一つの時代の終わり。

2月最終週は、中央競馬の世界では卒業の季節。

昨年も結構な大物調教師が定年、早期引退で話題になっていたが、今年はそれに輪をかけて、平成から令和の時代を支えてきた調教師の先生方の引退を見送ることになった。

今年引退する7名の調教師のうち、6名はGⅠ勝ちの実績がある。

父から引き継いだメジロブライトでの初GⅠを皮切りに、その後も4つのGⅠタイトルを積み重ねた浅見秀一師。
マル外・タイキフォーチュンで衝撃のGⅠ勝利を手に入れた高橋祥泰師。噛み付きシンコウウインディからグルメフロンティア、とフェブラリーSを連覇した田中清隆師はGⅠ4勝、柄崎孝師には懐かしのドクタースパート堀井雅広師にはマイネルレコルト、というGⅠホルダーがいた。

そして何といっても、世界の藤沢和雄、である。

昔、ウイニングポストという、ゲームを続けて年数が加算されると、騎手も調教師も年を取ってやがて引退していく、という馬主シミュレーションゲームがあった。コーエーのゲームだから、信長の野望で武将が年を取ると代替わりするのと同じようなイメージで、初期の頃、自分の馬を安請け合いで預かってくれた調教師はそのうちに引退してしまうのだが、その間に自分がそれなりにレベルアップすれば、最初の頃は預けられなかったような他の一流調教師にも預託できるようになる、そして、その”一流”を象徴していたのが、藤沢ならぬ”萩澤”調教師だった。

ゲーム開始直後に強かった他の調教師が引退していく中で、萩澤師はゲームの中でも当時の実年齢通りお若い設定で引退の年は遥か先だったから、一度パイプを作ってしまえばゲーム上は安泰だったし、あのゲームを何度かプレイする中で、鷹匠騎手の引退までは見届けても萩澤氏の引退までゲームを続けられたことはなかった(基本的に飽きっぽいので・・・)ような気がする。

それがとうとう、リアル藤沢和雄師の引退、という日をこの目で見届けることになるとは・・・。

これまでGⅠを取った馬のエピソードを一頭ずつ追いかけていたら何日エントリーを潰すか分からないくらい、師の戦績は華やかな数字で彩られているのだが、改めて見返して意外だったのは、自分が熱を入れ出した90年代の半ばには既に「一流」の看板をまとっていた藤沢師のGⅠ2勝目がバブルガムフェローだった、ということと、その後も有力馬を多数抱えていた印象があったにもかかわらず、バブルガムフェロー天皇賞(秋)制覇以降、しばらく中距離以上のGⅠを勝てていなかった(2002年のシンボリクリスエスまで6年のブランクがある)、ということに気付いたことだろうか。

言われてみれば、3歳馬(当時4歳馬)にクラシック戦線で無理をさせない、というポリシーや、マル外で短距離・マイル路線に特化させるパターンが多い、という傾向は当時から言われていたような気もするが、その後、数々のグランプリ級の馬を出したことが当時の記憶を薄れさせたところはあったのかなぁ・・・と思ったり*1

全盛期には多数の活躍馬を抱えていても、引退されることにはひっそり・・・という調教師も決して少なくない中で、調教師生活の終盤に差し掛かる時期になって超大物を輩出し、現在でも多くの期待馬を抱えている師(最終日のレースでも1番人気で淡々と2頭を勝ちあがらせて見せた)の手腕とパイプを考えると、ここで引退されるのが何とも惜しまれるのだが、これもまたJRAの歴史を支えてきたシステムの一つでもある。

師が管理していた46頭の期待馬を引き継ぐ厩舎がこの先どういう歴史を作り出すのか。特にほとんどの馬を引き継ぐのが、昨年騎手引退し、1年を経て新規開業する蛯名正義調教師*2だ、ということに*3、競馬の歴史の面白さを感じるわけで・・・。

ここで受け継がれた未完の大器が、そう遠くないうちに大輪の花を咲かせることを願って、来週からの新しいシーズンをしかと見届けたいと思っている。

*1:もっとも、ここ数年のレイデオロのダービー制覇以降(正確にはその前年暮れの2歳GⅠダブル制覇以降)の、同馬やグランアレグリアといった馬たちの無双ぶりのインパクトがあまりに強すぎたために、2006年から2014年までの間、GⅠ未勝利という時期があったことすら、すっかり自分の記憶の中からは消えていた。

*2:言わずもがな、あのバブルガムフェローの歴史的な天皇賞・秋勝利の立役者である。

*3:https://www.jra.go.jp/news/202202/pdf/022702_05.pdf

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