思えば遠くに来たものだ・・・。

昨年から何かと話題になることが多い携帯電話業界から、激烈な競争を象徴するかのようなニュースが、年明け早々から飛び出してきた。

「営業秘密領得容疑」による社員逮捕、というセンセーショナルな見出しとともに・・・。

最初に記事になったのは12日の夕刊で、その時に報じられたのは、概ね以下のような内容。

・高速通信規格「5G」に関するソフトバンクの技術情報を不正に持ち出したとして、警視庁がソフトバンク元社員を不正競争防止法違反(営業秘密領得)容疑で逮捕
・被疑事実は、被疑者がソフトバンクに勤務していた2019年12月31日、社外から自分のパソコンで同社のサーバーにアクセスし営業秘密にあたる5Gの技術情報などを不正に取得した、というもの(認否は不明)
・被疑者は持ち出しがあったとされる直後の20年1月に同業の楽天モバイルに転職していた
ソフトバンクによると、持ち出されたのは同社の4Gと5Gの基地局設備や基地局同士などを結ぶ固定通信網に関する技術情報で、20年2月に被害が判明し警視庁に相談した。
ソフトバンクは「(逮捕された)元社員が利用する楽天モバイルの業務用パソコン内に当社の営業秘密が保管されており、楽天モバイルが営業秘密を既に何らかの形で利用している可能性が高いと認識している」として、技術情報が楽天モバイルの事業に利用されないよう、情報の利用停止と廃棄などを目的とした民事訴訟を提起する方針を明らかにした元社員への損害賠償請求も検討する
日本経済新聞2021年1月12日付夕刊・第1面記事要約(一部引用)、強調筆者、以下同じ。)

その後、どこから出てきているのか、連日のようにこの事件のリーク報道が続いている。

以下の記事が出たのは翌13日。

ソフトバンク元社員による高速通信規格「5G」技術情報持ち出し事件で、元社員がソフトバンク退職時、営業秘密情報を流出させないとする誓約書に署名していたことが13日、分かった。」(日本経済新聞2021年1月13日付夕刊・第11面)

最初の報道を見た時には、「楽天モバイルの業務用パソコン内に当社の営業秘密が保管されている」ことをなぜソフトバンクが知ったのか?ということが気になっていたのだが、その謎も以下の報道ですぐに解けた。

「相談を受けた警視庁は同年8月、(氏名略、被疑者)の自宅や転職先の楽天モバイルからパソコンなどを押収し、データの解析を進めた。」(同上)

そして、今朝の朝刊には、「捜査関係者に取材した」内容として、

・被疑者は11月下旬に退職の意向を示してから退職日の12月31日まで、約30回にわたって同社のサーバーにアクセス。5Gの技術情報を含む約170件のファイルについて、メールに添付して自身のメールアドレスに送信するなどの方法で持ち出した
日本経済新聞2021年1月14日付朝刊・第35面記事要約)

ということも報じられている。

本件のもう一方の当事者が参入表明時から持ち上げられてきた楽天モバイル、ということもあり、これらの記事には、

・「被疑者が前職で得た営業情報を業務に利用していたという事実は確認されていない」
・「持ち出した情報には5Gに関する技術情報も含まれていない」

ソフトバンクの見解を否定する楽天モバイル側のコメントも一応添えられてはいるものの*1、全体的なトーンとしては”推定有罪”、「営業秘密を不正取得した」という捜査側、「被害者」側の主張に沿った報道がなされているように見える。

本来、営業秘密の不法領得について論じるのであれば、真っ先に問題とされるべきは、「領得された」とされる情報の「秘密管理性」であるはずだし、被疑者が元職の会社でどういう仕事に携わっていて、「領得された」とされる情報との関係でどういう立場にあったのか、ということを見なければ、不正競争防止法上の営業秘密不法領得罪の構成要件を満たすのか、仮に満たすとしても21条1項各号のどの構成要件に該当するのか、ということは分からない。

