理屈では語り切れない話だからこそ。

いよいよ暦が9月から10月に変わり、今年も残り3か月を切った。
そしてそれが意味するのは、新市場区分への選択手続期限(2021年12月30日)まで残り3か月を切った、ということでもある。

7月の東証からの「一次判定結果」の通知を引き金に、上場各社から間断なく出されているリリースは、素晴らしいことに「商事法務ポータル」上で以下のとおりきれいに整理されているのだが、もっとも注目される現在の東証1部上場企業に関しては、現時点で経過措置の適用を受けることを宣言しているのはまだ60社程度、早々に「スタンダード」宣言した会社も自分が見た限り10社に満たないくらいではないかと思われ、「基準未達」と指摘される600社超の会社のほとんどはまだスタンスを表明していない、という状況にある*1

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そんな中、先月末に発売されたジュリストで興味深い特集が組まれているので、以下ご紹介することにしたい。

特集 資本市場の再編とコーポレート・ガバナンスーコーポレートガバナンス・コードの改訂

冒頭の藤田友敬教授の言葉*2によれば、本特集は、

「改訂版コード(注:2021年6月11日に公表された「コーポレートガバナンス・コード」の改訂版)の内容を確認しつつ、それが提起するいくつかの論点をとりあげ、理論的な観点からの分析の視点を提供することを目的とするもの」(藤田友敬「特集にあたって」ジュリスト1563号14頁)

である。

そのすぐ後に書かれた金融庁の担当官が書かれた論稿(浜田宰=水口美弥「コーポレートガバナンス・コードと対話ガイドラインの改訂について」ジュリスト1563号16頁)の内容は、これまで散々様々なところで出てきているものなので、既に奔走されている方々にとっては知識の再整理以上の意味は持たなかったのではないかと思われるが、これに続く研究者の先生方の論稿には立場にかかわらず、考えさせられるものが多い。

まず、「資本市場再編」について正面から論じた飯田秀総・東大准教授の論稿*3

新規上場基準の形式要件に関する英国での議論との比較や、コーポレート・ガバナンスの水準を市場区分と結びつけることの意義等について論じられたくだりも有益な情報だと思うのだが、もっとも考えさせられるのは、「Ⅲ-4.スタンダード市場とプライム市場の区別」の項であろう。

コーポレート・ガバナンスの水準が高ければ高いほど、企業価値が高いとか、投資対象としての魅力が高い、と常にいえるわけではない。理論的には、各会社が直面するコーポレート・ガバナンスの課題は、その会社の事業の内容、経営上の課題、株主構成など様々な要素によって異なるため、ある会社にとって最適なコーポレート・ガバナンスの仕組みは、別の会社には最適とは限らない。」
「そのため、あえてスタンダード市場を選択した方が、企業価値向上にはむしろプラスになる会社もある、と理論的にはいうことができる。」
「だから、各会社にとって最適なガバナンスの水準に近い方の市場に上場することが企業価値向上の観点からは好ましいので、プライム市場とスタンダード市場のいずれかを上場会社が選択できることは適切な制度設計といえる。」
(26頁、強調筆者、以下同じ。)

繰り返し使われている「理論的には」というフレーズに、上記のような”理想論”をストレートに説くことへの著者の若干の躊躇が感じられなくはないし、実際、これに続けて、本稿では、

「英国の実務においては、スタンダード市場の目的や義務が不明確であって、名前からしてセカンドベストであり、上場を検討する会社に対してアドバイザーは、スタンダード市場を選択しないように助言するとされている」(27頁)

というエピソードも取り上げられている。

それでも本稿では、「東京証券取引所では従来5つの市場があったものを3つの市場に整理する中で、プライム市場とスタンダード市場の区分も行われるという経緯を辿るので、英国における市場区分の経緯とは全く違う。」(27頁)として、

スタンダード市場に上場すること自体が何かネガティブなメッセージになるわけではなく、積極的にスタンダード市場を選択する企業も存在すると理論的には予想される。」(27頁)

