歳をとればとるほど、時が過ぎるのは早くなる。
ついこの前新しい一年が始まった・・・という感覚だったのに、気付けばあっという間に今年2度目の中山開催に突入し、中央競馬の世界での「年度替わり」の時を迎えることとなってしまった。
本来なら、現役を退く騎手、調教師の「最終レース」を見送りながら感慨に浸るのがこの2月最終週の風物詩だったのだが、今年に関しては、中山にも阪神にも、そして小倉にも、最大の主役はいなかった。
「巨額賞金」のインパクトとともに一瞬で定着した2月のもう一つの風物詩、サウジカップデー。
そして、先週末の「日本最終騎乗」を終えた後、まさにその舞台へと飛び立っていったのが福永祐一騎手だった。
世界中にコロナ禍の足音が迫る中、騒々しく幕を開けた第1回からはや3年。最初は恐る恐るでも、ひとたび照準を合わせればレースに合わせた調整力は世界随一なのが日本の競馬界で、昨年は4つのレースでタイトル奪取。そして今年は勝ち鞍こそ3つながら、メインレース、賞金1000万ドルのサウジカップをパンサラッサが堂々勝利、とくれば、まさに日本馬の独壇場だったといっても過言ではない。
そんな舞台に乗り込んだ日本人6騎手の中に、福永騎手も混じっていた。
個人的には、当日馬柱を見て、そこまでして乗り込んだ舞台のメインレースに福永騎手の騎乗馬が一頭もいないことが残念でならなかった。
去年GⅠを2勝したお手馬・カフェファラオが、フェブラリーS 3連覇の機会をスキップしてまでサウジカップに乗り込んだのに、その鞍上を務めたのはモレイラ騎手で、福永騎手の出番はその前座レース・リヤドダートスプリントのリメイク号騎乗までで終わり、だなんて、あまりに酷い仕打ちではないか、と感じたのは自分だけではないはずだ*1。
だが、そんなことはお構いなく、騎手生活の最後に初めての競馬場で世界中の名騎手たちと顔を合わせ、自分の馬もきっちり3着に持ってくる、という仕事をやってのけた福永騎手の映像からは「爽やかさ」しか伝わってこなかった。
翌日曜日、日本での開催を終え、残った福永騎手のJRA通算勝利記録は2636勝。
この2日間は、横山武史騎手以下、”日本に残った”騎手たちがここぞとばかりに暴れまくっていたが、それでも福永騎手が残した18勝は、この瞬間「全国リーディング7位」と安定のベスト10圏内をキープ。
「人馬ともにベテラン」とばかりにリュウノユキナで海外競馬に果敢に挑戦した柴田善臣騎手はもちろん、パンサラッサで再び海外GⅠ制覇の快挙を味わった吉田豊騎手も福永騎手より上の世代にあたる*2。
そう考えると、もう何度もあちこちで呟かれているとおり「まだまだやれるのにもったいない」という感想が出てきても全く不思議ではない。
ただ、気の強い騎手なら渡航自体をキャンセルしかねないような「カフェファラオの一件」があってもなお、紳士的で穏やかな佇まいでコメントを出せる福永祐一という人物は「勝負師」として生きるにはあまりに人が良すぎたのかもしれず、そう考えると、ここでかける言葉は「よくぞここまで」の方がふさわしいのかもしれないな、と思ったりもしている。
ダービーで優勝候補の一角と目されたキングヘイローを制御できず顔色を失っていた若き青年が、四半世紀の時を超えても「一線級」のまま引退できる名騎手になるとあのころ予想できたファンはどれだけいたことか。そして、自分も含め、落馬負傷の報を聞くたびに父親の悲劇が頭をよぎってハラハラしたファンは決して少なくなかったはず。
だからこそ、こうして無事、異国の華やかなカクテルライトの下で、彼が「世界の舞台に立てる騎手」として引退の時を迎えられたことが嬉しくてならないし、最後のレースを無事終えて入線した時に、そこはかとない安堵感があった、ということもここに書き残しておきたいと思っている。