いくら退職時に「誓約書」に署名していたからといっても、いくら自分に向けて送付した電子ファイルの数が多いからといっても、それらが公知情報だったり、有用性のない情報であればもちろんのこと、客観的に見て「秘密として管理されている」と言い難いような情報であれば、不競法21条1項各号の構成要件に該当せず、少なくとも刑事手続に載せることは難しいはずなのだが、そういった本質的な部分については掘り下げた報道がなされることもなく、被疑者の実名と「有罪心証」だけが刷り込まれていくように見えてしまうことには、(事件報道にはつきもののこととはいえ)複雑な思いを抱かずにはいられない。

もちろん、起訴されて公判が始まり、あるいは会社同士の諍いが法廷に持ち込まれるようなことになれば、そういった不正競争防止法上の要件を満たすかどうか、という点についても、当事者双方の激しい主張立証が繰り広げられ、その結果が判決を通じて見えてくる、ということもあるのだろう。

ただ、楽天モバイルが、昨年華々しく携帯電話業界に参入した異端児だった、ということ、そして、既存の携帯通信事業者には、激しい顧客争奪戦が繰り広げられる市場の「外」でも、強い逆風が吹きつけていた、という背景を考えると、ここで、このような形で、既存のキャリア側が攻めに転じている、ということの裏側にありそうな事情にも思いを馳せておいた方が良いような気がする。

そして、何よりも、今回見返して改めて気付いた不正競争防止法第21条第1項の条文たちの分厚さ・・・

第21条 次の各号のいずれかに該当する者は、十年以下の懲役若しくは二千万円以下の罰金に処し、又はこれを併科する。
一 不正の利益を得る目的で、又はその営業秘密保有者に損害を加える目的で、詐欺等行為(人を欺き、人に暴行を加え、又は人を脅迫する行為をいう。次号において同じ。)又は管理侵害行為(財物の窃取、施設への侵入、不正アクセス行為(不正アクセス行為の禁止等に関する法律(平成十一年法律第百二十八号)第二条第四項に規定する不正アクセス行為をいう。)その他の営業秘密保有者の管理を害する行為をいう。次号において同じ。)により、営業秘密を取得した者
二 詐欺等行為又は管理侵害行為により取得した営業秘密を、不正の利益を得る目的で、又はその営業秘密保有者に損害を加える目的で、使用し、又は開示した者
三 営業秘密を営業秘密保有者から示された者であって、不正の利益を得る目的で、又はその営業秘密保有者に損害を加える目的で、その営業秘密の管理に係る任務に背き、次のいずれかに掲げる方法でその営業秘密を領得した者
イ 営業秘密記録媒体等(営業秘密が記載され、又は記録された文書、図画又は記録媒体をいう。以下この号において同じ。)又は営業秘密が化体された物件を横領すること。
ロ 営業秘密記録媒体等の記載若しくは記録について、又は営業秘密が化体された物件について、その複製を作成すること。
ハ 営業秘密記録媒体等の記載又は記録であって、消去すべきものを消去せず、かつ、当該記載又は記録を消去したように仮装すること。
四 営業秘密を営業秘密保有者から示された者であって、その営業秘密の管理に係る任務に背いて前号イからハまでに掲げる方法により領得した営業秘密を、不正の利益を得る目的で、又はその営業秘密保有者に損害を加える目的で、その営業秘密の管理に係る任務に背き、使用し、又は開示した者
五 営業秘密を営業秘密保有者から示されたその役員(理事、取締役、執行役、業務を執行する社員、監事若しくは監査役又はこれらに準ずる者をいう。次号において同じ。)又は従業者であって、不正の利益を得る目的で、又はその営業秘密保有者に損害を加える目的で、その営業秘密の管理に係る任務に背き、その営業秘密を使用し、又は開示した者(前号に掲げる者を除く。)
六 営業秘密を営業秘密保有者から示されたその役員又は従業者であった者であって、不正の利益を得る目的で、又はその営業秘密保有者に損害を加える目的で、その在職中に、その営業秘密の管理に係る任務に背いてその営業秘密の開示の申込みをし、又はその営業秘密の使用若しくは開示について請託を受けて、その営業秘密をその職を退いた後に使用し、又は開示した者(第四号に掲げる者を除く。)
七 不正の利益を得る目的で、又はその営業秘密保有者に損害を加える目的で、第二号若しくは前三号の罪又は第三項第二号の罪(第二号及び前三号の罪に当たる開示に係る部分に限る。)に当たる開示によって営業秘密を取得して、その営業秘密を使用し、又は開示した者
八 不正の利益を得る目的で、又はその営業秘密保有者に損害を加える目的で、第二号若しくは第四号から前号までの罪又は第三項第二号の罪(第二号及び第四号から前号までの罪に当たる開示に係る部分に限る。)に当たる開示が介在したことを知って営業秘密を取得して、その営業秘密を使用し、又は開示した者
九 不正の利益を得る目的で、又はその営業秘密保有者に損害を加える目的で、自己又は他人の第二号若しくは第四号から前号まで又は第三項第三号の罪に当たる行為(技術上の秘密を使用する行為に限る。以下この号及び次条第一項第二号において「違法使用行為」という。)により生じた物を譲渡し、引き渡し、譲渡若しくは引渡しのために展示し、輸出し、輸入し、又は電気通信回線を通じて提供した者(当該物が違法使用行為により生じた物であることの情を知らないで譲り受け、当該物を譲渡し、引き渡し、譲渡若しくは引渡しのために展示し、輸出し、輸入し、又は電気通信回線を通じて提供した者を除く。)

