも、明確には見えてこない。

何かのきっかけで、「社内イントラネット掲示板」の存在を新聞各社が知ることになり、諸々交渉している中で提訴にまで踏み切ったのがこの2社だった、ということなのか、それとも、先行した中日新聞社の裁判記録等を通じて自社の記事も「掲示板」に含まれていることを知った日経紙が後から追いかけて提訴したのか等々、様々な推理が働くところでもある。

ただ、確実に言えることは、今回の一連の訴訟でもおそらく被告側にできることは損害額の大小を争うことくらいしかなく、違法性が肯定されてしまうことは間違いないだろう、ということ。

これが普通の民間会社なら、”裁判沙汰”になる前に、「定価」をベースに値切りつつ宥めて透かして交渉して、何とか任意で解決するところなのだが、今回の被告は沿線自治体が出資する三セク会社、しかも、沿線開発が進んだおかげでP/Lレベルでは黒字基調となっているものの、開業時の建設費の負担は未だに重くのしかかっているので、財務的に万全というわけでは決してない*3

それゆえ、数千万円単位の支払いを平場の交渉だけでまとめることはできず、1社のみならず2社にまで法廷に持ち込まれる結果になってしまったのだろうが、確実な「負け戦」をしなければいけない中の人の心情を思うと、何ともやるせない気分になる。

今回の被告は、三セクとはいえれっきとした株式会社で、株主のためにも経済合理性を追及しなければならない立場にあるから、前回の被告(国)とは異なり、おそらくは判決まで行く前に、和解のテーブルについてことを収める方向に持っていくような気がするし、それゆえ、上記の「謎」は謎のまま終わってしまう可能性も高いのだけれど、今回、幸運にも当事者となっていない”潜在的被告”の会社、団体にとっては、まさにこれこそ他山の石とせよ、というような話なわけだから、こんな憂鬱を味わう会社がもう二度と出てこないように、ということを願わずにはいられない。

そして、昔からの”慣習”を脱却できていない会社だけでなく、昨今ムーブメントになっているかもしれない、

「在宅勤務期間の間は、共有すべき資料を全部デジタル化してアップしておきましょう」

という発想で果敢に「快適なリモートワーク」態勢づくりに取り込んでいる会社にとってもこの話は鬼門となり得るのだ、ということも、ここで改めて確認しておきたい。

*1:よく昔話で語っている人がいるように、「幹部がどんな情報を欲しがっているか」というのをインプットした上で、短時間で要領よく必要な情報を選別する(「こんなのいらない」と言われない程度に簡素に、でも、あとで「何であの記事入ってないの?」と突っ込まれない程度の網羅性をもって、というバランスが大事)、という作業を通じていろんな能力が鍛えられるのは事実。ただ、何ぶん手間暇がかかり過ぎる話で、当時ですら人手が足りなくて徐々に派遣社員の方の仕事にシフトしていくようになっていったし、今のようにネットで検索すれば誰でも情報を入手できる時代であればなおさら、そんなところに時間をかけたりはしないよな、と思う。

*2:これは今でも認めていない会社が多いのではないかと思う。特に自社で有料のデジタル記事検索サービスを提供している会社は、ちょっとやそっとの額でおいそれと「自主デジタルクリッピング」を認めるわけにはいかないわけで、許諾を得ようとしても得られない、ということになるのではないかと思っている。

*3:さらに言えば、通勤路線だけにここ数か月の「コロナ」のダメージも確実に受けている。

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