まさかの宗旨替え(?)と、この先への不吉な予感。

先週まで9営業日連続で上昇を続け、今週に入ってからも、3月期決算会社の期末配当狙いの買い持続、ということで高い水準をキープしていた東証の株価が、権利落ち日となった30日、予想通り崩れた。

それでもウクライナ・ショックの谷の時期に比べたら、日経平均は3000円以上高いし、新型コロナが始まった頃の混乱を思い起こせば10,000円以上も高い数字だから一喜一憂するような状況では全くない。

ただ、今年のこの日の日経紙の1面を飾った記事には、これも今年の”大不景気”の序の口・・・といわんばかりの不吉なオーラが漂っていた。

「円安が急加速し、円の下落と経常収支の悪化が共振作用を起こす「円安スパイラル」への警戒が強まっている。長い目でみた円の均衡水準も1ドル=120円台に下落している可能性があり、構造的な円安の側面が出てきた。円安効果は一部の輸出企業や富裕層に限られる半面、その痛みは資源高もあいまって個人や中小企業に広く及ぶ。円安を前提にした経済運営のあり方が問われる。」(日本経済新聞2022年3月30日付朝刊・第1面、強調筆者)

これを一目見て、「え?おい、待て待て、長くこの国を支配してきた安倍・黒田ノミクス下で、”円安”を散々持ち上げてきたのはどこの新聞社だよ・・・」とツッコミを入れたくなったのは、自分だけではないはずだ。

自分は、意図的な政策誘導の下で長く続いた「円安」の時代を全く快く思っていなかった側の人間である。

そりゃあ、北米市場で稼ぎを上げている(というかそこでしか稼げない)会社は儲かる、商社も儲かる。だが、日本国内を主要な稼ぎどころにする企業にとっては、「円安」は元々単なるコスト高の要因でしかない。

それでも前々政権が飛ぶ鳥を落とす勢いだった頃は、表立って「円安は勘弁してくれ」という声を上げることは憚られた。

そして、まだ人々が国境を越えて自由に行き来することができた頃は、訪日外国人の急増、という一種の”副反応”もあって、内需企業の痛みもどこか打ち消されるところがあった。

だが、今、様々なところで世界中のサプライチェーンが目詰まりし、そうでなくてもコスト高になっているところに輪をかけての円安、さらに日本にお金を落としてくれる外国人もいない、となれば、今の状況は悲劇でしかなく、政権交代から取り残された中央銀行のトップが相変わらずこれまでの金融政策に固執すればするほど、この国の富は失われていく。

どれだけ旗を振っても上がらなかった物価が、年明けくらいから面白いように上がり、円安の為替相場も定着、となれば、10年目にしてようやく悲願達成!と喜んでもよさそうなところだが、元々目指していた方向がおかしかったうえに、今のようなシチュエーションでの達成、となれば、孤独な総裁の夢が叶えば叶うほど世の中は不幸になる。

コスト高を理由とした4Qから次決算期にかけての各社の相次ぐ業績下方修正。
ここ数年空前の活況を呈していたDX業界の足踏み傾向は顕著になりつつある中、様々な”ゲームチェンジ”によってさらに凋落していく製造業の名門企業たち。
緊急事態、準緊急事態下での補助金行政が終焉を迎えても、新型コロナ感染者数は高止まりし、結果的に需要を取り戻せないまま力尽きて消えていく飲食事業者、旅行事業者も多いだろう。

そして年金生活者から現役勤労者まで、物価高がもたらす悲鳴は日本中を駆け巡り、冷え込んだ消費が、傷みかけている様々な業種にとどめを刺す・・・。

・・・こんなふうに、様々な要因を全て足し込んでいくと、この先、リーマン・ショックの時以上に深刻な景気の谷に襲われても不思議ではない、という結論にどうしても近づいていってしまう。


もちろん、こんな予想は外れるにこしたことはない。

新型コロナの脅威が去り、いずれ欧州の戦争もひと段落すれば、「そこから明るい未来が開ける!」と思っている人が世の中には多いだろうし、できることなら自分もそれに乗っかりたいのはやまやまだ。

ただ、「新型コロナ」というフレーズを聞かない日がなかったこの2年ちょっとの間の経済状況ですら、客観的な評価がままならなかったこの国で、果たしてこの先、適切なかじ取りがなされるのかどうか。

露骨な資産防衛に走るつもりはないが、かといって楽観的に消費に専念するほど呑気に構えてもいられない。

願わくば、「コロナの頃はまだよかった」ということにならないことを願いつつ、この先の奔流を乗り切っていかねば、と思うところである。

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