と締めくくられているのだが、既に企業の現実の行動としてはこの「仮説」との乖離が見られ始めている(後述)ということもあって、本稿で示された「理論的」なあり方は、様々な議論の契機になりうると思われる。

また、これに続く、松中学・名古屋大学教授の論稿*4にも、かなりの迫力を感じる。

内容としては、「多様性」を求めるコーポレートガバナンス・コードの補充原則2-4①と原則4-11を引きつつ、

「役員レベルで多様性を向上させる意義はどこにあるのか。」

という問いに対し、「ありうる根拠の分類と社会科学における実証研究の動向」をみた上でCGコードを検討する、というもの。

「多様性を求める根拠」に関する議論から、様々な実証研究の紹介のくだりまで読んでいくと、この問題が一筋縄ではいかない、ということを改めて感じさせられるのだが、特に「Ⅳ-2.取締役会は政策の適切なターゲットか」と題した最後の項で、

「上層部から多様性を追求することが女性全体にプラスになるとして正当化するのは難しい。」(33頁)

と書き切られていること、そしてそれに付された注39)で、

「それでも役員構成が政策のターゲットになるのは、相対的に介入しやすいことに加え、より短期間で目立つ『成果』を出す政策決定者のインセンティブの影響が考えられる」(33頁)

とされている点には共感すべきところが多い*5

そのほかにも、「コーポレート・ガバナンスとサステナビリティというタイトルで書かれた久保田安彦・慶大教授の論稿*6では、コーポレート・ガバナンスの「目的」と「手段」という切り口から、英米と我が国とで背景が異なることを指摘して、

「個々の場面ごとに、そもそも現状を修正する必要があるか否かを冷静に検討する必要がある。」(39頁)

と述べられていることが注目されるし、髙橋陽一・京都大学准教授の論稿*7では、親会社と子会社少数株主との利益相反の問題を中心に、CGコードが志向する事前の手続的規制に言及しつつ、

「事後の責任規制として、支配株主の法的責任を追及することにより従属会社の少数株主を保護する手段も確保されるべきであろう。」(44頁)

として、平成26年会社法改正の経緯を批判するくだりに、いつもながらかなりの熱が入っている*8

ということで、新市場区分に対しても、コーポレートガバナンス・コードの改訂に関しても、「理論的」ではありながら単に現状を追認するにとどまらない数々の論稿を集めたこの特集は、これまでのプロパガンダ的な「変わるんだから仕方ない」「世界の潮流だからやむを得ない」のムードに煽られ、「だからお前やれ!」の理不尽ループに晒されて辟易していた方々にとっては、知恵と勇気を得られるもの、といえるのではないだろうか。


前にも書いたかもしれないが、自分は、新市場区分への移行に関しては東証の「新市場」の打ち出し方に大きな問題があったと思っているし、コーポレートガバナンス・コードの改訂についても、”横のものを縦にする”のが好きな人々と、それを商機とみる業界のステークホルダー、さらに、世の中に様々な「上場企業」の形が存在することを知らない(あるいは意図的に目をつむっている)関係者たちに誰も歯止めをかけずに議論した結果がこれなのだろう、と思っている。

不幸なのは、改訂コーポレートガバナンス・コードによって盛り込まれた「高いガバナンス水準」要件は、伝統的日本企業にとってはハードルが高いものであっても、それより一回り、二回り小さい中堅、新興企業にとっては(形を整えるだけなら)さほど難しいものではない、ということ。

元々取締役会がコンパクトに設計されていて、社内からは2人、3人くらいしかボードに出ていない会社にとって社外役員比率を高めることはそんなに難しいことではないし、社外役員メインの委員会を作るのも一瞬の話。「中途採用者の登用」による多様性の確保なんて、組織の大半が中途採用者で構成されるベンチャー企業にとっては「ハードル」ですらない。

