副業にはまだまだ「自由」が必要だ。

どういうわけか、ここ1,2年くらいの間に、お上が「副業」を推奨する流れが定着しつつある。

自分などは、そうはいっても、労働時間管理の建前のところが変わらない限り、世の中大きくは変わらないだろう、と思って見ていたところはあったのだが、今日の日経紙には、遂に新たな指針を公表、という記事まで出てきた。

副業をする人の残業時間について、厚生労働省は働く人が勤務先に事前申告するルールを9月から始める。働き手が本業と副業とでどう働くかを自由に検討できるようにし、副業を促す狙い。企業による就労時間の管理もやりやすくなるとみられるが、働きすぎる人が増える恐れもあり、厚労省は企業に健康チェックなどの充実を求める。」
厚労省は8月中に副業・兼業の新たな指針を公表し、働く人に本業と副業それぞれの勤務先に残業の上限時間を事前申告するよう求める。例えば、月の残業時間の規制上限が80時間の場合、本業のA社で50時間、B社で30時間などと決め、それぞれの会社に伝える。」
企業は申告された残業時間の上限を守れば、仮に社員の副業先の残業時間が規制の上限を超えても責任を問われない。副業先での労働時間が把握しづらい場合でも、社員の副業を認めやすくなる。もちろん自社で申告時間を超えて残業させた場合は罰則を受ける可能性はある。本業・副業ともに残業に割増賃金を支払うルールは従来通り変わらない。」
日本経済新聞2020年8月26日付朝刊・第5面、強調筆者、以下同じ)

どういう目論見なのかは分からないが、厚労省としてはこれで一つの答えを出したつもりなのだろう。

だが、自分が仮にまだ労働時間規制が適用される身分だったとして、「この新しい指針ができたから喜んで申告して副業をやろう」と思うか? と言えばそれは絶対にありえない。

残業規制がかかっていた時代、となると、もうかれこれ10年以上も前のことになってしまうが、当時を思い返せば、「労働時間管理」はもちろんのこと、”本業”での様々な「管理」が窮屈で仕方なかったという記憶しか浮かんでこなかったりもする。

当時は大きな訴訟も担当していたから、期日が近くなれば当然残業時間も膨らむ。必要だからこそ仕事のために時間を費やしているのに、一律の基準で縛られて、それを少しでも超えそうな気配になったら、いちいち余計な時間を使って、事由を書いて出さねばならない。そのくせ、仕事が少し落ち着いて今日は会社に2,3時間いれば大体のことは片付くかな、という日でも、朝から会社に行かねばならない・・・*1

今は幸いにも、コアなしフレックスにテレワークまで、働き方の選択肢は増えてきたが、それでも労働時間の申告はしないといけないわけで、当時の自分が冒頭のような記事を見たら、

「1社だけでも面倒な勤怠管理を、なぜさらにもう1社、2社で受けなければいかんのか!」

と叫ぶことは必至だったように思われる。

「仕事」そのもの以外には決して縛られず、自由にできるからこその「副業」だろう、その恩恵を受けられないなら、何が楽しくてわざわざ余分に働かないといけないのか・・・と。


そう、自分は30代に差し掛かるくらいから、ずっと自分の「仕事」を持っていた。

就業規則では確か禁止、というか許可が必要なルールになっていたような気がするが、就業時間中、あるいは本業に支障を及ぼすようなレベルの話ならともかく、「自分の時間」の中で完結する話まで拘束するようなルールには一片たりとも合理性を認めない、というのが自分の信念だから、そんなこともほとんど気にしたことはなかった。

一番活発に動いていたのは、資格を取る前の30代前半くらいだっただろうか。

当時はアフィリエイトのハードルが低くてブログをある程度収益化できていた、というのもあったりしたのだが*2、それ以外にも匿名でも書き物系はそれなりにやっていたりしたから、まだそこそこのレベルだった当時の収入を考えると、結構それなりの生活下支え要素になっていた時期もあった*3

元々、20代で一度起業の企みをしたこともあったし、その後も、会社はあくまで「仮住まい」という意識はずっと変わらなくて、特に資格とかあるわけでもないのに、独立してフリーで身を立てる、という野望は全く消えていなかったので、著名な漫画家や音楽家や脚本家のエピソードも参考にしつつ、「自分の腕でどこまで稼げるか試してみよう」という思いは当然あった。

そしてもう一つの原動力となっていたのが、「細々とした規制に縛られずに働きたい」という思い。

もしそこで、著名な方々と同様、「本業の数倍」の稼ぎが得られるほど成功していたら、資格を取る前にさっさと転身していたに違いないが、そこはそんなにうまくいくはずもなく、そうこうしているうちに、埼玉方面の「副業絶対禁止」の過酷な環境に入る羽目になり、「戻ったら稼ぐぞ」という思いも空しく、管理職としてのあまりの仕事の忙しさに自重・・・ということで、その後は、清く正しく「本業一筋」的な生き方をしていたのだが、それでも国選報酬だったり、外部の研修講師に書き物だったり、と、毎年雑所得申告をしないといけなくなる程度の稼ぎは細々と残していた。

10年経って大転換、という状況になった時も、こと生活に関しては全く不安を抱かずに済んだのは、そういった積み重ねがあったからこそなのだろうと思っている。

今は何の縛りもなく、よく言えば青天井、裏返せば谷底に落ちてもすべて自己責任、という世界の住人になってしまっているだけに、一連の「副業」に関する世の中の反応も、どこか遠い目で見てしまっているところはあるのだが、あえて申し上げるとしたら、「できる余裕があるならやってみるのが良いよ。」ということ、そして、「どうせやるなら、『雇われる』のではなく、自営で、あるいはフリーの受託でできる何かを探すのが良いよ。」ということだろうか。

立場的にパターナリズムで政策を打ち出さないといけない役所の難しさも分からないではないのだけれど、そもそも「副業」なんて強制されるものでも何でもなくて、「これは過重だ・・・」と思った時に「退く」ハードルも本業に比べればはるかに低いはずなのだから、本当に自分で仕事を選んで働く楽しみとか、スキルアップにつなげる効果等を理由にそれを推奨するのであれば、「規制」からは極力自由な制度設計とするのが本来の姿ではないかと思う*4

そして、「雇用」という契約類型が、報酬を払う側にとっても受け取る側にとっても、決して幸福な制度ではなくなってしまっている現状を鑑みると、「副業」が「本業」を凌駕するようなプレイヤーが少しでも多く出てくるような世の中こそがここから向かうべき方向だと思うだけに、「副業解禁」を単なる「雇用主の分散化」にしないためのプレッシャーをかけていく必要もあるのではないか、と思った次第である*5

*1:当時もフレックスはあったが、コアタイムがやたら長かった。自分はギリギリまで引っ張って「重役出勤」にすることも多かったが、それでも会社に行かないといけないことに変わりはなかった。

*2:今は相当えげつなくやらないと、まとまった収入にはならないのではないかと思うのだが、当時はコンスタントに良質の記事を更新しているだけで、それなりのものは得られた。良い時代だったと思う。

*3:そういった稼ぎの一番の支出先は予備校の答練受講費用だったりもしたのだが・・・。

*4:「労働時間上限」を理由に”副業解禁”を渋る会社に言い訳させないようにするための策なのだとしたら、端的に「業務時間外の副業を禁止or許可制にする就業規則の規定は一律無効」とでも宣言すればそれで済んだのではなかろうかと・・・。

*5:もちろん「誰もが副業をしなければならない」世の中にはしない、というのが大前提の話ではあるのだが。

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