それでもなお、挑み続けることには価値がある。

とうとう今年、第100回という偉大な節目を迎えた凱旋門賞

既に観客も戻ったパリ・ロンシャン、馬場はいつものような重馬場なれど、日本からの遠征馬も2年ぶりに復活して*1、注目も再び集まった。

もう何年も期待を裏切られ続けていることもあってか、始まる前のラジオNIKKEIの解説を聞いていても日本馬推しの声は少なく、どちらかと言えば、日本生まれのディープインパクト産駒ながらアイルランド調教馬のスノーフォールや、国内発売でも1番人気に押されていたハリケーンレーンあたりの方を解説者はかっていたように聞こえたのだが、自分はなんといってもクロノジェネシスこの一頭だけを信じて疑うことはなかった。

やれ距離が長い、とか、斤量58キロは重すぎる、とか、こんなに酷い馬場じゃ走れないとか、そもそも現地でステップレースも使わずに勝てるほど欧州最高峰のレースは甘くない、とか、出走前は散々な言われようではあったのだが、「日本最強の不良馬場キラーのバゴ産駒にして、自らも重馬場巧者、休養明けの好走実績もあり、しかも御年5歳にて成長を遂げ続けている馬に、そんな安っぽい常識をあてはめるな!今に見とれ!」と思いながら聞いていた自分。もはや信者の域・・・。

結果的には、今回も”信じたものが救われる”ことはなかった。

ただ、スタート直後に単騎で大外に飛び出して、”馬群に包まれたままThe END”となるいつもの有力日本馬のパターン*2からの脱却を図ったマーフィー騎手の判断は絶妙なファインプレーで、それゆえ、最後の直線に入ってもなお「アダイヤーとの一騎打ちを制して優勝」という夢を我々はギリギリまで見続けることができた*3

最後は、アダイヤーの粘りに突き放され、さらに前評判通りの走りを見せたハリケーンレーンとスミヨンの神騎乗でインを抜け出したタルナワに差された上に、誰も予想していなかった大伏兵、トルカータータッソにまとめて交わされて勝利を献上する、という結果で、さらにスノーフォール含む2頭にも交わされたことで、着順は昨年のディアドラをわずかに1つ上回る7着にとどまったが、日本馬の新たな挑戦パターンを切り拓いた、ということも含め、関係者にとっては着順以上に手ごたえが感じられたレースではなかったかと思う。

ちなみに、勝ったのは、日本の発売オッズではブービーの13番人気にとどまっていたドイツ調教馬だったのだが、ドイツ調教馬の勝利は10年前に3歳牝馬デインドリームが勝って以来、とのこと。

日本からはヒルノダムールナカヤマフェスタが遠征して、ほぼ見せ場なく2ケタ着順で枕を並べて討ち死にした黒歴史のようなレースの一つではあるのだが*4、それは思い出すのに結構時間がかかるくらい昔の話でもあるわけで、要はお隣の国ですら、「凱旋門賞を勝つ」というのはそれだけ難しいことなのだ。

2年前、日本から挑戦した「三銃士」が無残な敗北を遂げたのを見届けた後に、↓のようなエントリーを書いたことを自分とて忘れているわけではない。

k-houmu-sensi2005.hatenablog.com

ただ、昨年1年間、「遠征」したくてもままならない、そんな事態を目の当たりにした後で改めてこのレースと、それに挑む日本調教馬の関係者の方々の姿を見ると、やはり挑み続けることの意義と大切さ、はしみじみと感じさせられる。

10年前にドイツ産馬が勝った翌年には、「あと一歩」まで迫る日本馬が現れた。

それがジンクスだ、信じろ!というつもりはないが、新型コロナの苦難を乗り越えて再び切り拓かれた道の先には何か、があると信じたいのもまた人情なわけで、来年の101回目から始まる凱旋門賞の歴史の1ページの中に、(そう時間をかけずに)日本馬が新たな足跡を残すことを今は心の底から期待している。

*1:昨年は「欧州駐在」だったディアドラこそ出走したものの、新型コロナの影響もあって国内競馬をステップに参戦した馬は皆無だった。

*2:今回もディープボンドは完全にその欧州馬ブロックに潰されてしまった印象がある。そもそも、地元フランスが、とても勝ち目があったとは思えないラービアーを直前で急遽出走させて、ディープボンドへの騎乗が内定していたクリスチャン・デムーロ騎手をさらっていった時点で、この馬の命運は尽きていたというべきかもしれない。

*3:レース後、位置取りが前過ぎたとか、序盤で脚を使い過ぎた、といった意見もチラホラ見かけたが、いかに道悪が得意といっても、欧州の重厚な走りの馬たちに比べれば最後の踏ん張りで一歩及ばないのは自明の理なのだから、少しでも前のポジションをキープして一発を狙う、というのは当然の作戦だと思う。

*4:ナカヤマフェスタに関してはその前年の2010年に2着と大健闘していた歴史もあっただけに、「期待が失望に変わった」という意味ではそれなりに大きな年だったような気もする。

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