チキンレースの末に辿り着いた31年前の夏。

新型コロナ禍の真っただ中で留まるところを知らずに上昇線を描く株価チャートを見ながら、連日報じられる「29年ぶり」というフレーズに胸を高鳴らせたのは去年の暮れくらいのことだったか。

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当時も、いつまで持つんだろう、と半信半疑で眺めていた記憶があるのだが、今時代は、この頃の「日経平均26,000円台」という数字が遥か彼方に見えるくらいのところにまで来てしまっている。

本日、2月9日の高値29585円75銭、終値でも29505円93銭。

もう一度繰り返す。日経平均29,000円台」である。それも半ばを超えて。

昨日の時点で「30年6か月ぶり」というアバウトな報道がされていたので、今日の記録更新を踏まえて改めてひも解いてみると、

1990年8月3日以来*1

ということらしい。

どんな時代も、その渦中にいると「トレンド」にはなかなか気付かない。

自分にとって31年前のこの夏といえば、薄ぼんやりと影が差していた10代途中までの記憶の中では数少ない、鮮烈なカラー映像とともに蘇ってくる夏だったりもするのだが、逆に言えば、この頃の株価がどうだったか、なんてことは、当時から日経新聞には目を通していた身であったにもかかわらず、記憶のどこにも残っていない。

当時のニュースを調べて出てくるのも、「ああ、この頃、湾岸戦争イラククウェート侵攻)が始まったのだなぁ・・・」という感想くらいだ。

ただ、ヒストリカルデータは、この年、年初からじわじわと下がり続けていた株価が、この8月に一気に日経平均ベースで5,000円以上下げ、1989年の年初以来謳歌していた「日経平均30,000円台」の世界を歴史の中に葬り去った、ということを残酷なまでに示している。

逆に言えば、1990年の8月は、現代人が昨年の11月からの3か月ちょっとの間の「極めて急ピッチ」と感じていたような株価変動の幅をさらに上回るような激しさで「下げた」月でもある。


あくまで個人的な勘だけで言えば、今日の真昼頃の株価の動きなどを見る限り、そろそろ危ういんじゃないか・・・と思わずにはいられない。

いわゆる好景気銘柄だけでなく、「なぜこれが?」と言いたくなるような低迷割安株までちょっとした材料に反応して跳ね上がり、連日新しい”主役”が祭り上げられながら急上昇してきたのが昨日までの市場で、いわば、それまで打てなかった打線に急に火がついて、先発全員安打で打者一巡、代打を出してもまた長打、みたいな手の付けられない状況になっていたのが先週くらいからの流れだったわけだが*2、さすがに今日になると、よほど良い材料がなければ素直に利確売り・・・という雰囲気になっていて、全体では後場の最後の方で巻き返して帳尻を合わせたものの、これまで急上昇していたのが一頓挫し、ポートフェリオ的にはトントンくらい、という結果になった人も決して少なくなかったはず。

そしてこれを書いている時点(2月10日の朝2時くらい)で、NY市場の値動きが微妙な感じになっているのを見ると、明日はそろそろ覚悟が必要かなぁ、という気にもなってくる。

でも、そんな(ある意味”楽観的”な)予想がこれまでと同様に外れ、29,000円台どころか30,000円台の壁までこのタイミングで突き破ってしまったりしたら、歴史の扉はさらに古の方までこじ開けられ、それとともに蘇る自分の記憶もより甘酸っぱいものになっていくかもしれない・・・。


おそらく、今、誰もが思っているとおり、この現象は間違いなくバブルだし、分かっていても買い上げざるを得ない機関投資家と、イケイケで攻める個人セミプロ投資家たちが必死で逃げるタイミングを伺うチキンレースの真っただ中で、年明けくらいからふらっと飛びついてしまった気の毒な素人投資家は絶好のカモにされる一歩手前、という状況だったりもする。

それでも、早々にリスクオフして目を瞑る、という賢明な策を講ずることなく、漫然と更新され続ける高値の数字を眺めてしまうのは、自分に学習能力がないからか、それとも違う何かを期待しているからか。

いずれにしても罪な相場。そして、いつまでも消えずに心の奥底に残る記憶ほど罪なものはない。そんな八つ当たりさえしたくなる今日この頃、である。

*1:この日の終値は29515円76銭。

*2:なので、大型銘柄だけで構成される日経平均の上昇率以上にTOPIXの上昇率が目立ったのがここ1,2週の動きだった。

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