省かれたディテールにも意味はある。

何となく”平時”に戻ったムードも強かった今年のGWだったが、後半の三連休最後の日に紙面に掲載された海外発のオピニオン記事を読んで、つかの間の享楽ムードも一気に吹っ飛んでしまった。

www.nikkei.com

コメンテーターは米シカゴ大学教授のラグラム・ラジャン氏。

エコノミストとして名を馳せ、インドRBIの総裁として経済躍進の下地を築いたにもかかわらず、モディ政権と対立して一期限りで退任した人物、ということ以上に自分はこの経済学者に関する知識を持ち合わせていなかったのだが、経済制裁という大量破壊兵器という標題で始まるこのコラムは、なかなかのインパクトだった。

「経済兵器は侵略や野蛮な行為に対して有効でありながら、文明的な対応を可能にする。だが、これらの兵器がもたらすリスクを軽視すべきではない。ビルを倒したり、橋を壊したりはしないが、企業や金融機関、生活、そして生命さえも破壊する。罪のある者だけでなく無実の人にも打撃となる。現代世界の繁栄を可能にしたグローバル化のプロセスを逆行させることになりかねない。」
「この点について、いくつか関連する懸念がある。まず、経済兵器は一見流血を伴わず、統治する規範がないため、乱用される可能性がある。これは単なる臆測ではない。米国は、世界にはもっと悪しき体制があるにもかかわらず、キューバに対する厳しい制裁を続けている。また中国は最近、オーストラリアの輸出に制裁を科したが、同国が新型コロナウイルスの起源に独立した調査を求めたことへの報復だったのは明らかだ。」
同じくらい心配なのは、企業に特定の国での事業活動の停止を求める世論の高まりだ。こうした要求は、政策立案者が意図した以上の制裁拡大になる可能性がある。
経済兵器は一国の手に委ねるにはあまりにも強力で、その使用にはコンセンサスが義務付けられるべきだ。侵略国のエリートの資産に対する制裁は最も優先順位を高くし、コンセンサスの要件は最低限にすべきだ。反対に、侵略国の通貨の価値を下げたり、金融システムを弱体化させたりすることは、より慎重かつ最大限のコンセンサスを得るべきだ。」
「先進国は自国の力を制約することに消極的だろう。だが世界経済が分裂すれば、すべての人に痛手だ。「経済的軍備管理」に関する協議は、壊れた世界秩序を修復する一歩になるかもしれない。平和的共存は、どのような形態の戦争よりも常に優れている。
日本経済新聞2022年5月5日付朝刊・第5面、強調筆者)

最初の「侵攻」の報から2か月以上たった今になっても、プーチンの戦争に終息の兆しは見えず、ウクライナからは連日、悲劇を伝えるニュースと徹底抗戦の決意が発信されている。

そして、そんな状況の下で日々エスカレートしているのが、米国、EUを中心と”西側”諸国による「経済制裁」の報道と、それに平仄を合わせるかのように次々と出てくる民間事業者の撤退、”損切り”のニュース。

ロシアからの撤退により受ける打撃が大きければ大きいほど、巨額の損失を出せば出すほど、それがウクライナへの共感の大きさを示すKPIとして機能し、一部ではそういった企業をあたかも自由民主主義社会の”殉教者”であるかのように褒めたたえる(逆に撤退を躊躇する企業には容赦なく罵声を浴びせる)ような動きさえあることに、違和感を抱くことも多かったのだが、前記のラジャン教授の意見は、そんな「際限なき経済制裁」の怖さを言語化し、一定の歯止めを課すことの必要性を説く、という点で実に見事な論稿だった。

もちろん、この日本語訳が施された記事を読む際には留意すべきこともあって、一つは、この記事の”原典”である”Project Syndicate”のサイトに記事が掲載されたのが3月17日、という侵攻後比較的早いタイミングだったということ。

www.project-syndicate.org

その時点で今に至るまでの「制裁」のエスカレートを見通していた、という点では慧眼というほかないが、民間人攻撃をはじめとするロシア軍の様々な無法行為が明らかになった(結果的にそれが多くの国が経済制裁のギアを一段引き上げるきっかけにもなっている)今となっては、ラジャン教授の考え方自体もより”厳格な制裁やむなし”の方向に変わらずを得なくなっている可能性はある。

そしてもう一つ注意が必要なのは、原典と今回日本語訳された記事を比較すると、以下のくだりがすっぽりと抜けている、ということだろう。

That we have come to this point reflects a widespread political breakdown. Too many powerful countries are now being led by authoritarian rulers whose reliance on nationalism makes them less willing to compromise internationally and who face few domestic constraints on their behavior. If Russian President Vladimir Putin’s aggression were to go unpunished, more international provocations like his war in Ukraine would become inevitable.1
Equally problematic is the breakdown of the international order. The United Nations Security Council cannot legitimately act against any of its permanent veto-wielding members (China, France, Russia, the United Kingdom, and the United States). The organization’s impotence translates into impunity for strongmen who flout international norms. Moreover, even if the UN could approve a military response, the will to confront a determined nuclear power militarily would probably be lacking.
Economic weapons, made possible by global integration, offer a way to bypass a paralyzed global governance system. They allow other powers an effective (that is, painful) but civilized way to respond to aggression and barbarity.(強調筆者、以下同じ。)

要するに、ラジャン教授も、政治的な観点からのシステムの機能不全を補い、痛みは伴うもののより効果的かつcivilizedな方法として経済制裁が正当化される、ということは明確に述べておられるわけで、このポイントを押さえた上で読まないと、どうしてもバランスは悪くなる。

他にも、経済が balkanizedすることによってより世界が貧困に陥る、という事態を防ぐためのセーフガードの必要性を説くくだりや、二次的制裁の脅威が国々の意に反して制裁への協調的行動をとらせることになってしまう、というリスクの指摘、さらに以下のとおり、通貨や金融システムへの制裁が、中流のリベラル、改革派の市民たちを”怒れるナショナリスト”に変えてしまう、ということへの危惧が「慎重さ」を求める背景にある、といったことも日本語要約された記事からは読み取りにくい。

Conversely, because moves to debase an aggressor’s currency or undermine its financial system can turn middle-class liberals and reformers into angry nationalists, they should be taken with more deliberation and maximal consensus.

「経済」は世界中でつながり澱みなく流れる環流のようなものだから、おそらく、この先、欧州での戦争状態が長引けば長引くほど、制裁を加えられた側だけでなく、「加えているはずの側」にも半端なくダメージは襲い掛かってくるだろうし、そうなれば、COVID-19への対応と同様に、世論を二分するような議論が吹き上がることは避けられないだろう。

ともすれば、物価や給料が上がった/下がった、仕事が増えた/亡くなった、といった領域にまで入り込んで、感情交じりの殴り合いのような話にもなりかねないテーマではあるが、実のある議論をしていくためには、地政学上も歴史上も日本とは全く立ち位置が異なる欧米の動向への追従はもちろんのこと、逆の立場からの安直な議論のつまみ食いも避けられなければならないな、と思った次第である。

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