”悲劇”が吹き飛ばされた爽快さと、真の強者の心意気に触れた日。

2月11日、世界のカレンダーではただの金曜日でも、日本の暦では祝日。
そして、そのおかげで、美しい瞬間を目撃できたことに我々は感謝しなければならない。

いうまでもなく、スノーボードの男子ハーフパイプ平野歩夢選手の痛快な”倍返し演技”。

夏と違って冬の五輪の競技に、日本の”お家芸”は少ない。

それゆえ、人の主観が取り込まれる採点競技では、何度となく悲哀を味わってきたのがこの極東の島国だったわけで、フィギュアスケートなどは、今でこそジャッジに愛される日本人選手も増えてきたが、それでもまだ”選手による”というところが大きいし、北米勢が強いフリースタイル系の競技では、上村愛子選手の例を引くまでもなく、「採点」「判定」に首を傾げる歴史が何度となく繰り返されてきた。

だから、この日平野(歩)選手の決勝2回目の試技のスコアが91点台に抑えられたのを見た時、再びか・・・という思いが胸をよぎったのは、自分だけではなかったはず。

だが、3回目、同じ大技をちりばめた演技構成、しかも完成度をさらに高めて完璧に滑り切り、パーフェクトまでたったの4点、という超絶なスコアを出し直させた。そんな日本人アスリートがこれまでにいただろうか。

もちろん、不可解な判定、採点が会っても、さらに挑戦の機会が残されていたのはこの競技だったからこそ、だし*1、仮に高得点を争う相手が南半球のスコット・ジェームズ選手ではなく、ショーン・ホワイト選手だったら、それでもなお4年前の悲劇が繰り返されたかもしれない。

ただ、そんなたられば抜きに、この日、透き通る白をバックに高く舞い、常人の想像を超えた美しい回転軌道をこれでもか、というほど空に描き、緊張の後に訪れる爆発的な歓喜を二度も体験させてくれた。そして、本当ならもうそれだけでも十分、というところで、さらに重苦しい「国民の期待」にも最後の最後、満点回答で応えてくれた。

「採点競技」という本質が変わらない限り、この日の平野(歩)選手の意地の演技や試合後の痛烈な指摘*2をもってしても、大きく何かが変わることを期待するのは難しいのかもしれないけれど(それは世の中の多くの物事に共通する話でもある)、それでもなお、かくありたい、と思える何かがそこにはあって、また一つ、大事なことを教えてもらった気がしている。

*1:ウェアの失格で得点を抹消されてしまった高梨選手のような事例はもちろんのこと、フィギュアスケートにしてもモーグルにしても一発勝負だから、不可解な得点が出た後に「もう一度演技する」という機会は与えられない。

*2:日本的には「勝ったからそれでいい」と流しがちな場面でも、きっちりと問題提起をして大会を締めくくろう、という心意気がまたこの選手の良いところだし、自ら道を切り開いてきた第一人者ならではのメンタリティといえるのではないかな、という気がしている。

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