映し鏡。

ここ数年は動静が伝えられるような機会が格段に減っていたとはいえ、それでも時々は、Number誌に田村修一氏が書かれるインタビュー記事等を通じて、含蓄に富む数々のコメントに接するのを楽しみにしていたから、これでもうそんな知的興奮を味わえなくなる、ということを心から残念に思う。

サッカー日本代表の元監督、イビチャ・オシム氏が1日、死去した。80歳。」日本経済新聞2022年5月3日付朝刊・第31面)

自分にとっては、元日本代表監督、ということ以上に、ジェフユナイテッド市原(当時)の監督として、低迷していたチームを優勝争いできるレベルにまで押し上げ、ナビスコ杯でクラブ初のタイトルを勝ち取ってくれた”大恩人”としての印象が未だに強い(そして、これまでのクラブの歴史上、この05年のタイトルを奪った瞬間が未だに”頂点”となっている)。

若きキャプテンだった阿部勇樹選手を筆頭に、チームの躍進とともに跳ね上がった選手たちの市場価値とクラブの評価とのギャップは広がり、さらにオシム氏の代表監督就任と相前後して代表入りした選手たちの目線が一気に高くなったこともあって、”オシム後”の数年、クラブからの選手の流出がやむことはなかったし、それがJリーグ発足後、辛うじて最上位リーグの地位を守り続けていたチームの屋台骨を決定的に破壊してしまったことも確かだが、そこで責められるべきはGM人事も含めて迷走したクラブの側であって、イビチャ・オシム氏ではない。

そして、任期半ばにして脳梗塞で倒れた結果、A代表の進化が”未完”のまま終わったことを多くの代表サポが嘆いたのと同じくらい(あるいはそれ以上に)、2006年の”引き抜き”がなかったら一体どこまで凄いチームになっていたのだろうか・・・と嘆くジェフサポもいることは、ここにはっきりと書き記しておきたい。


なお、3日付の日経紙の朝刊スポーツ面に武智幸徳氏が書かれた「評伝」*1は実に読ませる記事で、一つ一つの文章に故人への最大限の畏敬の意が込められた素晴らしい惜別の辞になっているのだが、その中で引用されたオシム氏の言葉が、

「頭の中に1000でも2000でもメニューはある」
「オフのためにサッカーをするのか? 勝つためにサッカーをするんだろ」
「肉離れ? ライオンに追われたウサギが肉離れを起こすと思うか?」

といった猛練習のエピソードを象徴するものや、

「未来を予測することは、あらゆる職業において一番難しいことではあるが、今、使える選手ではなく、あす使える選手を見抜き、5年先を見すえて育てることが大事だ」

「日本ではタレントのある選手たちが走らなくてもいい自由を与えられている。代表ではそれを変えていかなくてはならない。走ることなしにモダンなサッカーはできないのだから」
「テクニックがあれば、ほかの選手よりうまい分だけ走らなくていい、なんてことはない。現実に強い相手と、つまり自分たちよりうまい上に走れる相手と戦ったとき、それでは破綻する。日本はこれまで何度もその過ちを繰り返している」
「サッカーの戦術がこの先どう変化していくかは何ともいえない。ゴールの大きさ、ピッチの大きさを変えるといったルールの変更にも左右されるから。しかし今より将来のサッカーのスピードが遅くなることだけは絶対にない」
「日本の中盤の選手はもっと走って、ゴールに対してもっと危険な選手にならないといけない。プレーメーカー兼ゴールゲッターという選手が3人いれば、相手にとって非常に危険で抑えることは難しくなる」

といった代表チームの未来予測に関するものだったことは、個人的にはちょっと印象に残った。

その後も記者として今に至るまで世界のサッカーと日本代表チームを追いかけ続けている記者だからこその視点なのだろうと思うし、記事の中でも書かれているとおり、10年以上も前に発せられたこれらの言葉が、今世界の主流となっているサッカーの姿を明確に言い当てているのは間違いない。

ただ、他社の紙面やネットニュースに掲載された記事等を比較していくと、集めれば本が一冊書けるくらい数多く残っているオシム氏の”言葉”の中から、何を選んで自分の文章につなげるか、というところにも書き手の個性が顕著に表れるわけで、そこで徹底して”ガチ”のテーマにかかわる「言葉」を取り上げた、というところに、一般紙の中では断トツNo.1のスポーツ面で筆をとる方としての矜持、もまた感じとることができたのである。


個人的には、上の記事に取り上げられたもの以外にも、引用したいオシム氏の言葉は多々あるのだが、ここでは、一種の番外編として、東日本大震災の直後にNumber誌に掲載されたオシム氏の「緊急メッセージ」を改めてピックアップしておく。

k-houmu-sensi2005.hatenablog.com

サッカー選手、コーチとしてだけでなく、一ボスニア人としても壮絶な経験をされたきたが故の異文化、異民族への理解、共感、そして歴史への深い洞察。

こうやって多くの言葉を読み返すたびに、世界中が紛争に巻き込まれている今だからこそ、もう少しの間だけ、ボスニアの哲人が紡ぐ言葉に耳を傾けていたかった・・・と思わずにはいられない。                                                                                                                          

*1:日本経済新聞2022年5月3日付朝刊・第31面。

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