だから、そういう会社(といっても、それが今の一部上場企業の中ではかなりのボリュームになっている)にとっては、新市場区分の最上位(プライム)に行くことと、「コーポレート・ガバナンスの高度化」は必ずしも結びついておらず、結果的に、「流通時価総額」や「売買代金」といった外形的要件をいかに満たすか、ということにだけ関心が集中することになるし、それらの外形的要件も、今上場している会社ならちょっと手を伸ばせば届く程度のものでしかないから、必然的に「プライム残留」に向けたチキン・レースが展開されることになる。

一方、”伝統的日本企業”の方は、といえば、外形的要件は当然余裕でクリアしてしまう一方で、「高いガバナンス水準」に関しては一つ一つの新項目の検討に必要以上の労力を費やすことになる。

実務サイドが「自社の実態に照らして今そこまで今必要か?」という疑問を抱いたとしても保守的な経営幹部はエクスプレインを許さず、結果的に「外部有識者」や「外部コンサル」への安易な依拠等で過剰なコストを生じさせ、内向きの議論に時を費やしている間に、競争力はますます失われる・・・

そんな構図がどうしても透けて見えてしまう。

おそらくは、来年4月の新市場移行後、そう日を置かずして、真にグローバルに事業展開している会社だけを選抜した「プライムのプライム」みたいな市場を作れ、という話が出てきても不思議はないし、それを見た多くの人が「だったら最初からそうしろよ」という突っ込みを入れるのだろうと思うのだが*9、少なくとも今は、オフィシャルに公表されている線に沿って対応を進めていくしかない。

あとは、前記ジュリスト特集の冒頭で、藤田教授が書かれている、

「理解することなく教えられたまま唱える呪文は容易に忘れ去られる。」(15頁)

という予言が現実のものとならないように、

「改訂版コードが、真の意味で日本の企業社会に浸透し、意味を持つためには、本特集でとりあげたような基本的な疑問について、コーポレート・ガバナンスの実践にかかわる者が、各自納得できる答えを持つことが重要である。」(15頁)

という言葉を大切に胸の中で温めておくこと*10をお薦めして、この長々しいエントリーのひとまずのまとめとしたい。

*1:そもそも3,700社を超える東証全上場企業のうち、リリースを出しているのはまだ1000社ちょっとにとどまっている。

*2:藤田友敬「特集にあたって」ジュリスト1563号14頁。

*3:飯田秀総「資本市場の再編とコーポレート・ガバナンスのあり方」ジュリスト1563号22頁。

*4:松中学「コーポレート・ガバナンスとダイバーシティ」ジュリスト1563号28頁。

*5:なお、松中教授も結論としては「CGコードは取締役会をターゲットにしつつも、従業員を含む人材一般の多様性を追求する方向性を総論的に示す点で望ましいといえる。」として、改訂の方向性自体には反対されていない、ということに留意する必要がある。

*6:久保田安彦「コーポレート・ガバナンスとサステナビリティ」ジュリスト1563号34頁。

*7:髙橋陽一「企業グループとコーポレート・ガバナンス」ジュリスト1563号40頁。

*8:個人的には、「株主代表訴訟」という責任追及のルートで親子関係を外部から規律する、という方向性には賛同しかねる(その背景には、代表訴訟に費やされる労力に比して「当該会社にとっての意義」があまりに小さすぎる、という現実もある)のだが、「親子上場」を安易に認める慣行にはそろそろメスを入れるべきだと思っていて、少なくとも親会社の出資比率が50%超の場合には、一定の猶予期間を経て上場廃止に持っていくくらいの改革はした方がよいと思うところである。

*9:現在の東証一部上場企業は原則として「スタンダード」市場に移行し、数千億円超の時価総額基準や一定のパーセンテージ以上の海外売上比率を持つ会社だけに「プライム」に移行する資格が与えられる、ということにすれば、今のようなおかしな話にはならなかったと思うのだが、今更言っても仕方のない話である。

*10:もちろん、温めているだけでは現実を変えることはできないのだが、CGコードが求める高邁な理想は、誰もが(たとえCEOでも)一人で実践できるようなことではないし、それに正面から反旗を翻すのはもっと難しいことだけに、それぞれの会社で「機」がめぐってくるまで(忘れずに)温めておくのが吉ではないか、と・・・。

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