命の重さを噛みしめつつ。

ついこの前まで、長きにわたりこの国を象徴する存在として君臨していた元首相が、参院選直前の遊説中、凶弾に倒れた。

刻一刻と変化し、判明する状況を伝えるニュースを自分は比較的冷静に見ていた方だとは思うのだが、「せめて命だけは・・・」という微かな願いまで絶たれる報道が流れた時に受けた衝撃は、他の多くの人々ともそんなに大差はなかっただろうと思う。

この間、「日本でこんなことが起きるなんて」という呟きもよく目にしたが、世界中で起きていることが日本だけで起きない理由なんて何もない

特に政治家の場合、人前に自分の姿を晒して、見てもらってナンボ、というところはある上に、狙う側にとっても、動機にかかわらず標的にしやすいのは間違いない*1から、海外ではもちろん国内でも何年かに一度はどこかで悲報を聞くことになる。

もちろん、今回は、被害を受けた政治家があまりに有名過ぎた、という事情もあって、過去に起きた様々な出来事をすべて忘れさせるような強烈なインパクト事象になってしまっているのだが、この国が今も昔も100%の安全に守られている国でもなければ、街頭に立つ政治家の安全が100%保障されている国でもない、ということは、心の片隅にとどめておく方がよいだろうな、とは思うところである*2

あと、今回の事故がちょうど国政選挙期間の真っただ中に起きてしまった、ということで、様々な政治的色彩を帯びた論評、コメントも見かけるが、加害者の動機や背景が何であれ、今日起きたことは一人の人物が理不尽にも殺害された、ということに尽き、それが何よりも痛ましく大きな意味を持つことなのだから、その事実に、あれやこれやとそれ以上の意味付けを持たせようとする風潮には違和感しかない。

もしかしたら、後で振り返った時に、今日の出来事が歴史の転換点とか、潮目の変わり目、として論じられることがあるのかもしれないし、解明された加害者の動機がより深い社会の闇を掘り起こすことがあるのかもしれないが、それは(投票日が目の前に控えているかどうかにかかわらず)今この時に論じるようなことではないはず。ましてや、この話を直近の選挙情勢と結びつけて語るなんて・・・というのが率直な思いである。

そもそも、人々が様々な情報源に則って思想を形成する今の時代、いかにインパクトのある出来事が起きたところで、メディアが安直に描くような単純な結果にはつながらないことも多い*3

個人的には、今回の一報を聞いた時、「選挙期間中の悲劇」ということで思い出したのがBrexitをめぐって世論が二分されていた英国で6年前に起きたJo Cox議員の悲劇*4だったりもしたのだが、彼女が無念の死を遂げた直後の投票の結果がどうだったか、ということを考えれば、成熟した国家において、”弔い”という単純な要素だけで投票行動が大きく変わることはちょっと考えにくいところもある。

ということで、自分も明後日は淡々とこれまで考えていたとおりの一票を投じるつもりではあるのだが、それとは別に、政治家として波乱万丈の人生を歩み、まだまだこれから、というところで凶弾に倒れた故人の無念さへの共感と追悼の思いは持ち続けていたい、そう思っているところである。

*1:そしてどれだけ警備を固めたところで、開かれた場で多くの聴衆を集めて・・・という形式をとる以上、対象者を100%守り切るには限界もある。

*2:「安全」は警護にかかわる人々だけで守れるものではないと思うだけになおさら。

*3:そもそもテレビのニュースメディアには一切触れず、自分が見たいときにWeb上のメディアに触れるだけ、という自分のような生活だと、今日起きた出来事のインパクトもそれほど大きなものとしては伝わってこない、というのが現実である。

*4:en.wikipedia.org

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