師走の洗礼。

毎年のことではあるが、まぁ、標題のとおり。

既に月が替わって3日も経ってしまったようだが、正直目が回るくらいの勢いであれやこれやが襲い掛かってくる。

元々、比較的のんびりと11月が過ぎていったような年でも「急変」するのがこの月の宿命なわけで、ましてや先月から様々な”予兆”が出ていたような年となれば、言わずもがな。

急ぎのメールだの電話だのをひたすら捌き、手間のかかる書き物やら資料作りやらに没頭する。

その間横目で眺めていたそれ以外のあれこれは、午後9時、10時を回り、落ち着いた頃になってようやく一斉に打ち返す。そしてご飯。

なぜか世の中の状況などお構いなく増える面会・打合せ。その一方で時流に合わせて油断も隙も無く間に入り込んでくるテレカン。

夕方に差し掛かる頃にはカフェインも切れ、深呼吸したさに同じカフェに一日3度目の突入。

ブログで書きたい法律記事のネタはある。重めの資料も打ち出した。だけど、それらはファイルの中に綴じたまましばらく日の目をみることはないかもしれない。

次々と届く購読雑誌も、封を切ることすらできないまま、部屋の中に積まれていく。

そう、この感覚。人生でもう何度となく味わった感覚。自分の立ち位置が少々変わったくらいでは変わらない。

「これが年末、ってやつだ。」

幸いなことに、今年は、例年なら昼間の仕事に輪をかけて命を縮めかねない「接待」やら「忘年会」やらが次々と中止になり、それで助かっているところはたぶんにあったりもするのだけど、「強制リセット」の契機が亡くなっている分、仕事をしている時間は例年以上に延びているような気もして・・・

仕事の納期は日単位どころか時単位でやってくる。原稿の締切りも迫る、頼まれてた研修の資料作成にはまだ全く手を付けてない、飛び交ってるメーリングリストの中身は開いてもいない、他人の書いたブログとか眺めてる余裕もない、でもそうだ、四半期末だからそろそろ請求書切らなくちゃ・・・等々、昔からのルーティンも、最近やり始めたルーティンもあれこれ混ざってカオスになる現実。一応は刷り上がった年賀状も、文字を書き込めるのはいつになることやら。

それが12月の日常。

今年に関して言えば、いつもならそこそこ形が見えてきているものが、まるでできていなかったり、いつもなら年明けで良いやとのんびり構えていたものを前倒しで準備しないといけなくなったり、それでいて2年近く続いてきた会議は大詰めを迎えていたり、と、例年にもましてフルコースな感じで、思わずエミレーツ航空の誘いに乗って後先構わずドバイへの逃避行を試みたくなったりするのだけど*1、誘惑を振り切って最後まで息絶え絶えでも駆け抜けることができたなら、また澄み切った空の下で新しい朝陽を浴びることができるのだ!と信じてあと4週間、今年も決死の覚悟で挑む所存である。

*1:インビテーションレターによると、最大2泊分のJWマリオット・マーキスの宿泊費と手荷物超過料金を負担してもらった上で、さらに「新型コロナウイルス感染症の医療および検疫にかかる費用負担」を含むマルチリスク旅行保険を付帯して楽しい旅をさせてくれるらしい。とにかく伝わってくるのは必死さ、それだけである。

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