全てを超えたメッセージ。

東京での開催が決まってからずっと、「オリンピック&パラリンピック」とか「オリパラ」などと一括りで呼ばれながらも、メディアの注目度でも世論の関心でも圧倒的な存在感を誇る「五輪」の蔭に隠れ続けていたのが、「パラリンピック」というイベントだった。

それは今に始まったことではないし、地元開催ということもあって、これまでに比べれば、ここ数年、あちこちでパラアスリートが取り上げられる機会が多くなっていたのは間違いないが、それでも”添え物”感はどうしても付きまとっていて、何よりも、「五輪」に対してはあれだけ「やれ」「やるな」と不毛な争いを繰り広げていたSNS上の喧騒が、8月8日を境になぜかスッと静かになってしまったのは記憶に新しいところである。

好意的に見れば祭典、批判的に見れば迷惑なバカ騒ぎ、だがいずれにしても「事は終わった」というムードは、あらゆるところに漂っていたような気がする。

だが、昨日、国立競技場で行われたパラリンピックの開会式は、あらゆる面で五輪のそれを超越していた。

競技場の中に作られたたった一つのステージ、「PARA AIRPORT」上で繰り広げられる多様性を象徴するような踊り手たちのパフォーマンス。

プロジェクションマッピングの技術を効果的に使いながら、鮮やかな彩の光線が強烈に視覚に訴えかける。そこで使われる音楽も序・破・急の展開に合わせて見事にはまる。

合間合間で使われる映像の作り方は、リオのフラッグオーバーセレモニーの時からこの東京五輪まで一貫して変わらない。

でも、それが挟まれるタイミングが絶妙で、入場行進や関係者挨拶等も含めたプログラムとマッチしているから、飽きないし間延びもしない。

そして、とにかく圧巻だったのは、選手たちがAIR PORTに揃ったタイミングで始まった車椅子の少女を主人公にした「片翼の小さな飛行機の物語」

一夜明けて世界中のメディアが絶賛しているから、もはや中途半端な解説など不要だろうが、とにかく表情が豊かで、言葉なしに込められたメッセージを伝えてくれた。

彼女を盛り立てる様々な名脇役たちの生き生きとした演技にも目を奪われる。障がいをハンデではなく新たな可能性に変える、というのがパラリンピックというイベントの最大の意義だとされている中で、まさにそれを「表現」という手段で世界に示したのが、この日舞台上で輝いていた方々だった。

長い時間をかけてトレーニングしたことを伺わせる舞台上の演者たちの全力を尽くした動きは、それぞれの障碍を個性として、バラバラだけど全体の中では見事に調和する。終盤になってそこに坂本美雨布袋寅泰といった一流のアーティストたちも加わったが、あの布袋様ですら舞台の上では背景の一つになる*1

それだけよく練られた、ストーリー性と強いメッセージが込められたパフォーマンスだった。

もちろん、その他の「参加者」に助けられたところもある。

入場行進の時間は、五輪と比べれば圧倒的に短く簡素に行われた。
IPCのイニシアティブで盛り込まれた♯WeThe15のキャンペーン映像が訴えようとしていたものは、中途半端な”イマジン”やムハマド・ユヌスのメッセージよりもはるかに強く見る者の心に響いた。

さらに、五輪ではバッハがぶっ壊した「挨拶」の時間は、キャリアの大半をパラスポーツに捧げているBrazilian、IPC会長のAndrew Parsons氏が全く別の時間に変えた

通訳なしでも理解できるくらいシンプルな英語のメッセージ。だが、その言葉一つ一つが力強く一貫していて、会場にいた選手たちを勇気づけ、さらに映像を通じて見ていた人々にも、「この大会が何のためにあるのか?」ということを改めて知らしめてくれる。これぞ「ザ・スピーチ」といった感のある話で高揚したところで開会宣言、そして舞台の最終盤だったから、盛り上がらないはずがない。

国歌独唱の佐藤ひらりさんから、旗を運んだ人々、宣誓者。そして、最後に聖火を運んだ人々まで、一つ一つの人選にも唸らされた*2

キラリと光るシーンがありながらも、その合間にため息を挟まずにはいられなかったのが五輪の開会式だとすれば、ため息どころか、シーンが変わるたびに次のシーンが待ち遠しくて画面にくぎ付けになる・・・それがこの東京から世界に発信されたパラリンピックの開会式だったのではないかと思う*3

これまで、国内でも海外でも何かしらかアスタリスクを付けて紹介されてきたTOKYO2020の式典系演出が、ようやくここで正面から評価されるに至った、というのはホントに素晴らしいことだし、一夜明けても興奮が収まらない自分もいる。

ただ、ここで考えないといけないのは、「なぜ、パラリンピックでできたことがオリンピックでできなかったのか?」ということだろう。


注目度が相対的に低かったことが幸いした、という面は間違いなくある。

国民のありとあらゆる怨嗟を受けた結果、演出にかかわった人々の内紛やら過去の言動やらの暴露合戦になって直前まで混乱が続いた五輪に比べれば、演出家の名前がメディアに出ることも少なかったパラリンピック開会式は、その分”守られていた”のかもしれない。

悪趣味な「和」志向が顔をのぞかせることはなかった。「○○さんの推しで」と噂されるようなベタな大物が舞台に出てくることもなかった。

それは「パラ」だったから・・・のだとすれば、我々の日常に投影していろいろ考えさせられるところもある。

ただ、いかなる理由であれ、今回の開会式の成功は、「新型コロナが・・・」とか「予算が・・・」といった言い訳が何のエクスキューズにもならないことを教えてくれる。

そして、優れた才能に委ね、一貫したコンセプトの下で「演出」を組み立てることで、同じ舞台装置でも見せられるものが180度変わる、という古くて新しい発見を、我々はこれからも自分たちの世界の中で、肝に銘じていなければいけないのだろうな、と思うのである。

※最後に、今回見られなかった方には、一度で良いのでハイライトだけではなく約3時間、全編を通じて見ていただきたいな、と思っています*4。 
 sports.nhk.or.jp

*1:もちろん、布袋様が最初に映像に出てきたときには、我が家は大いにどよめいたが。

*2:往年のパラアスリートの方々、特に前回東京での金メダリスト(竹内昌彦氏)を登場させたのは素晴らしいことだと思ったし(なぜか五輪ではそれがなかった。)、義肢装具士の臼井二三男氏が登場された時も、さすが、と感じた。最後に上地結衣選手を入れたのは、もしかしたら五輪の大坂選手を意識したところがあったのかもしれないが・・・。

*3:元々、自分もライブでずっと見る予定はなく、ちょっと見たらあとはアーカイブの見逃し配信で・・・くらいのノリだったのだが、途中から予定を大幅に変更して見続けざるを得なかった。もちろん後悔はしていない。

*4:そして、開会式だけでなく、各競技に関しても、五輪以上に一つ一つの音や声、そういったものがドラマを作るパラリンピックの生映像を同じように配信してくれるNHKに心から敬意を表しつつ・・・。

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