夏の参院選で盤石の地位を固めたか、と思いきや好事魔多し。ここに来て、様々な角度から現首相への批判が噴き出している。
それでも政策に関して言えば、長きにわたる安倍・菅時代と比べれば遥かにマシ*1というのが自分の率直な印象だったりもするのだが、この岸田政権下においても首を傾げたくなる政策が全くないわけではない。
その一つが、↓である。
「岸田文雄首相は12日、5年間で1兆円を投じる「人への投資」について3本柱で進める方針を示した。転職者や副業する人を受け入れる企業への支援制度の新設や、働き手のリスキリング(略)に取り組む企業への助成拡大などを挙げた。成長産業への労働移動を促す。」(日本経済新聞2022年10月13日付朝刊・第1面、強調筆者)
ことこの発言については、「日経リスキリングサミット」というシンポジウムの中でのコメントのようだから、善解すれば、所詮は”リップサービス”ということもできるだろう。だが、昨今の報道を見る限り、現総理は、本気でこの施策を「柱」の一つにしようと考えているようだし、間もなく公表される予定の「総合経済対策」に盛り込まれる可能性も高い、ということが報じられている。
となれば、ここで出てくるコメントは一つしかない。
正気か?
「転職者」云々に関して言えば、これは視点の置き所が完全に間違っていて、元々、世の中全体を見回せば、「転職を一度も経験したことがない」という就業者の方が圧倒的に少数派だ。
これまで流動的な雇用市場が形成されてきた中小企業はもちろんのこと、今世紀に入ってから創業、上場したような会社では、相当な規模の大企業でも、今や中途採用者が当然のように要職を占めるようになっているわけで、今の若手社員たちのマインドを考慮しても、この先、雇用市場の流動性が高まることはあっても低くなることはあり得ない。
そもそも、多くの新興企業では、若手人材から管理人材まで慢性的な人不足が続いているわけで、そういう会社(数にすれば圧倒的多数)は、誰から頼まれるまでもなく、他社人材の引き抜き、受け入れに奔走している。
にもかかわらず、「受け入れる企業への支援」などと言われてしまうと、現政権の関係者は、財界に未だにこびりついているオールドトラディッショナルな企業の人々としか会話をしていないのか?と訝しがられても文句は言えないだろう。
また、より訳が分からないのが、最近はやりの「リスキリング」。
人間は、好奇心を失わない限り、いくら年をとっても新しいものには興味を示すものだし、環境が変わればそれに順応するために、いろいろ工夫して”学び”を得ようとする生き物だと自分は思っている。(自分も含め)そういう人々にしてみれば、国だの会社だのがお膳立てを整えるまでもなく、自ら必要な知識を仕入れ、身に付けていくことに何の抵抗もないし、そもそもそんなにお金をかけなくても学べる機会はどこにでもある。
逆に「自ら学ぼう」という気持ちを失った人に、どれだけ手間暇かけて投資をしたところで、身につくことなどほとんどない、というのは、企業内で「人材育成」に少しでもかかわったことのある人なら、容易に気付いていることのはずだ。
それなのに、なぜ「国策」で、しかも「企業に対して」助成する、という迂遠な方法で、貴重な財源をばらまこうとするのか・・・。
この1年くらいの間に、名だたる大企業が「全社員を対象に『DX』の基礎を学ぶ研修を実施」といったニュースを見かける機会が増え、そのたびに、底知れぬ違和感に襲われた。
全員がソフトウェアエンジニアになれるようにコードの読み書きから教えるにしては、各企業が費やしている時間は明らかに足りていないように思われるし、いかに「DX」の時代だからといっても、社員全員を開発エンジニアにする必要などあるはずもない。
おそらく、実際に行われているのは、かつて一時期はやった「知財教育」とか、今でも様々なところで行われている「コンプライアンス教育」のように、通り一遍の知識を眺めて終わり、というレベルなのだろう。そして、受講する側はもちろん、実施させられている側も「なんでこんなことやらないといかんのだ」と愚痴りながら、経営幹部層に「やってます」とアピールするために泣く泣く教育の準備をしている、そんな構図さえ目に浮かぶ。
そこに「助成」をぶち込むというのだから、今の政権はなんとお人よしなことか・・・。
巷で語られているような「人的資本の強化」が、今も昔も経営の最も重要な要素の一つであることは疑いようもないし、自分をそれを否定するつもりは全くない。
ただ、そのために誰がどのような役割を果たすべきか、ということに関して言うと、”ただの雇い主”に過ぎない企業側にできることなどたかが知れていて、唯一できることとしては、仕事に必要なスキルを正しく身に付けた者を適切に評価し、処遇する、ということくらいしかないだろう、と自分は思っている*2。
だから、そういった本質的な議論を前面に出さずに、あたかも「所属企業に教育の機会を与えさせる」という極めて不効率な手法にこの国の「人的資本」の将来を託そうとしているかのように見えてしまう現状に接すると、嘆かわしい気持ちにしかならない。
もちろん、この政策が実現すればそれで喜ぶ産業は必ず存在するわけで、そういった産業の関係者にしてみれば、これはまさしく天から降ってきた賜物以外の何物でもないのだけれど、そういった人々を喜ばせるだけの政策に貴重な財源を投入する、ということに関しては、これまでの議論を何度読み返しても、腑に落ちないところが多い。
時の首相が言い始めてしまった以上、すぐに路線変更ということにはならないのかもしれないが、過ちを改めるに遅すぎる、ということはない。
今はこう言っていても、どこかで軌道修正されることを信じて、発足1年ちょっとの今の政権を温かく見守ることにしたい。