年始に目標を立てない勇気。

あまりにゴロの良い年が366日間も続いていたがゆえに、まだついつい無意識のうちに「2020」と打ちたくなってしまうのだが、カレンダーをめくると何とも、2021年が始まってしまった。

で、一年の最初の日、元旦ということで、関係各所のブログを拝見しても、Facebookを見ても、はたまたTwitter上ですら、高らかに目標を掲げておられる方が多くて、ただただ敬服するほかないのだが・・・。


今思えば、自分も20代、30代の頃は、毎年大晦日にテンション高く夜更かしし、そのまま酔いを残したままテンション高く元旦の朝を迎え、「一年の計は・・・」とばかりに、「今年の目標」なるものを(外には出さずとも)胸に刻んだものだった。

このブログを始めた頃もまだその名残はあって、開設1年目、初めて新年を迎えた時のエントリーなんて赤面するほかないし*1、その後も毎年、新年最初のエントリーでは何となくそれっぽいことを書いていた気がする*2

正直言えば、あの頃は、常に「先が見えない不安」があった。

ある時までは、「今いる場所ではないどこかへ行きたい」という理由なき衝動に駆られていたし、その後、間近な分かりやすいターゲットを見つけた後も、それに挑む日々は、「それを手に入れることが本当に意味のあることなのか?」という内なる疑問との戦いの日々だったりもした*3

ターゲットをクリアして実務に戻った後も、「自分はいつまで、ここでこの仕事をやり続けるのだろう」という疑問符は常につきまとっていた。

当時漠然と考えていたのは、「会社の庇護の下で生きるのは40まで。その後は自分の腕一本でやっていく。」ということだったのだが、実際には、一年一年とその時が近付くたびに、様々なしがらみが増え、弱気の虫が頭をもたげる。

年に一度、年が明けた時だけは自分を奮い立たせる意味も込めて何となく格好つけたことを書いてみたりするものの、結局は決断の先延ばしを繰り返した結果、目標は未達。その後もしばらくはズルズルと時が流れた。

そんなことを繰り返す中で思ったこと。

「いくら『目標』を立てたところで、大きな波には抗えないし、世の中である程度生きてきた人間が全てのしがらみから逃れることはできない。そもそも、自分自身で動かせるもの、コントロールできることなんて、ごくごく限られたものでしかない。だったら、遠くを見てああだこうだ嘆くより、目の前の一投一打に集中する方が大事。」

幸いなことにいろんな偶然が重なって、結果的に今自分のいる場所、今自分がやっていることは、10年、20年くらい前の自分が描いていた姿に限りなく近い。

これをもって、「『目標』を捨てたから道が開けた。だからお前らも目標なんて掲げてないで目の前のことに集中しろ!」などと説教を垂れ始めると実に面倒な人間になってしまうので、そんなことを申し上げるつもりは毛頭ないのだが、先々のことをあまり考えずに、目の前に転がってきたチャンス(かどうかも分からなかったようなもの)に一つ一つ愚直に突っ込んでいったことが今につながっているのは確かだし、一種の絶望が達観に昇華したかのような数年前の元旦の開き直り*4のあたりから、今につながるいろんなものが動き出したのも事実だったりする。

毎年クリアな目標を宣言して、それを達成しようと努力する人、それを達成できる人が、皮肉なしに立派である、ということは否定しないけど、もし、そんな洗練された人々を見て、新年の最初から何やってんだ自分は・・・とか思い悩んでしまっている方がいるのだとしたら、

「元旦なんて一年365日の中のたった一日に過ぎない。」

という言葉と、

「目標を立てることにエネルギーを使うくらいなら、目の前のことにそれを向けよう」

という言葉をプレゼントしたいと思っている。

ついでに言えば、人生の運なんて、大抵予測もしていなかったところから開けるもの*5

目の前に来たボールが狙い球でなくても、反射的にバットに当てて転がった先に誰もいなければそれは立派なヒットになるし、柵を超えたら文句なしにホームラン。

殊勲打を打つ前にわざわざ「予告」する必要などないのである。


以上、グダグダ書いてはきたものの、一応自分も、事業主である以上、年度初の事業計画くらいは(簡潔ながらも)立てているし、「コロナ禍で会食が減った結果、激減したまま戻っていない体重をコロナ前のレベルにまで戻す」等々のささやかな目標(?)は持っている*6

ただ、そうでなくても周りがまぶしく見える年末年始*7、かつては自分自身も通ってきた道だけに、ここは「隣の芝より俺の芝!」精神で、少しでも多くの方が新しい一年のスタートを切れることを願って、書かせていただいた次第。

そして、(チャンスが多かろうが少なかろうが)

「自分に投げられた球は全力で打ち返せ!」

ということだけは、ともすれば忙しさを口実に狙い球を選り好みしがちな自分自身への戒めも込めて、ここに記しておきたいと思っている*8

*1:謹賀新年 - 企業法務戦士の雑感 ~Season2~

*2:たぶん読み返すのも憚られるような中身なので、今日の時点では読んでませんスミマセン・・・。

*3:夏から年末までは試験関係の諸々は一切封印。年始休暇が終わる日くらいに勉強を再開してそのまま半年突っ走る、というのが当時の自分のルーティンだったりもしたので、年始のエントリーに書いていることは大概自分に向けた喝入れだったのだが、それでも書きながら半信半疑になっていることが多かったような気がする。

*4:明けてしまった年を恨んでも仕方ないから。 - 企業法務戦士の雑感 ~Season2~

*5:今振り返ると、「節目」と言えるような年がいくつかあるが、そこで得られた結果は、いずれもその年の年初の時点では全く予測していなかったことだったり、全く想像していなかった過程を経てそうなったものだったりする。

*6:後者に関しては具体的な実行計画があるわけではないが、とにかく内臓を傷めない程度にしっかりエネルギーを補給する、というシンプルな対応しかないだろうと思っている。油断していると、ついつい慌ただしさにかまけて食事までさぼりがちになってしまう傾向もあるので・・・。

*7:例えば、やたら充実した仕事や家族の一年間をアピールするパターンの友人知人の年賀状を見て落ち込む・・・とかありませんか?(笑)

*8:とはいえ、しっかり一つ一つのニーズに応えられるだけの質を確保しようと思えば、リソースの都合上、自ずから「選ぶ」判断をしなければいけないことも多々あるのだが、少しでも応えようとする心意気だけは、常に持っておきたいところである。

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