自分が「営業秘密」をテーマに研究に取り組んでいた時には影も形もなかったこれらの規定が不正競争防止法に登場し、瞬く間に拡大していこうとしているさまを目にして、ちょっとした不安感に駆られて呟いたのは、今から10年ちょっと前くらいのこと。

k-houmu-sensi2005.hatenablog.com

だがその後もとどまることなく存在感を増していったこれらの規定が、この国に一体何をもたらしたのか?

保護強化の流れの中では、「日本の技術を守るべきだ!」といった純粋な愛国思想が顔をのぞかせることも多かったが、これまた10年ほど前に懸念したとおり、今やすっかり状況は変わってしまっている。

k-houmu-sensi2005.hatenablog.com

そして、その結果残ったのが、国内勢がまだ「技術力」を発揮できる限られた領域での国内勢同士の足の引っ張り合い、なのだとすれば、それはあまりに悲しい。

どんな市場であれ、競争はフェアに行われなければならない、というのは当然のことだし、それぞれの会社に蓄積された真に価値のある営業秘密には財産としての保護を与えるべき、という考え方を否定するつもりも全くない。

ただ、持ち出された情報の価値の大小も明白ではなく、健全な競争を歪めるような不正使用の事実があったかどうかも定かではない状況で「刑事手続」だけが先行することは、そのインパクトがあまりに大きいがゆえに、後発事業者への技術者の移動(事業者から見れば「採用」)への萎縮効果等*2

現時点での情報の少なさゆえ、最終的に本件でどのような事実が裁判所によって認定され、どういう形で決着が付くのか予測することは極めて困難な状況で、もしかしたら、立件されて当然、被疑者もその人を雇い入れた事業者も責任を負わされて当然、という結論で腑落ちするような結末になるのかもしれない。

だが、それでも自分は、任務違背型の不法領得類型(不正競争防止法21条1項3号)を独立した構成要件とする法改正を行った時に、この国はルビコン川を渡ってしまったような気がするし、今回の事件も、これからの帰趨次第では、”思えば(民事規定創設当初の理念からは)随分と遠くに来てしまった”営業秘密保護規定の功罪を感じさせられるようなものになってしまうのではないか、という気がしている。

以上、悪い予感が当たらぬことを願いつつ、(バイアス報道がどこまで続くのか、ということも含めて)この先の行方を見守ることにしたい。

*1:楽天モバイルは従業員の逮捕当日に、同趣旨のプレスリリースを出している。従業員の逮捕について | 楽天株式会社参照。

*2:自分は、ある市場に新規参入する事業者が、先行する企業の人材を「情報ごと」手に入れることができるようにする、というのは、健全な競争を成り立たせるための必要条件だと思っているし、それゆえに、その会社にしか存在しえない、といった高度の価値を持つ情報を除けば、特定企業による情報の安易な囲い込みは認めず、(人とともに)それが自由に流通していくことを認めるべきだ、と考えている。競争において「勝つ」ための武器は他にもいくらでもあるわけだから・・・。

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