グダグダの毎日に喝を入れてくれたクワッドアクセル。

五輪、特にこの時期に行われる「冬季五輪あるある」なのが、開会式を見て、開幕直後に行われるモーグルを見て、ジャンプのノーマルヒルくらいまで堪能したところで一気に日常に突入し、慌ただしさで「今日何の種目やってるんだっけ・・・?」という状況になった末に、気が付けばカーリングは決勝トーナメント、フィギュアスケートも女子フリーまで終わってエキシビジョン・・・あれもう閉幕じゃん・・・というオチ。

特に「時差があまりない国」での開催、というのは曲者で、米国、欧州なら、仕事終わりに眠い目をこすりつつライブで見ようと頑張ったり、朝起きてまとめて結果を斜め読み・・・なんてこともできるのだが、これが韓国や中国だと、生半可、日本と同じような時間帯で動いているものだから、結果を報じるニュースもリアルタイムで流れ、それを見逃すと、「あれ、今日何があったの?」ということになる。

しかも、夏と同じく、アジアでの開催なのに時間帯はアジアじゃない!というか、スピードスケートは中途半端に夕方早い時間に行われているし、フィギュアスケートに至っては午前中に始まる*1

アルペン系の競技が日中開催になるのは、選手の安全等も考えればそれでよいと思うし、スキージャンプやモーグルはナイター開催であるがゆえに、日本の視聴者としても助かっているところはあるのだけれど、相変わらずアスリート・ファーストってなんだっけ?という疑問符が付くタイムスケジュール。

そして、今回も月曜日からずっと、日本勢の惜しいメダル争いの報だったり、ジャンプ混合団体での高梨選手の失格の報だったり、あれこれ飛び交うニュースを小耳にはさみながら、グダグダだが高速回転で転がっていく日々を過ごしていたのだが・・・


前日から予報で警戒されていた雪が都内にも本格的に振り出した10日の昼、フィギュアスケートの男子フリー、羽生結弦選手の演技だけは、どうしても見ておきたかった

ショートプログラムの演技は見ていない。

最初の4回転サルコウであり得ない失敗をし、既に「3連覇」を目標に掲げるには絶望的な点差が上位とはついていること、転倒の原因として「リンクの穴」が指摘されていること等は文字情報としては眺めたが、それを改めて動画で見てみよう、という気にはなれなかったし、今週はそんな余裕もなかった。

そもそも、自分が長年取り付かれていたフィギュアスケートへの”熱”は、4年前、凍り付くように寒かった江陵で目撃した残酷な光景以来、すっかり冷めきってしまっていた。かつてはGPシリーズからローカルな大会まで満遍なく追っていたのに、今では全日本と世界選手権の映像にちょっと目をやるくらい。

スポーツの競技会である以上、難易度の高いプログラムを組んだ選手に高得点が出るのは当然だとしても、同じジャンプを美しく跳んで、曲の表現まで完璧にこなしているように見えても選手によってスコアが出たり出なかったり・・・という採点競技特有の理不尽さと、それに対して無反応な会場の空気は、熱を冷ますには十分すぎるものがあった。

それでも羽生選手の演技だけは見たい、と思ったのは、そのプログラムの冒頭に4回転アクセルがあったから、に他ならない。

今大会が始まるから「人類史上初」「勇敢な挑戦」と散々煽られている話でもあるので改めて繰り返さないが、個人的には羽生選手が美しい4回転ジャンプをプログラムに取り入れ始めた頃に、「彼ならアクセスまで4回転で跳んじゃうかもね」と冗談で言っていたのがもはや冗談ではなくなるところまで来た、ということへの驚きと、満身創痍で既に選手生活の終わりを迎えつつある羽生選手が、人生最後になるかもしれない五輪でそれをやろうとしている、ということへの何とも言えない思いが自分を駆り立てた。

浅田真央選手がトリプルアクセルにこだわっていた時にも散々言われていたように、アクセルジャンプを1つ決めるより、他の完成度の高い4回転ジャンプや、スコアを稼ぎやすいコンビネーションジャンプをプログラムに取り込んだ方が技術点は高くなるから*2、「勝負に勝つ」ことだけ考えたら決して得なこだわりとは言えない。

にもかかわらず、そこにこだわり続ける執念や如何に・・・。

そして、それは裏返せば、高みに登ろうとすればするほどぶち当たる、「新しいものに挑み続けなければ、それ以上前に進むエネルギーを得られない」という境地をも体現されているようで、決して他人事のような気がしなかった。


外出先、スマホ画面で見た演技の冒頭、それは一瞬の「転倒」で終わった。

最終的にジャッジはダウングレードながら「4A」と認定してくれたようだが、12.50点の基礎点があるジャンプで付いた点数は僅か「5点」だから、決して「成功」ではない。

さらに言えば、もし羽生選手があのジャンプを完璧に飛んでいたとしても(そして続く4回転サルコウジャンプを高い加点付きで跳んでいたとしても)、序盤から3種類の4回転ジャンプ(冒頭のコンビネーション付き)をプログラムに組み込んだこの日のネーサン・チェン選手のスコアを上回ることは決してできなかっただろうと思う。

ただ、それでも、最後まで跳ぶことを回避しなかった、そのことをここで称えないわけにはいかないだろう。

満身創痍とも伝えられる状況の中、それでも「彼なら跳ぶだろう」と誰もが予感した。そして、そんな期待を決して裏切らず、自分自身で課した高いハードルに最後まで挑み続ける、ということがどれだけ難しく、悩ましいことか・・・。

ともすれば、流されつつも、楽なところに落ち着いて安住する方向に向かいがちな者として、これも強烈な”喝”だった、ということは、我が身への戒めとしてここに書き残しておくことにしたい。

*1:おそらくは莫大な放映利権を持つ北米メディアを意識してのことだろうが、「なぜアジアでやっているのに、バンクーバーソルトレイクシティ五輪の時と同じ時間帯に合わせなければいけないのだ・・・というのが見る側の率直な思いだったりする。

*2:しかも前回五輪後のルール改正でジャンプの基礎点は全体的に引き下げられ、再び採点は「質」重視に傾いている。

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