こんな時だから年賀状。

時間はつながっているので、この日も所詮は「12月31日の次の日」に過ぎないのだけれど、世の中的には2022年1月1日、新しい年の始まりである。

例年通り、日が変わるタイミング瞬間を宿泊先で迎え、元旦になったら、穏やかな日の光を浴びながらコーヒーでも優雅にたしなんで家路につく、というのが理想形だったはずなのだが、諸般の事情により今年はそれどころではなく、新年2日目に突入しようか・・・というタイミングまで自宅に戻ることはかなわなかった。

とはいえ、唯一いつもの年と変わらないものがあって、それが年賀状

元々自分たちより下の世代の方々にはそんなに浸透しておらず、加えて、最近の”環境意識”の高まりのせいか、はたまた世の中にあまねくコスト防衛意識が働いているためか、昨年末には例年に増して「年賀状」への逆風が吹き荒れていたような気がする。

SNS等で、「年賀状やめました」と高らかに宣言されていた人もいれば、丁寧に「年賀状廃止」のご案内状を送ってくださったクライアントもいる。

元々、誰かに強制されるような風習ではないし、出すも出さないもそれぞれの人・会社の自由だと思うので、そこに難癖を付けるつもりなど毛頭ないのだけれど・・・


自分は、年賀状というのは、身近な人に出すものでも、ましてや商売の営業のために使うようなものでもなく、

「以前、深くかかわってお世話になったけど、その後、職場その他の環境が変わって頻繁には会えなくなってしまった方々に、『元気です』ということだけが伝わればよいツール」

だと思っているから、いくらESGブームだとか、コロナ禍下だから、といってもそれを「廃止」する理由などない

いやむしろ、新型コロナ禍のようにそれまで会えた人に会えなくなった時だからこそ出さないと、という思いは強かった。

自分の場合、一番古くからやり取りしているのは、高校時代の先生・友人でそれがかれこれ30年、さらに大学時代の友人、会社の最初の赴任地での上司、同僚・・・と続いていく。

さすがに環境が変わってから全く会っていない、という人はいないが、一番頻度が低い層だと顔を合わせるのも5年~10年のスパンになる。

もっと変わった例でいえば、年賀状だけを長らくやり取りし続けた末、気が付けば家が近所になったことに気付いて20年ぶりくらいに再会、というパターンもあった。

SNSが日常的に使われている時代、年に一度の「儀礼」的なやり取りに何の意味があるのか、と揶揄する人々がいることも知っている。

だが、世の中の人全てがSNSのアカウントを持っているわけでもないし、それを日々確認している人となるともっと少ない。
仮に週に一度くらいは確認している人がいたとしても、それを1対1のコミュニケーション手段として器用に使いこなせる人となれば、なお絞られてくることだろう。

だからこそ、年に一度でも、アナログな「1対1」のコミュニケーション手段を使う意味が出てくるのだと自分は思っている。


以前にもどこかで書いたかもしれないが、自分は年賀状はすべて直筆&メッセージ付きで書く主義だから、枚数が増えれば増えるほど、投函するまでの作業は〝苦行”に近づいていくことになるわけだが、幸いなことにここ数年、プライべートな年賀状の枚数が大きく増減することはなかった。

これ、と決めた方に毎年同じ順番でハガキに宛名とメッセージを記して投函し、正月3が日になると、出した相手からもそれがきれいに戻ってくる美しき予定調和。今や高齢の域に達しておられる方々も含め、見慣れた文字が記されたハガキが手元に届くと心の底からホッとする・・・。


こんなこだわりがある一方で、身近に顔を合わせている方、SNSで頻繁につながりがあるような方には、自分は基本的に出さない。
「業務用」は、「虚礼」ではない「礼」をしたい方々だけに出すようにしているが、それでも今の状況だと年々枚数が増えていく一方。
ただ、先述したような「廃止」の動きがクライアントに浸透してくれば、いずれはそれも落ち着き、ゼロになる日が来ても不思議ではない。

ただ、プライベートなものに関しては、自分 or 出す相手がこの世に存在する限りは出したいと思っているし、それまでは 、どれだけDisられても日本郵便には踏ん張ってもらって、この年季の入ったシステムが廃れることなく続いてくれることを願うのである。


以上、本ブログ読者の皆様にとっても、これからの1年がより良き年になることを願いつつ、今年最初のエントリーを厳かに(?)締めることとしたい*1

*1:そして、2022年もよろしくお願いします!

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