続いていく「年報」と今年も期待を裏切らなかった「特集」。

知財業界一年の総決算、ということで毎年楽しみにしている「年報知的財産法」

今年は例年より発売のタイミングが少し遅かったようで、早々に予約していたにもかかわらず、手元に届いたのは今年に入ってから、ということになったが、そんなことはどうでもよい・・・というか、この本に関しては、継続して刊行されていること自体が素晴らしいことだと自分は思っている。

この種の商業出版物の場合、タイトルは同じでも中身は時代に合わせていつのまにかガラッと変わってしまう、ということも多いのだが、昨年の「10周年企画」の中でも語られていたように*1、本書の場合、継続資料的な価値も重視して、あえてスタイルを一貫させている、というところもまた嬉しい。

国内の判例動向、学説動向、法政策動向に海外諸国の動向。

以前は、「復習」のような気持ちで眺めていることも多かったのだが、最近は、その時々のトピックを追い切れていないことも多いから、これを読んで初めて気づく(あるいは思い出す)ことも結構あったりして、だが、そんな甲斐性なしの読者にとっては、毎年変わらずに同じものを届けていただけることが、実にありがたかったりもするのである。

で、そんな「年報」の中で毎年変わるものといえば、冒頭の解説記事と「特集」の座談会である。

冒頭の解説記事は、池村聡弁護士の「令和3年著作権法改正について」と、中山一郎・北大教授の「COVID-19パンデミック下での特許保護と医薬品アクセスをめぐる議論の諸相」で、特に後者は、ここ2年ほど続いている新型コロナのワクチンやら治療薬やらをめぐる「権利保護か普及促進か」という様々な議論が、TRIPS協定上の位置づけや歴史的経緯も整理しつつ、強制実施権、履行免除、さらに自主的解決という3つのアプローチに整理して分かりやすく解説されていたこともあって、新たに得られた知見は多かった。

そして、お待ちかねの座談会は「大激論!音楽教室事件」

タイトルからしてやや煽り気味ではあるのだが、中身の方も、上野達弘早大教授を司会に、音楽といえば・・・の安藤和宏・東洋大学教授と、横山久芳・学習院大学教授が、地裁判決、高裁判決に対して様々な切り口からコメントされている実にエキサイティングな中身となっている。

もちろん、知財系のコミュニティで、地裁判決の規範や結論に対しては圧倒的多数が反対、それとの対比で高裁判決に対しては概ね支持、という形勢が固まっていることもあってか、判決に対する評価そのものについて、そこまで「大激論」が交わされているわけではない。

教師の演奏について演奏主体性を肯定し、生徒の演奏について音楽教室の演奏主体性を否定した高裁の判断についてはそろって支持しているし、演奏権侵害判断場面における「聞かせることを目的」の解釈や、消尽論の否定、権利濫用を認めなかった、という結論に対しても座談会参加者の意見はほぼ一致している。

意見が分かれているところを挙げるとすれば、一つは「公衆性」の解釈をめぐる問題で、音楽教育現場の実態をベースに判決を批判する安藤教授と、あくまで規範的に解釈する立場をとることによって判決の論理を支持しようとする横山教授の間で意見が分かれており、また「2小節以内」分の楽曲に著作物性が認められてるかどうか、という点についてもちょっとした議論の盛り上がりはみられる*2

ただ、そういった局地的な法解釈的な議論以上に興味深いのが、”異種格闘技”の如く、座談会参加者がそれぞれのお立場から発せられているコメントで、特に、音楽の世界で長く活動してこられた安藤教授のコメントには、通り一遍の法解釈論とは異なる気付きと刺激が多く含まれていたように思うし*3、一見司会に徹しておられるように見える上野教授から節々で飛び出した「カラオケ法理」に対する強烈な批判もなかなかパンチが利いていた。

個人的には、最後に出てくる音楽教室事件は、克服されたはずのカラオケ法理の最後の運命がかかった舞台になっていると言ってよいと思います。」(61頁)という上野教授の一言が、最高裁を奮起させないことを願いつつ*4、万が一、また新たな判断が示されるようなことがあったら、是非続きを・・・と思いたくなるような座談会だった。

なお、上野教授は、通常淡々と進められることが多い「判例動向」の解説の中でも、示唆的なコメントを多数残されており、特に以下の2つの裁判所への”注文”が印象的だったため、これらの意見に賛同する者として、(少し長めの引用となってしまい恐縮だが)以下にご紹介しておくこととしたい(強調は筆者による)。

知財高判令和3年10月7日・文藝春秋投稿文改変事件控訴審へのコメントとして)
「本判決は原判決を『引用』して下された判決であるが、本件については、原判決のさいたま地裁の判決が裁判所ウェブサイトにおいて公表されておらず、これによって本判決の内容を知ることができないため、本件事案においてどのような改変がなされたのかは不詳である。」(94頁)
「こうした引用判決自体は、民事訴訟規則184条[第一審の判決書等の引用]に基づくものではあるが、本件事案のように原判決が裁判所ウェブサイトに登載されていない場合は控訴審判決の内容を知り得ないし、裁判所ウェブサイトに原判決が登載されている場合であっても、その判決文ファイルは原本とは異なるフォーマットであるため、『引用判決』が上記のように原判決の判決書原本における頁および行によって変更箇所を特定しても、一般国民にとっては、加除訂正の内容を把握することは容易でなく、結果として控訴審判決の内容を正確に知ることは困難と言わざるを得ない。もちろん、各裁判所に行けば判決書原本の閲覧が可能であるが、原審裁判所に出向く必要があり、また、利害関係者でなければ謄写(コピー)もできないため、国民が控訴審判決の内容を適切に知り得る状態にあるとは言い難いように思われる。」(94~95頁)
「なお検討すべき課題はあるにしても、諸技術も発展した現代においては、当事者および一般国民にとって分かりやすい裁判の実現という観点から、『引用判決』の在り方を見直す積極的な取り組みが求められよう。」(95頁)

知財高判令和3年9月29日・放置少女事件控訴審へのコメントとして)
「本判決は、いわゆる放置系RPG(略)の類似性について判断したものであり、スマホゲームが流行する昨今において実務上重要なものと思われるが、2021年11月現在、裁判所ウェブサイトにおいて、本判決の別紙対比表(略)がいずれも「省略」されているため、本判決がどのような事案について上記のような判断を下したのかを知ることは困難である。」
「一般に、裁判所ウェブサイトにおいては、同サイトでの公開を特段要しないもの(例:特許庁広報)は省略されているが、実際には、それ以外にもケースバイケースで判決別紙が省略されることが少なくないように思われる。しかし、判決別紙は判決の一部として、著作権法上も権利の対象とならないもの(著作権法13条)とされており、広く国民に周知されるべきものと考えられる。」
「もし仮に裁判所ウェブサイトにおける判決別紙の公開に関して一貫性や相当性に乏しい運用が見られるとするならば、適切な見直しが求められよう。」
(以上105頁)

*1:昨年の年報知的財産法に関しては、「10年」の歳月が生み出した珠玉の座談会。 - 企業法務戦士の雑感 ~Season2~参照。

*2:個人的には、この点に関しては横山教授が指摘するとおり「中には著作物性がある者もあると思うので、どの2小節が演奏されるのかを特定しなければ、演奏権の行使を認めるかどうかは判断できないはず」(52頁)であり、判決の書きぶりに多少の疑義があるとしても、結論としては債務不存在確認請求を認めるのは難しかったのではないかと思っている。

*3:高裁判決の確定を見据えて、被告JASRACがどう対応するか、というところの見立て(59~60頁)にも、なかなか興味深いものがあった。

*4:自分は、この手の事件で最高裁が出す判断がユーザーに優しいものになる可能性は決して高くないと思っているので、上告不受理でこのまま確定、ということで良いではないか、と思っているクチではある。

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